2019年6月、岡山県の同和鉱業片上鉄道の廃線跡を探るべく、軽貨物
のレンタカーに電動アシスト自転車を積み、奈良から同線の起点だった
備前片上にやって来ました。
…終点近くの吉ヶ原駅跡はに何度も訪れ、関係者の方とも親しくなった
もんで、折角だから廃線跡を走破してみよう。と言う試みです。
距離にして30km以上あるんですが、同線の廃線跡はソノ大部分の区間
がサイクリングロードとして整備されております。
起点近くの西片上にホテルを取り、ココから柵原まで電動アシスト自転車
で走る。着いたらコミュニティバスで戻って、レンタカーで自転車を回収
に行く。…と言う段取りです。
ホテルに入ってから暗くなるまでの時間で、近くで見れる所だけでも
見てしまう事にして、荷台から自転車を降ろします。
ホテルから自転車で5分程度の所に、例のDD13の保存車があります。
…ココが片上鉄道のホントの起点と言うか、始発駅の奥にあった貨物
ヤードの場所ですね。
瀬戸内海に面した埠頭なので、柵原の方から運ばれてきた硫化鉄鉱は
ココから船に積まれていたと思われます。
ジャンプ台のように残るスロープは、ココに貨車を上げてカーダンパー
で荷下ろしするための施設の跡だそうな。
傍らに「宇野バス/片上」と書かれたバス停らしき標識がありました。
…名前は付いてるものの時刻表の部分が完全に抜けており、今は
用を為していないモノと思われます。後で分かるんですが、コノ辺は
いわゆる普通のバス会社による路線バスが少なくて不便です。
線路はまずココから東の方向へ向かってたらしいのですが、空き地
の先にドラッグストアが建ってて、まずコレで完全に塞がれています。
ドラッグストアの建物を迂回すると、すぐ隣がスーパーマーケットの
敷地になってました。…左の画像で駐車場から出る「止まれ」の文字
がある私道が恐らく廃線跡、隣の狭い路地が元からの道路でしょう。
スーパーマーケットと同じ敷地には、郵便局や家電量販店などの店舗
も入っており、小規模なショッピングモールになってるようです。
…そしてソノ敷地の入り口に小さなロータリーがあって、モニュメント
として少しの線路と客車の車輪などが残されておりました。
元々はさっきのスロープ近くにあったという「0」のキロポストもココに
移されてます。そして簡単な案内看板が設置されてました。
…黄色い図柄の沿線地図は、古い車両の車内にある物と同じですね。
少し行くと、川(運河?)を越えてたと思われる箇所があり、鉄橋は
残ってませんが橋台の跡が見られました。
…今日はココまでで止めてホテルに戻り、早く寝て翌日の本格的な
廃線跡サイクリングに備える事にしましょう。
電動アシスト自転車のバッテリーもしっかり充電しておきました。
…とは言っても父が生前に使ってたヤツなので、経年劣化のせいか
フル充電でもモニターは50%ソコソコなんですよ。
恐らく全行程を走るには足らないので、平坦な場所などは出来るだけ
電源を切って節約しないといけませんね。
今回はドコでお昼になるか分からんので、私も朝食はしっかり食べて
おきます。…朝食の開始時間が6:30からで助かったわ。
気になるお天気の方は、外へ出たら路面が濡れており、雨が降った
事が確認出来ましたが、現実には止んでるようなので、思い切って
実行する事にします。
…一応は雨合羽と傘も用意してありますので、ヤバそうなら途中で
着ればイイでしょう。
昨日の続きから見ると「いかにも廃線跡」な不自然な形の空き地が
ありますね。…この廃線跡が車道を斜めに横切った所から、サイク
リングロードが始まるようです。
まず上を跨いでるのがJR赤穂線
のガーター橋、すぐ平行して奥に
見える白い方は国道2号線ですね。
サイクリングロードとなった廃線跡
のすぐ隣に、自動車も通る一般道
がありますが、車道の方が狭いのが
面白い所です。
…そしてすぐコノ左が西片上駅です。
片上鉄道はココではJR(国鉄)とは接続せず、コノように下を
通って山陽本線の和気方面へ続きます。
更に行くと「起点」と記された案内
看板が出てきました。サイクリング
ロードの名称は「片鉄ロマン街道」。
…この看板は今後も同じ書式で要所
