2017年8月、かねてより気になっておりました、北陸本線の敦賀〜今庄
の旧線区間を探りに行ってきました。
周知の通り敦賀〜今庄の「山中越え」の区間は、急勾配が連続する
難所であり、開業以来ボトルネック状態だったワケですが、1962年に
北陸トンネルが開通して現在の新線が出来、スピードアップと輸送量の
増加が図られる事になりました(…トンネル火災もあったけどね)。
その後、元の北陸本線だった区間は殆どが自動車の通れる道路として
残されておりトンネルもそのまま、場所によっては駅の遺構などが保存
されてると聞きましたもんで、以前から行きたいと思ってたんです。
そんな感じで、まずはJR北陸本線の敦賀駅からスタートします。
…事前に調べた今庄まで旧線の経路は右の通り。
敦賀−深山(信)−新保−葉原(信)−杉津−山中(信)−大桐−今庄…と。
信号場多すぎでしょ!まぁソレだけ難所だったんですが。んで「○」を
付けたのが停まって見る予定にしている地点です。…結構あるでしょ?
では出発しましょう。敦賀駅を出たら、まずは国道476号線を走ります。
…一部の区間はコノ476号線がそのまま鉄道の旧線でもあるのですが。
新快速が敦賀まで来るようになって、交直切替のデッドセクションは
北陸トンネルの手前に移される事になりましたよね。
…まぁ今時、デッドセクションで車内灯が消える電車ってのも減りました
から、乗ってて気が付かないケースもあるでしょうが。
暫く行くと「北陸トンネル入口」という看板が出てきます。ソレに従って
脇道へ入ると北陸本線の踏切に出ますので、ココからトンネルの西口
が見えるようなんです。
この地点の北側の集落に「深山寺」というお寺があり、集落名もそう
なってますので、全く遺構はナイものの、コノ辺に深山信号場があった
ものと思われます。

この踏切の名称が「木ノ芽踏切」。…元々の街道でココを越える峠が
「木ノ芽峠」と言い、脇を流れる小さな川が「木ノ芽川」となってます。
北陸トンネルもソレに因んで「木ノ芽トンネル」という仮称だったらしい
のですが、やはり当時としては国内最長のトンネルになるという事で、
十河信二総裁の一声でスケールを大きく「北陸トンネル」と命名された
そうな。
写真では見切れてしまいましたが、
入口左側の階段の上に1972年11月、
急行「きたぐに」の通過時に起きた
列車火災事故の慰霊碑があります。
…コレに関しては語ると長くなるので、
今回は割愛しましょう。
気が付いたら現地の気温は35℃!
イイ天気を通り越してカナリ暑い日に
なりましたが、続けて探って参ります。
北陸トンネルの敦賀側の入口を見た後、国道476号線を走って行くと、
道路脇に小さなトンネルが残ってるのが確認出来ます。

…敦賀側から見て左の歩道に、明らかに鉄道サイズの古いトンネルが
ありますが、コレが最初の見学地である樫曲(かしまがり)隧道です。
敦賀〜福井に鉄道が通ったのが明治29年の事、現在の北陸トンネル
のような長大なトンネルを造る技術が無かった当時は、旧線区間に
13箇所のトンネルを掘り、急なカーブとスイッチバックを繰り返しつつ
峠を越える必要がありました。…ソノ時に掘られたトンネルの1つです。
長さは87メートル。見た感じほぼ直線のようですね。
単線の鉄道サイズなので、元は敦賀側からの一方通行で、反対側は
横に造られた切り通しを走る構造だったそうな。
現在は国道が拡幅されたので、どちらも切り通し側を車が通る事になり、
樫曲隧道は歩道のトンネルとして残されています。
 
やはり明治期のトンネルですから、地道にレンガを積んで造られて
います。…レンガの積み方にも色んな種類があるようで、ソレを解説
する看板が設置されておりました。
そしてやはり、貴重な文化遺産である事が認められ、他のトンネルと
一緒に2016年に文化財指定を受けたそうですよ。

