…2018年の元日、ある友人が関東方面から滋賀県へ遊びに来てまして、
ソノ付近で何か見れる所はナイか?と訊かれたんですよ。
友人も猫が好きなので、沖島の猫ヨシヨシを提案して現地に向かったの
ですが(…元日の寒さで猫が活動してるかどうかは別として)、途中まで
来た所で、参加者の体調不良やらでキャンセルになってしまいました。
…「折角ココまで来たから」という事で、自分なりにツブシの利くネタを
考えて、木ノ本〜敦賀の北陸本線の旧線跡を探りに行く事になりました。
上の画像は元旦から営業してて非常に助かった、京都府宇治市内の
LPガス屋さんです。大都市だから大丈夫だろうとは思いましたが。
そんな感じで途中から名神高速道路に乗り、湖北方面へと向かいます。
…近江八幡辺りではイイお天気だったのが、段々と悪化して行きます。
木之本〜今庄は、まさに峠越えですよね。ソレは鉄道も高速道路も
同じ事。一応チェーンは積んでますが、木之本で降りるから要らないか。
という事で、今回はJR北陸本線の木ノ本駅からスタートします。
…町の名前は「木之本」ですが駅だけが「木ノ本」って事なんでしょうか?
ソレにしてもすっかり雨になってしまいました。上記の事情が無ければ、
もっと暖かい季節に行こうと思ってたんですがね。…恐るべし滋賀県。
この区間は1882年の開通で、以前に
行った杉津線と同じく北陸本線の一番
最初のルートの1つでした。
その後、1957年に余呉〜近江塩津を
回る現在のルートに切り替えられ、
こちらは柳ケ瀬線として残ったものの
1964年に廃止されたという経緯です。
…殆どが道路に転換されてるそうな。
…駅の並びとしては、木ノ本−中ノ郷−柳ケ瀬−雁ヶ谷−刀根−疋田
−鳩原(信)−敦賀…となります。あと見たいトンネルが幾つか。
Wikipediaに、それぞれの駅の緯度と経度が載ってますので、今回は
ソレをそのままカーナビに入力して進む方法で行ってみましょう。
…コレはハイテクだ!と思ったんですが実の所、結構ズレてました。
ともあれ今年も元日から廃線跡巡り、何となく暗示的なスタートですね。
木ノ本駅南側の踏切で北陸本線を渡り、すぐの交差点から国道365号線
に入ります。
…この道を真っ直ぐ行くと、現在の北陸本線に近い内陸部の山間を
抜けて福井県の今庄方向へ抜けるらしいのですが、冬場はエラく雪深い
のでしょう。頻繁に通行止めになるような旨の看板が出ておりました。
雪国らしく道路脇に散水設備があり、水が噴き出してるのはイイとして
カナリ高く飛ぶもんなんですね。
…フロントガラスを直撃する勢いなので慣れてナイとびっくりしますよ。
暫く並行していた北陸本線は、途中から左へ反れて行きます。
…現在の線路は余呉湖の北東側を通って近江塩津へ抜けますが、旧線
は更に北へ直進する格好になるんですね。
更に行くと長浜市余呉支所という公共施設が出てきます。
…現在は合併で長浜市に含まれるものの、コノ辺は元は余呉町だった、
ここはソノ当時に町役場だった所。という感じですかね。
この付近が、柳ケ瀬線で木ノ本の次に当たる中之郷駅の跡地だそうで、
低いホーム跡とレプリカの駅名票が残っておりました。
では、まずココから探っていく事にしましょう。
さてソノ柳ケ瀬線ですが、木ノ本を出て最初の駅の跡地である中之郷に
到着しております。
歩道に沿って低いホームの跡が残っています。…廃止が昭和39年と
いう事で、資料によると末期は短編成の気動車が僅かに走ってた程度
だそうな。電車化されて嵩上げされる事も無かったのでしょう。
レプリカの駅名票の裏に、簡単な歴史が記してあります。
「出征、凱旋の人達を送り迎え(中略)涙で迎えた悲喜交々の…」
まぁコノ辺の事情はココに限った事ではなく全国的に同じでしょ。
ホーム上は公園のような感じに整備されており、もう1枚の駅名票
が放置されておりました。…現役時のモノにしては新しすぎるか?