要所に出てくる事になります。
終点の柵原まで34.2kmですか。
実際の片上鉄道の営業キロより少し
長いようですね。
…完全に全ての区間で廃線跡をサイクリングロード化したとも思えず、
もしかしたら途中に迂回路でもあるのかも知れません。
上の画像の看板の奥に少しトンネルらしきモノが見えますが、ココに
山陽新幹線の高架があります。…暫く待つと、大阪から鹿児島行き
としては2本目になる「さくら541号」が通過して行きました。
…と、ココでは割と上品そうな猫に会いましたので、取り敢えずこの子
に「行ってくるよ」と挨拶して、片上鉄道の廃線跡を探る旅が本格的に
スタートしました。
…全行程で30kmあまりのうち、和気までが10km(左の標識はカナリ
大雑把ですが)と言うのが意外と言うか、片上〜和気ってもっと近い
もんだと思っていました。和気までで約1/3は来てしまうって事でしょ。
今回の旅で参考にしたのが、社員旅行の時に貰った古めかしいコピー
用紙によるダイヤグラムです。…コレに各駅間の距離と平均勾配が
載ってますので。
ソレによると最初の駅、清水までが勾配の数値が最も大きいの。
…画像では読みにくいですが28.6‰と書かれています。
イメージとしては山(柵原)に近い方が勾配もキツくなる感じでしたが。
サイクリングロードの随所に、鉄道時代のキロポストや勾配票などが
残ってますが、その28.6‰も残されており、近くに現役当時の現地を
写した写真が展示されていました。…カナリ劣化してますが。
片上は海に面してるから標高はほぼ0mとして、ココから小さな 山脈
を1つ越えて、和気の町が川の流れで浸食された谷間である。ココは
そんな地形のようです。
私は地理学に関しては門外漢ですが、コノ程度なら分かりますので、
地図や勾配票を見て色々と推定してみるのは面白いですわ。
山を越えるのに鉄道では無理がある高さになると、トンネルを掘る
のは当然の発想でしょう。暫く行くと「峠清水トンネル」と言うのが
出てきました。ココが片上鉄道で最長のトンネルだったようです。
このトンネルを越えると、備前市から和気町に入ります。
鉄道時代のトンネルをサイクリングロード用に改修したのでしょうが、
生活道路でもナイ「レジャー施設」に近いモノなのに、結構な予算を
掛けてますな。照明や火災報知器なども完備してるようです。
…コノ辺でやはり雨が降り出して、しかも段々と強くなってきました。
始めてしまったモノは仕方ないので、雨合羽を着て続ける事にします。
鉄道ってのは自動車の道路ほどキツいカーブは作れませんので、
廃線跡のサイクリングロードも線形としてはカナリ緩やかです。
そして踏切だった場所も見れば容易に分かる構造になってますね。
天候は良くないものの季節的にお花が多く、また沿線の方が小まめ
に手入れをされてるのでしょう。見てて癒される景色の所が多かった
ですね。…右の画像はマリーゴールドですかね?
そんな感じで、まず最初の駅だった清水駅の跡地が出てきました。
さっきの山を越えるので、片上から清水まで4.1km。ココの区間が
駅間の距離も一番長くて、勾配も最も急なのは少し意外でした。
切り石を積んだホームが残ってます。…駅名票はレプリカっぽいかな。
ホーム上には藤棚みたいな木陰になったベンチがあります。
…サイクリングの途中で休憩出来るようにしてあるのでしょう。
そして周囲の簡単な観光案内の看板。…コレも以後、統一された
デザインで随所に出てくるモノで、場合によっては現役当時の駅や
車両の写真が載っており、興味深く見る事が出来ました。
この看板には、コース全体の土地を断面にした図が載ってるんですが、
やはり全体の中でさっきの山越えが、最も標高が高く勾配も急だった
事が分かりました。
この図によると終点近くの吉ヶ原の標高が50m程度です。…もっと高い
もんだと思ってたらから、コレまた意外ですね。
駅跡の隣には公衆トイレも造られています。後で気が付いたんですが、
建物のデザインが吉ヶ原をはじめとする終点近くの三角屋根の駅舎に
似せたモノになってるようですよ。
と言う事で、まだ始まったばかりですが、一番の難所は越えてしまった
