2019年11月、鶉野飛行場と紫電改を見学した後、自転車を積んだ
レンタカーの軽貨物に乗って約14km、西脇市にやってきました。
ココから平成2年に廃止されたJR鍛冶屋線の跡地を探る旅です。
鍛冶屋線に関しては以前、岡山方面からの帰りに幾つかの駅跡だけ
を見た事があるんですが、路線全体を調べるのは初めてです。
廃止時期に自分が鉄道趣味から離れてた事もあって、時代的には
引っ掛かるのにリアルには知らない路線でもあります。
…記事数のストックを稼ぎたい時は廃線跡に限りますね。
と言う事で現在のJR加古川線の西脇市駅からスタートしましょう。

周辺の地名からも分かるように、ココは元は「野村」と言う駅名でした。
…ココから分岐する鍛冶屋線の1つ目に、同名の西脇市駅があり、
こっちの方が市の中心部に近かったんですよ。
鍛冶屋線が廃止になって、名前を譲って貰ったようなものなんでしょう。
加古川線は概ねココを境に運転系統が分かれており、谷川方面へは
本数が半減する感じになりますね。
…鍛冶屋線は駅舎から最も遠い3番線から発着してたようです。
 
駅の南西側にコインパーキングがあるのを確認してきましたので、ココ
に車を駐めて電動自転車を降ろします。
…片上鉄道の廃線跡を探った時は片道30km以上の長距離でしたが、
今回は往復して24km程度です。あの後、バッテリーの充電器を更新
したのでフル充電が可能となり、航続距離は伸びておりますよ。