コレにも裏に由来が書いてありますね。「旧跡国鉄中之郷駅舎之地」。
…気候が良ければゆっくり読むんですが、寒いんで勘弁して下さい。
そんな感じで中之郷駅の跡地を見終えまして、再び発車です。
…段々と洒落にならない感じの吹雪になってきましたが、次が線名にも
なってる柳ケ瀬駅の跡地ですか。
指定されてる緯度と経度をGoogleマップに入れると、確かにソレらしい
地点が表示されるのですが…「名前のない場所」ってのが寂しいです。
…はい、ココのようですね?同名のバス停がある以外、駅っぽい遺構は
何もありません。というか寒いんです、助けて下さい!
先程の中之郷は、役場の近くだから余呉町の中心部だろうし、ココも
近くに集落が見えるので、全くの秘境駅という事もナイのかな?
…見るモノも少なそうなので、早々に次へ行ってみましょう。
柳ケ瀬駅の跡地から暫く走ると、敦賀方向へ行く県道140号線との
分岐点が出てきます。ココからはコノ県道が廃線跡なので、標識に
従って右へ折れる事にしましょう。
…方角としては左が敦賀なんですが、国道365号線はコノ先で県道を
オーバークロスして方向を変えるようですよ。
先程の分岐点から先は、廃線後に
バス専用道路となってた区間でも
あるのですが、鉄道時代は分岐点
から少し先に雁ヶ谷駅がありました。
…恐らくコノ辺だと思われますが、
遺構らしきモノは見当たりません。
右の築堤が北陸自動車道で、コレの
建設時に地形が変わったようです。
そして雁ヶ谷駅のすぐ先にあるのが、この区間随一の規模の柳ケ瀬
トンネルです。長さは1,352m、ココで県境を越えて福井県に入ります。
鉄道では単線のトンネルだったので、道路にすれば1車線。大型車と
自転車、歩行者の通行は禁止されてるようですね。
開通は同区間の開業と同じ1882年、近代化産業遺産に登録された旨の
記念碑と伊藤博文(参議)の筆による頭上の額が残ってました。
…断面の小さい古いトンネルなので、昭和に入って大型化した機関車が
走行すると煙の逃げ場がなく、実際にソレが原因で機関士などが窒息
する事故が起きています。
雁ヶ谷駅はこのトンネルの管理施設を兼ねた駅でもあり、鉄道創成期
のエピソードとしてよく出てくる「煙カットのカーテン」があったそうな。
現在は一般道路ですが、幅が狭く見通しが効かないので、お約束の
交互信号が設置されています。…赤が6分30秒なんだそうな。
そして二輪車用の押しボタンもありますが、押してどうにかなるもん
なんですかね?…早まったら混乱するだけでしょ。
ともあれ青になりましたので、いよいよトンネルに入って行く事にします。
意外と交通量が多く、交互信号で待ってる間に後ろに5台ほど並んで
しまいました。…よって無駄に途中で止まったり出来ないのですが、
ホントに単線鉄道サイズのトンネルです。照明も然程明るくありません。
一応は、途中に待避所みたいなのが幾つかありましたね。…という事で
無事に通過して福井県側に入りました。こっちも雪がスゴいわ。
ポータル付近は狭くて邪魔になるので、車を広い場所まで移動させて
戻ってきました。改めて福井側の入口も観察してみましょう。
すぐ隣の高架橋が北陸自動車道です。…私も何度も通った所ですが、
こんな所に廃線跡とソレ流用のトンネルがあるのは知りませんでした。
滋賀県側のと同じ近代化産業遺産の記念碑と、由来を書いた碑文が
あります。…寒いので全部読むのは勘弁して下さい。
暫く走ると、平行する北陸自動車道をくぐって、ソレの北側へ出ます。
次が刀根駅の跡地という事ですが、ココも何も残ってませんでした。
…昔はソレなりに集落があったのか?当時から秘境駅だったのか?
