廃線跡を探る旅 #022
The trip for abolished railroads #022
鉄 道 会 社
路 線 名
廃止年月
調 査 区 間
訪問年月
JR貨物
北陸本線(敦賀港線)
2009/04
敦賀→敦賀港
2019/04
元は
国際港だった敦賀港へのアクセス路線
として始まり、貨物線として使命を終えた
敦賀港線
の跡地を探る旅です。
2019年4月
の事、
富山県
の
城端線
で
城端駅
の
駅ノート
を描いて
観光列車「べるもんた」
に乗るべく、
北陸方面
へ出掛けました。
…ついでに
今回のダイヤ改正
から
新規開業
した
京都市
の
梅小路
京都西駅
を見て、
敦賀
で
途中下車
。
敦賀港線の跡地
も探ろうと言う、
カナリ詰め込んだ計画です。
ともあれ、まず
梅小路京都西駅
を見て京都から
特急「サンダーバード」
に乗り、
約1時間
で
敦賀
に到着。…やはり
特急
は
早くて快適
だわ。
今日はココで、
当地の臨港線
だった
敦賀港線
を探ります。
敦賀駅
の
北側
から
北陸トンネル
方向へ向かって
左に向かって分岐
し、
敦賀港駅
までの
2.7km
を結んでいた路線ですね。
…右の画像では
新しい住宅
が並んでる辺が
分岐点
だった筈です。
北陸本線
の
旧線
は過去に、
杉津線
や
柳ケ瀬線
の
跡地
を
車で走った
事があり、ソノ最後に
敦賀港線
への
入り口
を見つけて「…コレはまた
調べに来ないとイカン
な」と思ってた物件です。
…左の画像は
駅前にあった案内地図
ですが、
線路自体は残ってる
ものの
貨物営業
も
2009年には廃止
され、
2019年4月1日
を以って
鉄道
路線とてし
も
正式に廃止
されたようです。
敦賀駅
の
端っこ
にも、
貨物ホームらしき跡
が伺えますね。
この区間の
開通
は
カナリ早く
、
1889年(明治15年)
に
北陸本線
の
最初
の
開業区間
として開通した中に含まれます。
北陸本線
の
全通後
は、
同線
の
支線
という扱いになっていました。
基本的には
貨物線だった時期が長い
のですが、
敦賀港
から出る
国際
航路
の船
と連絡する役割も担っており、
旅客列車
も走っていました。
距離が
ソレほど長くナイ
ので、今日は
レンタサイクル
で行動します。
まだ
お昼過ぎ
だし、
夕方まで
に取材を済ませたら
ココで一泊
という
余裕のある状況
ですよ。
…久し振りに
敦賀駅
で降りたので
今まで気付かなかった
のですが、
駅前
には
9600型機関車の動輪
が展示されていました。
加えて
ココの住所
は
「鉄輪町」
って言うんですね。コレもまた何となく
鉄道に関係のありそうなネーミング
なのが
興味深い
所です。
では実際に、
敦賀港線
の
廃線跡
に沿って
自転車
で走ってみましょう。
北陸本線
から
分岐してすぐ
と思われる地点は、
新しい住宅地
になって
おり、
線路の面影
は
全くありません
。…
休止から10年
ですからね。
そして
住宅地が切れた辺り
では、
北陸新幹線
のものと思しき
高架橋の
建設工事
が行われています。…
変な走り方
なのは
仕方ナイ
としても
一応は
ルートが決まりました
からね。
…
敦賀駅
に
コレだけ近い所
に来るって事は、
駅も同居する
のかな。
市街地
の
最も北側
に出た所で
海岸
…
西
の方向へ曲がると、
線路を
埋めた踏切の跡
が出てきます。…以前に
柳ケ瀬線
(コレも
北陸本線
の
旧線
の1つ)を探りに来た時、
最後に見つけた地点
ですわ。
ココから
港の方向
へ
廃線跡
が残ってるようです。…
休止から10年
を
経て、
つい最近
(2019年4月1日)に
正式に廃線
になったという事で、
訪問時期
としては何となく
タイムリー
だったのかも知れません。
線路際には
立入禁止
の旨を告げる
お約束の看板
が…と思ったら、
何か
違う
んですよ。
「直ちに
農作物
を撤去してください。」?
…
列車が通らない
からと言って、
勝手に畑にされてた
という事か?