歩道のトンネルになったという事で、大きなトラックなども通らなく
なったからでしょうか、洒落たレトロ風の照明が取り付けてあります。
…しかしココ、結構な山越えのルートで、次の集落までもカナリの距離
があるんですが、歩いて通る人ってドノ程度居るのかしら?
脇の国道を迂回する格好で今庄側
へ抜け、無駄にイイお天気の下を
進んで行きますと、先程の樫曲隧道
からすぐの所にあるのが獺河内
(うそごうち)隧道です。
…コレに関しては、国道の拡幅工事で
2車線用の近代的なトンネルに改め
られてしまいましたので、鉄道時代の
原型は留めておりません。
…線路が無くなって50年以上経ってるんだから、ある程度は仕方ないか。
その獺河内隧道から2km弱の所に、同じ獺河内という名前の集落があり、
ソノ手前に道路が不自然に広くなってる所があります。…どうやらコレが
次の見学地である新保駅の跡地なようですね。

添えてある説明看板によると、元は信号場だったのが駅として昇格した
ようですが、駅名の「新保」は実際は、もぅ少し離れた所にある集落から
取ったそうな(由緒のある地名らしい)。…そう言えば、さっき敦賀駅で
その行先を表示したバスを見かけましたわ。
写真に出てくる列車は旅客列車なのにD51の重連ですな。…しかも
重油タンク装備のがっつり勾配用です。難所だった事がよく分かるね。
敷地の横に「新保駅跡」という意外と立派な記念碑も建てられています。
…背後に見える、防音壁のある高架橋は北陸自動車道ですね。
駅だった土地の一部は、北陸自動車としても再活用されてるそうな。
石碑の下部に、駅構内の配線図が示されています。
…元々が交換設備だけの信号場だった所へ、後からスイッチバックの
機能を付け足したもんで、カナリ複雑な配線だったらしいです。
そんな感じで新保駅の跡地を見て、更に進みます。
…見えない所にありますが、当然に現在の北陸トンネルも並行して
走ってるらしく、斜坑の入口を示す看板があったりしました。
そして近くには、建設中の北陸新幹線のトンネル工事現場もあります。
「新北陸トンネル」は、全長が約20kmになるそうで、新幹線のトンネル
は大抵が平行在来線のソレより長くなるという伝統?の通りですね。
…キツい曲線とスイッチバックで越えてた頃の旧線跡から見ると、時代の
流れってのを強く感じましたよ。
先程の新北陸トンネルの工事現場に「葉原JV」とあったように、コノ辺の
地名を葉原というらしく、跡地は確認出来ませんが葉原信号場があった
地点に近いのだと思われます。
同じ名前のバス停がありましたよ。…はい、以前に新疋田付近で撮り鉄
をやった時にも見ましたが、敦賀市のバス停は松本零士仕様でしたね。
そして更に行くと、道が分かれて大きく曲がってる地点に出ました。

ココから線路跡は国道476号線を外れ、県道207号線に移ります。
元は左の地図に示したような赤色の線だったと思われますが、神社の
敷地を整備した時に道路が途切れたとかで、築堤から鋭角に曲がって
元に近い場所に戻るような線形に改められています。
…真似しようと思う方(居るのか?)はココに注意して曲がって下さい。

…車の背後にも見えますがルート全体を示した案内看板がありますから、
ソレを目印にすれば大丈夫か。
そして県道207号線に入ると、ソレまでと雰囲気が変わりまして、明らかに
鉄道の単線区間そのものの風景になりましたよ。
暫く行くと、次の見学地である葉原隧道に到着です。
コレも単線の鉄道トンネルをそのまま道路に使用してるもんで、自動車に
すると1車線分の幅しかありません。
資料によると長さは979メートル。この区間に残ってるトンネルの中では
2番目に長いモノになるようです。…なので頭上に交互信号機が設置され
ておりまして、両方からの車が途中で出くわさない構造になってました。
…では信号が変わるまでの間、トンネルの周囲を観察してみましょう。
※演出上、車線の真ん中に停まってますが、実際は左に退避場所があり、
ソコに停まるのが正しい待ち方です。