駅の西側…3番線ホームに近い裏手の方に、昔からあるような細い
路地があります。ココからスタートする事にしましょう。
右の画像は駅の北の端、構内が終わって線路が単線に戻る地点なの
ですが、この付近に鍛冶屋線の分岐点があった事になりますか。
西脇市駅を出ると線路跡は左へ反れ、ココから遊歩道が始まります。
…廃線跡を有効活用するケースとして、地元の人たちにとって最も
有り難いのがコレじゃないのかな?と思います。鉄道の線路はカーブ
も緩いし最短ルートで目的地を結んでるケースが多いですからね。
車道との交差点は当然に踏切跡でしょう。車止めが設置されてました。
随所に休憩スペースや公園が作られています。
サイクリングロードとしての最初の区間は1.4km程度であり、途中で
休憩を要するほどの距離ではありませんが、ジョギングや犬の散歩
にも向いてる施設なのでしょう。
…その先の並木は鉄道の線路の感覚で見たら明らかに車両限界に
引っ掛かりそうな狭さなので、後に植えられた物だと思われますが。
幹線道路(県道17号線)との交差点には、踏切の踏板の跡が残って
ました。…モニュメント的に故意に残したのか否かは謎です。
暫く走ると1.0km地点。これから先も同様のキロポストもどきが続いて
存在するのかな?と思ったんですが、車道に転換されてる区間もある
のでソレほど多く見なかった気がします。
左右が田んぼで明らかに鉄道の築堤だった区間に入りました。街灯が
設置されてるワケですが、その支柱が明らかに鉄道用の物ですね。
…鍛冶屋線は最後まで非電化だったから、架線柱ではなく通信用の
電線でしょう。柱には昭和29年の年号がありました。
「工」は国鉄の所有物や土地の境界の杭などに多用されてる記号で、
明治時代の「工部省」に由来します。
田んぼに挟まれた築堤を暫く行くと、陸橋に差し掛かりました。
下を流れる小さな川と車道を1本跨いでいます。…コレも明らかに
鉄道施設からの流用でしょうね。
下へ降りて確認してみると橋台などはカナリ昔の感じですし、橋桁は
鉄道のガーター橋の上部を追加して、幅を広げた感じでした。
そんな感じで現在の西脇市駅から約1.4km、遊歩道は一旦終点となり
幅の広い市街地の道路が出てきました。
この付近に元の西脇市駅があったようです。廃線後に駅は無くなり、
「西脇市」という駅名は元の分岐点だった野村駅に譲られました。
土地は再開発され、ホテルやマンションなどが建っていました。
…歩道が広く取ってあり、ちょっとした公園のようになっています。
鉄道があった事を示す痕跡は何も見当たりませんが、案内板が1つ
あって、ソレに説明が記載されていました。
廃線後の土地や施設の使い方ってホントに千差万別ですよね。
まぁ30年近く経ってるから当たり前か。
ココから先は廃線跡がバイパス道路として活用されています。
あまり風景が変化しないので飛ばして行きますが、沿道のドラッグ
ストアなどはこの道路があるから出来たような物の筈でしょ。
…廃線跡だとは知らずにこの道を通って買い物に来る人も多い筈。
更に走ると2つ目の駅だった市原駅跡に到着しました。
…ココにはキハ30型気動車が2両、静態保存されており、元の駅舎を
再現した「鍛冶屋線市原駅記念館」が建てられています。
この記念館には以前に来た事があるので、今回は簡単にのみ紹介する
事にしますが、早速中へ入ってみましょう。
…こちらは以前に来た時にも見学しましたので、重複を避けるため
簡単にのみ触れておきますが、館内の切符売場などもリアルに再現
されていますね。
廃止時に記念ラベル仕様のワンカップ大関まであったとは知りません
でした。…アレは確か、容器が透明だから商品ラベルの裏に写真が
印刷されてるんですよ。私か子供の頃はエロ写真なんかもあったぞ。
奥の方は展示スペースで、お約束の鉄道グッズや古い写真が数多く
展示されいてます。…廃止が1990年だからJR移管後の事であり、
末期は加古川線と共通運用の緑色の気動車が主に走ってたのだな。
ココで小休止がてら、法華口の「モン・ファボリ」で買ってきたパンを
頂きます。…米粉のパンだから甘い菓子パン系のやつが合いますね。
そんな感じで再出発して、事前に調べてきた情報では市原駅の少し
北側にある「市原東」という交差点から、再びサイクリングロードが
始まる筈だったんですが、何やら様子が違うんですよ。
…「コレで合ってるよな?」と何度も地図を見直したんですが、どうも
そのサイクリングロードは新しいバイパス道路に変わってしまった
感じなのです(右の画像の奥手へ続いて行く部分)。
しかも道路は完成してるものの、ガード柵で塞がれてますから、まだ
供用が始まってナイのでしょう。…コレはどうした物か?
取り敢えずは西側を平行する従来の道路を走りつつ、畦道から少し
だけ新しい道路を見に行ってみました。
…そんなに頻繁に来ない地域なので詳しくは知りませんが、環境から
してコノ辺も恐らくは車社会であり、従来の道路は古い集落の中を
通ってますから、車はバイパスを通した方が安全なのかな?
こうなってしまうと廃線跡らしき面影は殆ど無くなってしまいますが、
ソレ目当ての物見遊山で走る客の事を考えてか、所々に当地の遺跡
などを紹介する案内看板が見られました。
…幾つか見たけど「ココが元は鉄道だった」という物は無かったな。
ソレが些か残念ではありますが。
新しいバイパス道路に沿って走ると、羽安という駅の跡に着きました。

…ココにはホームの跡と休憩スペースのような屋根付きのベンチが
作られています。この道路がサイクリングロードだった頃から存在する
施設で「一目で分かりますよ」という情報を得ていました。
ソレはソノ通りとして、何やらイベントの準備らしき状態になってます。
私がココを見に行った翌日の11月4日に、鍛冶屋線の廃止30周年と
新しいバイパス道路の開通式を兼ねたウォーキングイベントが実施
されると言う事で、恐らくココがゴール地点になるのでしょう。