今となっては謎です。そしてカーナビが表示してる通り、北陸自動車道
の刀根パーキングエリアの裏手に当たります。
コノ辺りを車でよく通る方なら、刀根はパーキングエリアの名称として
のほうがよく御存知でしょう。
…どんな所だったかな?と帰りに寄り道してみましたが、トイレと自販機
だけの最低限のやつです。次の賤ケ岳サービスエリアとかの方が、お店
が多くて利用者も停まりやすいパターンでしょうか。
更に走ると県道としては新しく迂回して廃道になってますが、古いトンネル
がもう一つ出てきます。続いてはココに寄り道しますよ。
さて柳ケ瀬線跡地ですが、続いて発見した古いトンネルを見に行きます。
…ホントは車から出るのが寒くてツラいのですが、無視は出来ません。
名称は小刀根トンネルと言うらしいです。
敦賀側から来ると、このような大きな注意標識と一緒に案内されてるの
ですが、木ノ本側からだと見落とす可能性もあるので気を付けて下さい。
道路が不自然に曲がってる箇所で、木ノ本側は恐らく道が途切れてる
のだと思われますが。
ココにも文化財指定を受けた事を示す石碑と簡単な説明文があります。
1882年の開通時に掘られたトンネルで、先程の柳ケ瀬トンネルなどと
同様、日本人の技術力だけで造られたトンネル群としては東海道本線
の逢坂山トンネルに次いで2番目のモノなんだそうです。
そして、他のトンネルは道路化の時に無くなったり手が入ったりで、
建造当時の状態で残る唯一のモノだという事です。へぇー。
…土木学会選奨土木遺産?まだまだ私の知らない種類の文化財認定
がありますね。あんまり多様化しすぎると有難みが薄れる気もしますが。
続く刀根トンネルも、廃線跡のソレとして同時期のモノですが、こちら
は道路の拡幅に合わせて大きく改造されているのが、素人目でもよく
分かります。まぁコレが流れとして普通なんですが。
トンネル群を抜けると、ようやく人里に戻って来た感じで、現在の線路に
近い国道8号線に合流します。
…こちらも融雪用のスプリンクラーがエラい勢いで噴出しておりますが、
暫く走ると次の駅跡があるようですよ。
廃線跡はコノ先で、大津から湖西ルート
を通って来た国道161号線と合流します。
…161号線を高島方向へ少し戻った所
に新疋田駅があり、この辺は以前に
有名な新疋田カーブの撮り鉄で来た事
があるんですが、道路が合流した先の
集落に、疋田駅の跡地があるという話
なので探してみました。
ココのようです。線路跡は集落内を通る一般道となっており、ホームの跡
らしき低い石垣だけが残ってるのが確認出来ました。
…ホームがあれば、ソノ上は駅舎や
待合室などがあった土地なんでしょう
が、上の画像の如く公民館と思しき
建物があります。
そして車を停めた位置から来た方向を
振り返ると、ココにも別の建物が。
ずっと廃線跡のルートの筈なんですが、
ココは残ってナイ事になりますね。
続いての場所が、新旧の路線が合流する地点
にあったという鳩原信号場なんですが…
緯度と経度を検索してみるに、何となく見覚え
のある地点が出てきましたよ。
ぁ、ココは以前に先述の撮り鉄で来たのと
同じ場所じゃないですか。
当時はまだまだ、廃線跡に関する知識もナイ
ので、ココがそうだとは知らずに撮っており
ましたが、確かに入口にあったバス停は鳩原
という名前でしたね。
こう言う再発見には楽しいモノを感じます。
…で、またしても「名前のない場所」かい。撮り鉄スポットであるという
情報ぐらいあっても良さそうなモノですが。
しかしコレでようやく謎が解けたと言うか、右側の無意味な空き地の
意味が分かりましたよ。ココに柳ケ瀬線が入ってきて、合流する線形
だったという事になりますね。
…峠を越えて、ようやく厳しい寒さからは解放されたものの、雨で
鬱陶しいので、撮り鉄はせずに去る事にしました。…待ってられん。
という事で、ゴール地点の敦賀駅まで
走って今回の探索の旅は終了です。
…この構図は、前回に杉津線を探りに
来た時のに出来るだけ近い感じで撮り
直してみました。
あの時は気温35℃を越す真夏であり、
何とも両極端なハナシではありますが、
ともあれ北陸本線にあった2本の旧線
が、コレで繋がりましたね。
…木ノ本から始めて、まず柳ケ瀬線を見る。そして敦賀を経由して後半は
杉津線とか、1つの観光ルートとして成り立つじゃないですか(大型バス
だと走れない箇所があるのは事実ですが)。
木村鉄道でもそんなツアーが出来たら面白いと思います。誰か社長に
進言してあげて下さい。
…以下おまけ。そんな感じで旧北陸本線だった柳ケ瀬線を跡地を探り、
敦賀から帰ろうとしたタイミングで、市内にこのような廃線跡を発見
してしまいました。
どうやらコレは、敦賀駅から敦賀港まで存在した貨物線の跡地のよう
です。…また探りに行く必要があるんですかね?
ネタが尽きないのは結構ですが、微妙に遠い距離なんですよ…。
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