鉄道の単線サイズ、そして非電化時代のトンネルですから、内径はソレ
ほど大きくナイので制限高さは3.5メートル。…大型トラックとかは無理?
と言うかさっき撮った画像では3.2メートルになってましたね。
トンネルの断面ってのは丸いですから、端っこがソノ高さなんでしょう。
そしてココも文化遺産として登録されておりました。
…鉄道に関して、最近は何となく「乱発しすぎ」な気がしないでもナイが。
では信号が青になりましたので進行します。…交互信号ってのは、
奈良県ではトンネル以外にも集落内の狭い道などに設置されてる事
が多いので、私にはビックリするほど珍しいもんではありません。
…やはり1車線分の幅しかなく、途中での交換は無理ですね。
ソノ上、中央部向かっての勾配と僅かな曲線があるので反対側が見えず
だから交互信号が必要なんでしょう。
天井の一部は後年の物か、コンクリートのブロックで補強されています。
そんな感じで無事に通過して、今庄側へ抜けてきました。
…ちなみに現在の国道476号線も、2004年に新しい木ノ芽トンネルが
開通して、一般道の役割もそっちにがメインに変わってるという事で、
この旧線区間は通行量が殆どありません。

暫く行くと、車窓の左手に海が広がります。…敦賀湾ですね。
手前の立派な道路は北陸自動車道の上り線なんですが、コノ辺りが、
旧線区間で最も見晴らしが良かった所だと言う事で、当時は車内放送
でワザワザ紹介してたんだそうですよ。

短いトンネルが幾つか続くのですが、段々と飽きてきたので適当に通過。
暫く行くと、北陸自動車道の杉津パーキングエリアに至ります。
…ココは地形の関係で、上下線がタスキ掛け状態に入れ替わってる所
なので、米原方面へ向かう上り線が西側にあるんですが、この上り線の
パーキングエリアが、杉津駅の跡地なんだそうですよ。
高速道路の施設ってのは、大抵は裏側に
一般道と通じてる通路や駐車場があって、
ソコから出入り出来る構造になってますよね。
またソレでないと働いてる人が通勤しにくくて
大変でしょう。
…という予想で行ったら、やはりソノように
なっておりました。近所の人にもお店を利用
して貰えたら…って事でもあるんだと思います。
ソノ場合は名称がパーキングエリアでなく
「ぷらっとパーク」になるってのは知りません
でしたけどね。…まぁどっちでもイイわ。
夏休み中の日曜日。しかもお昼時という事でカナリ混雑しておりました。
地面が濡れてるのは、小型のスプリンクラーから水が出てるからなの
ですがコレは元々、冬場に雪を解かすための設備なんじゃナイかな。
「打ち水」としても使えるってのは発想しなかったですね。初めて見たし。

最初は「ココで昼食でも」と考えてたのですが、並ぶのが面倒で中止。
以前にも見たモニュメント的な壁画と、建物内にあった解説書きなどを
見て車に戻りました。…キハ82系時代の特急「白鳥」でしょうね。
正確には分かりませんが、コノ辺で感覚的に約半分って所かな?
杉津パーキングエリアでの小休止の後、午後も続いて廃線区間の旅は
続きます。更に北に向かって走りましょう。