関係者の方が多くでて準備作業が行われてるワケですが、道路には
地元の子供さんがチョークで描いたであろう巨大な列車の絵があり
ますね。…青い車体のソレは、やはり鍛冶屋線末期の気動車でしょう。
車が通るようになってしまえば、道路に直に絵を描く事は出来なくなる
でしょうから、開通式に相応しい演出とも言えますな。
右の看板は駅名票でしょうか?翌日から公開されるであろう感じで、
この時は段ボールで覆われたままでした。…コレだけは実体が気に
なるから、後日何かのついでがあれば見に来る事にしましょう。
こちらは常設の物ではなく、イベント限定で公開される感じのパネル
展示のようです。…古い時代の駅舎や列車の写真を中心に、鍛冶屋線
の歴史を紹介する感じで説明が為されていました。
…イベント前の段階だから断られるかな?と思いつつ準備をしてる方
に訊いてみたら、撮っても大丈夫だと言う事でしたので、簡単にのみ
ですが記録しておきました。
準備中だからゆっくり見るヒマも無かったんで、終了後もドコか(市原駅
の記念館とか)で公開してくれたら有り難いんですがね。
この羽安駅跡の先にある同名の交差点で、バイパス道路は終点です。
…てかココから先の廃線跡は既存の道路として、以前からある物なん
ですが、今後は四差路の交差点になるので、横断歩道などの工事が
行われていました。
廃線跡が新しい道路として有効活用されるのはイイ事ですが、この程度
の規模のローカル線だったらサイクリングロードのままで置いといて
貰えた方が、個人的には楽しいんですよね。
田舎ほど車社会だから、ソノ土地なりの事情はあるのかも知れません。

左は一見すると普通の車道ですが、コレも廃線跡なんですよ。
…立派な道路があるのに家の玄関がソレに面しておらず、反対側を
向いてる事で察しが付く状況でした。
羽安駅跡を出て少し走ると廃線跡は多可町という町に入ります。
2005年に近隣の3つの町が合併して出来た自治体だから、鍛冶屋線
が走ってた頃には存在しなかった事になりますね。
Wikipediaで見ると「敬老の日」の発祥地なんだそうです。…昔の事
はイザ知らず、今は尊敬に値する老人って殆ど居ない気がするけど。

歩道の柵に列車のデザインの物が使われており、コレが辛うじてココが
線路跡である事を示す物になるでしょうか?
…しかしパンタグラフが付いてるから電車だわ、カラーリングは昔の
小田急みたいな事になってるわ、カナリ適当ですね。
その先にある小さな公園が、曽我井という駅の跡地だそうです。

ココには駅があった事を示す案内看板と、駅名票が残されています。
写真で見る限り春には桜がキレイに咲く所のようで、現在でも周辺に
多くの桜の木が植えられているのが確認出来ました。
…しかしコノ駅名票だと、ホームは終点の鍛冶屋に向かって左側に
あった事になりますね。現在の道路と公園の位置関係からすると
些かズレてる気がしますが、桜並木は植え替えられたのかしら?

更に行った「あかね坂公園」という公園の付近が。次の中村町駅の
跡地になるようです。…歩道が線路をイメージしたデザインですね。
この辺が多可町として合併発足する前の中町という自治体の中心部
で、中町の役場がそのまま現在の多可町役場になってるそうです。
公園にはコレまた適当なデザインの汽車のオブジェと、お約束の
駅名票が残されておりました。…廃線から30年以上経ってるワケ
ですが、国鉄タイプのソレが朽ち果てずに残ってるのが不思議です。
…てか廃止時はJR西日本に移管されてた筈ですが?まぁ過渡期
には国鉄の色々がまだ残ってたのをよく見かけたし、ソノ時点で
廃止が決まってた路線なら更新は見送られた可能性もありますね。
駅名票からも分かる通り、ココを出ると次が終点の鍛冶屋です。
あと少し走る事にしましょう。
さて鍛冶屋線の跡地を探る旅ですが、先述の通り中村町駅の跡地付近
が旧中町の中心地であり、現在の多可町役場もココに置かれています。