ようです。後は気楽…って事もナイですが、取り敢えずは安心して次に
進む事にしましょう。
トンネルを抜けて和気町に入り、少し平坦な区間になってきました。
…廃線跡も田んぼの中を一直線に進む感じで、少し単調ですけどね。
程なくして次の中山という駅の跡地に差し掛かりました。
…片上鉄道の廃線跡はほぼ全線がサイクリングロードとして整備
されてるワケですが、駅の残り方には結構な差があります。
吉ヶ原は別としても、駅ノートのある天瀬や苦木など、駅舎がそのまま
残ってる駅もあれば、先程の清水みたいにホームだけの所もあります。
…ココなんかは「ほぼ何もナイ」状況ですね。
辛うじてレプリカの駅名票と、例の案内看板が設置されてるだけでした。
実は今回、大海駅長からの依頼で「他にも駅ノートのある駅跡はナイ
か、調べてきて欲しい」という目的もあるのですが、理想を言えば駅舎、
最低限でもホームと「雨を防ぐ何か」が必要でしょうね。
そして再三「ほぼ全線が」と書いてるように、時々廃線跡が途切れる
区間もありました。恐らくは道路の拡張や土地の切り売りで無くなって
しまった部分なのでしょう。
サイクリングロードとしての案内標は、そんな所も親切にフォローして
あるので、迷わず走る事が出来ますよ。
…と言う事で廃線跡は、そろそろ吉ヶ原方面へ向かう国道374号線に
近いルートを走る感じになります。
山陽自動車道の和気インターが出てきましたね。ココ、前回に吉ヶ原
を再訪した時に高速道路から降りた所だから覚えてますわ。
しかし高速出口から国道に合流する丁字の交差点には、名所案内の
看板や飲食店らしき建物があるので、ソノ背後にある廃線跡には全く
気が付きませんでした。
…こう言う発見は楽しいですね。半分は見覚えがあるワケですし。
更に行くとイキナリ通行止めのバリケードが出てきました。
…この先に鉄道時代のガーター鉄橋を再利用した橋があるらしいの
ですが、「崩落の恐れあり」と言う事で改修工事の途中らしいのです。
仕方がナイので国道へ迂回します。そのお蔭と言うか、ガーター橋を
横から見る事が出来ました。…ホントに鉄道そのままですな。
雨は少し小降りになったものの、本格的に天候が回復するワケでも
ありません。まぁ何とかなるでしょう。…そろそろ和気駅の筈ですね。
…西片上を出て1時間と少し、前半に一番の難所がありましたが、
ようやく2本目となるJRの線路が見えてきました。
山陽本線の和気駅です。…丁度貨物列車が信号待ちで停まってますが、
片上鉄道はココでJR(国鉄)と接続してました。
昔は国鉄と線路を介しての貨物輸送が一般的だった筈ですが、始発駅
に直近の備前片上を無視してこっちへ持ってきたのは、やはり赤穂線
よりは各地へ出やすいから、そして山陽本線の方が貨物列車の本数も
多いからではナイでしょうかね?
和気駅の駅舎は東西方向に走る山陽本線の北側にあり、片上鉄道は
ソレとは反対側に乗り入れてたようです。
…国鉄では基本的に駅舎の本屋に近い方から番線番号を振る習慣が
あったので、1〜3が山陽本線、4・5が片上鉄道です。跡地は現在は
JRの訓練用の施設になってるそうな。
駅舎側へは地下道が通じてるようなので、折角だから行ってみましょう。
地下道の壁にレールの輪切り?が配されてるのが象徴的ですね。
…特に説明は見当たりませんでしたが、片上鉄道のレールから再利用
したモノだとすれば、なかなかのセンスだと思います。
雨は降ったり止んだりの状況です。雨に濡れる事より雨合羽の中が
蒸れて気持ち悪いですな。
和気駅も片上鉄道が無くなってしまうと、山陽本線の中では典型的な
中間駅でしょう。…ココもバスやタクシーのロータリに屋根が後付け
された感じで、駅舎本体が見えにくくなっています。
2面3線のコレまた典型的な配線で、岡山方面から来た普通列車が
2番線で折り返すのがデフォのようです。
今回、帰路はココを中継点としてコミュニティバスなどを乗り継ぐ
計画なのですが、バスの便が不自由すぎる事に些か驚きました。
ともあれ、コレで気分的に1/3は来た感じでしょう。…雨が小降りに
なりましたから、一旦は雨合羽を脱いで続きを走る事にします。