敦賀の皆さん
は意外と
東南アジア風
の
斜め上の発想
なんですな。
線路際には
信号機
や
勾配票
などの施設が幾つか
残っています
。
…
信号機
は
「もう使わない」
という理由からか
アサッテの方向
へ
曲げられて
しまってますね。
撤去する
にも
カネが掛かる
のでしょう。
流石に
線路跡
は
自転車
では
走れません
が、
住宅地の端っこ
を上手く
縫って行けば、線路に沿って
カナリ近い所
を
走って行ける
ようですよ。
後から思えば
走ったルート
の
殆どは自動車でも可能
だったな。
コレなら
人を案内する事も可能
でしょう。
踏切
も殆どの物件が
そのまま残ってます
。そしてようやく、
一般的な
立入禁止の看板
が出てきました。…しかし
線路が残った
鉄道用地内
に
車を駐めるヤツ
が
居るとは思えません
。
…
線路
を
撤去しない理由
として、ココを
再開発
して
蒸気機関車
(市内
にある
静態保存車
を
圧縮空気で動くもの
として
再生
させる)を
走らせる
計画
があるのだとか。
まぁ
費用の面で難しい
モノがあり、
計画は計画のまま
かも知れません。
暫く行くと
廃線跡
を
跨ぐ高架
が出てきました。
鉄道っぽい鉄橋
ですが
コレは
道路
、
国道8号線
ですね。
古くからある道
なだけに、コンクリート
でなく
石垣
な所に
味があります
。
…下に
貨物線
があるとは
知らずに
何度か通ってた
かも知れませんわ。
キロポスト
や
勾配票
が、引っこ抜かれた状態で
打ち捨てられてました
。
コレとて
幾らかで売れば
物好きは買う
んじゃナイでしょうか?
更に進むと
線路
が
大きく左にカーブ
して
分岐器で複数に枝分かれ
し、
土地も広くなった場所
に出ました。…色々と
ゆっくり見ながら
でも
敦賀駅
から
30分程度で到着
した感じでした。
ココが
敦賀港駅
の
跡地
になるようです。
直近
では
JR貨物
の
コンテナ
ヤード
であり、
古く
はもぅ少し先の
海岸沿い
まで線路があって、ココ
から出る
外国航路の船
に
連絡する
駅
があった事になるのでしょう。
「海外旅行=船」
が
当たり前
だった時代は、
横浜
であれ
長崎
であれ、
国際港
には
外国航路の船
が
発着する日
に限って、
短距離の貨物線
を
走る
臨時の旅客列車
が存在するのが
一般的
だったそうな。
現在は
貨物列車
も
運行をヤメてしまい
(というか
線路が途切れてる
)
閑散としてますが、
オフレールステーション
として
定期のトラック便
が
発着する基地
として残ってるらしいですね。
…
「危険 入るな!」
と言われても、ソノ
看板
は
外れて落ちてる
し、
ドコまでが公道
なのか
よく分からない
のも事実。取り敢えずは
邪魔に
ならない
ように、
周辺を見学してみる
事にします。
…元々が
貨物駅
であり、最終的には
規模
も
カナリ縮小
されてたらしく
駅舎
としては
小さな建物が1つだけ
でした。
デザインとも
美濃赤坂駅の貨物事務所
に
似てる
気がしますね。
現在は
オフレールステーション
として、一応は
機能してる
らしいですが、
ココへいきなり
「荷物送りたいんですが…」
と来る
客は居るのか?
ともあれ
廃線跡巡り
としては
ココまで
になりますので、続いて
駅周辺
で
鉄道に関するモノ
を色々と探してみました。
港の街並み
に
ありがち
な
赤レンガの倉庫群
が
敦賀
にもあります。
1905年
に建てられ、
つい最近
まで
実際の倉庫
として使われてた建物
だという事ですが、ソノ中の1棟が
100年前の敦賀の町
を再現した
ジオラマ館
になってると聞きましたので、まずは
ソコから見てみます
。
名前から
「ジオラマ館」
なだけに、
カナリ大きなジオラマ
が組まれて
おりました。…
HOゲージ
ですね。
係の方の説明によると、
映画会社
の東宝
が
製作を手掛けた
そうな。
スクリーンに
古い写真や
映像
が
映り、
音声とも連動
して
模型が動く
仕組みになっています。
海が向こう側にある
から、
敦賀の町
を
東側から見た
風景なのでしょう。
鉄道模型としては
100年前
の
敦賀駅
をイメージ(
正確な再現
ではナイ
)
してあるとの事です。
だから
奥の方
には
杉津線
と思しき
スイッチバック
もありますね。
幾つかは
客が操作する事も可能
。
…
駅
は
100年前
ですがも
車両
は概ね
昭和中期
ですな。ソノ辺は
適当
と言うか、
あまり古くても
実感が湧かない
のかも知れません。
左が
敦賀機関区
、右がさっき通ってきた
敦賀港線
で、奥の方には
客船
が停まってるのも見えますね。
敦賀機関区
が
あった場所
(恐らくは
駅舎本屋の真向かい