短いトンネルが続き、車窓の左側には日本海(敦賀湾)が見えますね。
…例えばバスなどに客として乗って、全く前を見ない状態で走ってたら、
ほぼ鉄道と同じような風景なんでしょう。
そんな感じでいよいよ山中峠…この区間で最長の山中隧道に到着です。
…長さは1,194mあるらしいのですが、交互信号はありません。
形がほぼ一直線で勾配もナイので、遠いっちゃ遠いですが見通しが効く
から省略されたようです。左の画像でも微かに出口が見えてますね。
待ってる間に軽自動車が追い越して行きましたが、カメラを目一杯ズーム
にして右のような感じ。先にトンネルに入った方が優先だそうな。
はい、無事に通過出来ましたね。元々の交通量が少ないので、対向車
と出会う確率は低いのだと思われます。
でトンネルを出た所が山中信号場の跡地です。かつてはココに、
スイッチバックがあったそうな。同じ意匠の案内看板が建ってました。
さっき通ってきた本線のトンネルの横…今庄側から見て左側に、
もう一つトンネルのポータルが見えます。
コレがスイッチバックの引込線の跡でして、土地が狭くて山の斜面に
当たるから、列車の有効長の分だけ行き止まりのトンネルを掘ったん
でしょう。…こちらは道床の跡も残ってました。
当時の事だから優等列車は客車だと最長で15両程度か?
機関車は当然に重連として、やはり必要な有効長は300m以上だわね。
コレだけでは設備(というか長さ)が足りる筈はなく、ココから更に先も
信号場の遺構が続きます。
さて北陸本線の跡地ですが、今回のメイン
であると思しき山中隧道を抜けて、今庄側に
出てきました。
行政区画もココを境に、敦賀市から南越前町
に入っております。
…Googleの地図で確認するに、トンネルの
今庄側の出口に「名所旧跡」のマークがあり、
ソコから更に先に「旧山中信号場跡」と、
もぅ1つ分けて表記がありますよね。
さっきの案内看板とは別なのか?実際の現場
の風景を比べてみましょう。
トンネルの出口から更に500mほど進んだ地点にもぅ一箇所、案内看板
がありました。コレの事だわな。
簡単に「信号場」とは言っても、当時の事だから列車の長さも相当な
モノであり、ソレが交換するには相応の長さが必要…要はトンネルから
コノ付近も含めて全部が信号場の敷地だという、規模の大きな施設
だった事が伺えます。
看板には図による交換手順の説明と、当時の写真がありました。
折り返し線が複線になってるというのは珍しい?…廃止前の北宇智
(和歌山線)なんかもそうだったっけな?アレは駅だけど。
写真の右手が図の「C」に当たる折り返し線ですね。端っこに機関車が
見え、4人の人物が写ってます。
…恐らくは機関士と助手が重連で2組かなと。外で休憩出来るぐらい
の停車時間があるって事は、ソレだけ時間が掛かったワケだよな。
こんな事を複数回繰り返して峠を越えてたんですね。…トンネルで
一気に抜ける事との差がよく分かる貴重な1枚だと思いますよ。
その折り返し線も、当然に線路はもぅ存在しませんが地形としては
残ってます。本線跡を今庄方向に下りながら見てみますが…長い!
そして段々と高低差が付いて行く事が確認出来ると思います。
…最終的にこんな感じの地点で折り返し線は終わってました。本線と
ともにロックシェードが設けられていますが、戦後の後付けだそうな。
高低差は目測で6mぐらいでしょうか?分岐点からの距離が約300m。
計算すると約20‰の勾配という事になりますね。…写真に出てくる
感じの貨物列車にとっては、さぞキツい勾配だった事でしょう。
恐らくコレで、文字通り「峠は越えた」事になると思いますので、後は
軽快に山を下って、今庄方面へと走って行く事にしましょう。
山中峠を越えたら後は下り坂になるので、3速固定で軽快に坂道を
下っていきます。…今庄側から来ると登り坂ですが、こっちは緩やかな
直線が続く感じになるのか。
そして大桐という駅の跡地に到着です。
…イイお天気だというのに、トンネルを幾つも抜けて来たから地下水の
泥跳ねで車体がエラい事になってますが、もうトンネルはナイよね。
開業当初は信号場だったのが、住民の要望で駅に昇格したんだそうで、
一部の資料には「スイッチバック式の駅」とするモノもあるんですが、この
構造は単に安全側線ではナイのかな?
今まで見て来た駅や信号場の跡地としては唯一、ホームの遺構が残って
ました。…無理矢理に置いてある動輪はD51あたりのもんでしょうか?
大桐駅の前後は、築堤や集落脇を一直線に走る線形の所が多く、案内
看板の説明にもありましたがホントに列車からの車窓に酷似しています。
暫く行ったら、現在の北陸トンネルの今庄側の入り口が見えました。
…しかし「出口」と称するのは如何なモノか?そう言えば敦賀側は
「入口」となってたワケですが。こっちの人にはこっちが入口でしょう。
そんな感じでココから現在の北陸本線と合流、平行して走る区間です。