…地元の人にとっては「中町」という地名の方が馴染み深いのか、役場
の前には「中町」としての町政80周年の記念碑が建っておりました。
その近くに何故か錆びたレールが2本。
…鉄道があった事を示す記念物としては中途半端だし、ベンチか何か
として再利用されてるフシもありませんね。全く以て謎です。
更にバイパス道路を進むと、車道は三叉路で行き止まりになっており、
その真向かいに大きなポプラ(だと思う)の木が2本上植えられた地点
に出ました。…ココからまた自転車道が始まるようですよ。
説明書きによると「水と風の遊歩道」と名付けられた道のようです。
起点近くは西脇市なので、ココとは行政区画が異なりますが同じような
発想でこちらも自転車道が作られたようです。
…廃線跡の土地は自治体に譲渡されるケースが多いのですが、その
活用方法に関しては各自治体によって大きく異なるのが事実。
市の境界を越えると一気に状況が変わるケースを幾つも見てきました。

「水と風の…」と題してあるだけあって、随所に噴水(らしき物)を備えた
公園が造られています。…しかし今が冬場だからか経費節減のため
なのか、長らく水を出してナイように見えましたな。
更に進むとまたガーター鉄橋が出てきました。…加古川の源流の1つで
概ね鍛冶屋線と平行して流れる杉原川という川です。
ココを渡れば終点の鍛冶屋駅まではあと1km程度であり、恐らく運転士
さんの気持ちも「ようやく一息」って感じだったものと思われます。
欄干には鍛冶屋線を走ったC12型蒸気機関車と、現役時代の気動車
列車の写真が飾られておりました。…若桜鉄道で体験運転をさせて
頂いたC12型の167号機がココ出身だとは知りませんでしたが。
この鉄橋も側面へ回り込んで全体像を見てみましょう。
…やはり鉄道のガーター鉄橋そのままの造りで、中央部だけが物見台
のように広げてある感じです。
そんな感じで私の廃線跡旅もあと1km。間もなく終点の鍛冶屋駅跡に
到着しますよ。
…西脇市内にあったのと同じような新しい距離票が建ってますが、
周囲はめっちゃお墓ですね。帰って画像を見てから知りました。
自転車可の遊歩道として整備された廃線跡が約1.5kmに渡って続いて
おりますが、所々に信号設備の機器箱と思しき物がモニュメント的に
残されていました。
…ぃゃ、私でも「コレは何だ?」と訊かれたら上記の感じにしか答える
事は出来ないワケで、一般の人から見たら単なる箱でしょ。
信号機本体とか、もっと分かりやすい物は無かったんですかね?

入口付近にあったのと同じタイプのアーチ状のゲートがあり、ココで
廃線跡は終点になります。…駅跡である事を示す看板がありました。
鉄道もソノ使命を終えたと判断されると廃止されるワケですが、
廃止時期や周辺環境によって廃線跡の再利用方は様々ですよね。
既に周辺の道路が充実しており、線路跡にまで建物を建てる必要が
ナイ場合に、こうして遊歩道として残されるケースが多い感じか?
…勿論、私にとってはソレが一番有り難いんですが。

駅の跡地には「鍛冶屋線記念館」として、元の木造駅舎をリフォーム
した建物と1両分のホームが残されており、キハ30型気動車が1両
静態保存されています。
…「鍛冶屋線記念館」でネット検索した場合、ココと先述の市原駅の
記念館の両方が引っ掛かるワケですが、ココは限定的にしか公開
されてないようで建物内には入れますが部屋は施錠されておりました。

こちらも以前に来た時に(見れる範囲で)見学しましたので簡単にのみ
紹介しておきますが、ホームには鍛冶屋駅の他、手前の中村町駅の
駅名票も建てられています。
鍛冶屋線の車両は加古川線と共通運用だったから同じ青緑色です。
…車両が雨ざらしなので段々と色褪せてきたのが残念な所ですね。
そんな感じで関西のJR(国鉄)の廃線跡も、自分が世代的に知ってる
所は大部分を回れたような気がします。…このカテゴリーの今後は、
他の地域の面白そうなやつを選んで回る事になりそうですね。
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