辺り)は今後、
北陸新幹線の駅
になると思われ、機関区にあった
転車台
は港周辺の
ドコかに
移築保存
されてるそうです。
…この
転車台
と併せて、
蒸気機関車
の
復活運転
が計画されてるとの
事ですが、
何事もカネ次第
なんでしょうねぇ。
レンガ倉庫(ジオラマ館)
の
裏手
に、以前から
見た
かった
保存車両
が
あるんです。
国鉄
の
急行型気動車
として
ベストセラー
だった
キハ58系
の
キハ28型
。
…
パノラミックウインド
&
スカートつき
の
後期型
ですね。
もっと新しい
イメージでしたが、ソレでも
1968年の製造
なのか。
キハ58系
も晩年は
海外へ譲渡
された車両が多く、
比較的新しい
この
タイプは大部分が
サハリン
へ渡ったそうな。
…現地では
パノラミックウインド
の車両を出来るだけ
先頭車に持って
くる
使い方をしてたらしいけど、もぅ
現役引退
の頃かも知れません。
この
3019号車
は
小浜線
での
運用実績
もあるという事で、当時に
実在
した
急行「わかさ」
のヘッドマークが飾られています。
…
若桜鉄道で見たコレ
も、
本来の使い方なら
こっちに貼るべきだな。
扉など
は
施錠
されてましたが、
階段が用意してある
という事は、時々
車内を公開する事がある
のかも知れません。
保存状態が良かった
のか
塗り直した
のか、
塗装がかなりキレイ
です。
…まだ
ココに置かれて1年足らず
だからなのかも知れませんが、
今後
の保存活動
にも
期待したい所
ですね。
更に少し離れた所に恐らくは
明治期
から残ってると思われる、コレも
レンガ造り
の
ランプ小屋
がありました。
…割と
古めの路線
なら
各地で見られる施設
ですが、ココのは
内部を
改装
して
見学出来る
ようになってるらしいですよ。
鉄道黎明期
には
機関車の前照灯
なんてモノもまだまだ
未整備
だった
ようで、
灯油を使ったランプ
を前部に掲げて
列車の種別
などを表示
してたという事なんですね。
…てか私は
「ランプ」
と聞いて、
客車内の照明に使うモノ
だとばかり
思ってましたわ。勿論ソレ用にも使ったでしょうが、
前照灯
や
識別灯
という
発想がありません
でした。
初期
には
ダイナモ発電機
も
ナイ
か。
この歳
になって1つ
勉強してしまいました
ね。まだまだ
知らない事が
沢山ある
ような気がします。
そして最後に
コノような施設
を発見しました。…現地に来るまで
ノー
マーク
でしたよ。
「旧国鉄 敦賀港駅 駅舎」
…とありますが、
現物
ではなく
レプリカ
の
ようです。
本物
は
大正2年の建設
だという事で、やはり
敦賀港
から
大陸方面への国際航路
が出ていた
最盛期
の感じでしょう。
…
小規模
な建物ですが
滋賀県
の
旧長浜駅
に似た感じの、当時として
は
最新感覚のデザイン
だった筈ですね。
この建物は
「敦賀鉄道資料館」
という事で
無料で見学出来る
らしい
ので、ちょっと入ってみましょう。…
展示室
は
1階と2階
になります。
お約束
の
制服
やら
機関車の形式プレート
やら、やはり
北陸本線
に
絡むネタの展示が多いようです。この手の小規模な資料館は、土地に
よって
地域性が出る
のが
面白い所
でしょう。
模型
はやはり
HOゲージ
かな。左は
北陸本線の優等列車
を
イメージ
した
編成だという事です。…昔からココも
幹線
として
長編成の列車
が走り回ってましたから、
フル編成
にすると
入らない
のでしょう。
…
急行「きたぐに」
に
キハ58系
の時代があったとは
知りませんでした
。
そしてココでも
いきなり
、
訪問客用のノート
を発見してしまいました。
…今回は
明日
に
駅ノート
を
一件予定
してるんですが、
絵の道具
は
マトメて
コインロッカー
に入れてきましたので、また
用意はありません
。
事務室
にコレまた
ボランティア
らしき
案内人の方
が居て「
お気軽に
お声掛け下さい」
みたいな表示がありましたので、
鉛筆と消しゴム
を
貸して頂きました。…やはり
ボールペン一発描き
は
ツラい
のです。
敦賀港駅
も昔は
国際航路の連絡駅
だっただろうから、
のろ
をちょっと
社会的地位の高いお父さん
にして、
海外旅行
(…
「洋行」
ってのか)に
出る時に
家族で見送りに来た
感じのシーンです。
奥さん役
の
ぱの
は
和服
でイイだろうが、
てん
の
衣装
が
よく分からん
。
…適当に
お嬢様風
です。
「お父さま」
とか言っちゃうの。
絵を描く客
は
珍しい
のか、
管理者の方
に矢鱈と
喜んで頂けました
。
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