見えてきた駅は南今庄駅です。…北陸トンネルの開通時に、先程の
大桐駅の代替駅として作られた駅だそうで、元から無人駅だった様子
ですね。…折角だから少し寄り道して行きましょう。
ぇ、熊が出るんですか?猫なら何匹出ても大歓迎な所なんですが…。
程なくして構内踏切の警報音が鳴ったので、何か来るんだろうという
事で、矢印の方向に合わせてカメラを向けてみました。
…上りの貨物列車でした。機関車は東北でもよく見かけたEF510の
元北斗星仕様。JR貨物ならではの広域運用ですね。

程なくして下りの特急。…時刻表から推測するにサンダーバード23号か。
夏休み中の日曜なので目一杯増結した12両編成ですな。
サンダーバードも、いつの間にかコノ貫通タイプが主流になってしまい
ましたが、真ん中にヘッドマーク的な物があればイイのにと思います。
…場当たり的な撮り鉄でしたが、何とか様になってますかね?
そして更に少し走り、最終目的地の今庄駅に到着です。駅舎がカナリ
新しい感じですが、今年の3月に改装されたばかりだそうですよ。
今庄は古来から、北陸道の宿場町だったという事で、新しく改装された
ばかりの駅舎には「今庄まちなみ情報館」という小さな資料館が付属して
います。…コレは下調べになかった所ですが、折角なので見学して行く
事にしましょう。

やはり北陸トンネルの開通前は、敦賀と同じくココも「峠を控えた交通
の要衝」だったようで、今庄機関区が置かれておりました。
当時の駅の様子がジオラマで再現されていますが…HOゲージですか?
ソレよりもぅ一回り大きいように見えるんですが。ぃゃ、どうしても
「カネ掛かってそうだなあ」と、斜め方向の感想になってしまいますね。
古い映像資料も上映されてました。
…今庄駅が峠の前後だという事は、
補機の連結や切り離しで、どうしても
停車時間が長くなります。
ソレで考案されたのが駅蕎麦の販売。
「福井と言えば蕎麦」という文化は
ココから来たそうな。「今庄そば」は
現在でも福井駅の名物だわな。
そして駅舎とは反対側の広場…
「サイクリングターミナル」と案内され
てる場所に、蒸気機関車の保存車両
がありました。
…日本の機関車として、また保存車
としても一番弾数の多いD51型です。
この勾配区間の事ですから、恐らくは
旅客列車もコレでやってた事でしょう。

以前に見た幾つかの資料では、煙室のハンドルやらテールランプが
欠損してたようでしたが、ソレも含めてキレイに整備されてます。
…ナンバープレートなんて新しすぎる感じだな。
簡単な説明とコノ481号機の経歴を記した看板があり、キャブ内にも
入れますが、運転機器の部分は金網で覆われておりました。
…岡山、糸崎、新見、浜田?まぁ何かの縁でココに来たんでしょう。
そんな感じで意外と大ネタになった北陸本線の跡地を探る旅でしたが、
日常的に自動車やバイクに乗る方には是非ともオススメのコースです。
元が鉄道だから急勾配っても20‰程度であり、自転車でも行けるかな。
機会があればご案内もしますので。
ココまで来て時間的にもまだ余裕があるので、折角だから一箇所寄り道。
約1年ぶりに猫ヨシヨシのお寺、御誕生寺へ行く事にしました。
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