ココから片上鉄道は山陽本線を越えて北上するワケですが、現役時代
を知らない私は何となく、複雑なポイントで山陽本線を平面的に超えて
北へ抜けるイメージを持ってたんですよ。
実際は少し幅を取って、曲がった勾配で高度を稼ぎ、鉄橋で山陽本線
をクロスオーバーする線形になっておりました。…そりゃそうですね。
ココも律儀にサイクリングロードに転用されてますが、ガードレールや
鉄橋部分の高いフェンスなどは、当然に後から付けられたモノでしょう。
…自転車(道路として)でもキツく感じる勾配ですが、コレは鉄道時代
のままなんですかね?片上鉄道のDD13型はエンジンが強化されてて、
DD51型なみのパワーがあったそうですが。
山陽本線は相変わらず貨物列車がよく通ります。
…模型の方でも現代のソレとしてJR貨物版のコキは何両が仕入れて
ありますので、ついついコンテナの配列に目が行きますが、昔ながら
の5t積みは逆に少数派になってるのかも知れません。
廃線跡は山陽本線をクロスオーバーした高度のまま、金剛川と言う川を
渡ります。このガーター鉄橋も、鉄道時代の物がそのままサイクリング
ロードに転用されてる感じでした。
離れて見ないと分かりませんが「片鉄ロマン街道」のロゴが入ってます。
そして傍らには現役時代の様子を写した写真が、カナリ痛んでますが
掲示されていました。
…硫化鉄鉱を運ぶホッパ車でしょう。カナリの長編成だったんですね。
ガーター鉄橋が途中でカーブしてるってのは、珍しいんでしたっけ?
「同和鉱業片上鉄道」の銘が確認出来る銘板が残ってました。
1973年ですか、恐らくは何度か架け替えが為されてると思われます。
ココを越えたら暫くは、平地をノンビリ走れるかな?
…ウチの電動アシスト自転車のバッテリーは終点まで持つと思えない
ので、少し節約しながら走りたい所なんですがね。
和気を出て暫く行くと、次は本和気と言う駅の跡地が出てきました。
…恐らく鉄道が開通する前に、町の中心部だった所でしょう。
駅舎やホームは無く、レプリカと思しき駅名票が残るだけの駅跡です。
添えてある現役当時の写真に写ってる車両は、同じ同和鉱業でも
秋田県の小坂鉄道の車両ですね。…向こうが先に廃止されたから、
転勤してきてココで走ってたんですが、残ってナイのは残念だわ。
駅跡には「足つぼマッサージ」なるモノが設置されておりました。
…靴を脱いで鉄棒に掴まり、地面にある粗めの石で足の裏をグリグリ
すると気持ちいい。とかそんな所かな?
自転車を漕いできて休憩するにはイイ物かも知れませんが、この雨
では逆にツラいでしょ。気持ちだけ受け取っておきます。
引き続いて和気の町の中を抜けて行きます。
…サイクリングロードは元は鉄道なので、小さな路地も立体交差に
なってるのが面白い所でしょう。
暫く行くと、県道規格の幹線道路が出てきました。当然に元は踏切
だったであろう交差点です。…ココが起点の西片上から丁度10kmの
地点のようです。
そして終点の柵原までが24kmあまりですか。…走り方にもよりますが
お昼頃には着きそうかな?何となくのペース配分が見えました。
ココの標高は24.9mだと言う事です。10km走って24.9mだと平均勾配
は2.5‰程度って事ですかね?…勿論アップダウンはあるし、最大で
28‰の勾配は越えて来たワケですが。
先述しましたが吉ヶ原や柵原って、内陸部で鉱山がある所だからもっと
標高が高いイメージがありました。…割と朗報です。
傍らにあった案内図によると、このサイクリングロードは終点から更に
湯郷温泉を経て、最終的には津山市までも行けるようです。
流石にソコまで行くと「廃線跡巡り」の範疇を越えてしまいますけどね。
続いては益原と言う駅の跡地です。こちらもホームや駅舎は見当たらず、
駅名票のレプリカがありますね。
ソレと並んで「さよなら片上鉄道」題した掲示板があり、何やら貼って
ありました。…形状からしてサービスサイズの写真だと思われますが、
見事に色褪せて何が何やら。
雨ざらしであると言う環境だから仕方がナイにしても、写真メーカー
が謳ってた「100年プリント」と言うのはウソなんでしょうか?
駅跡近くに「和気ドーム」と「和気鵜飼谷交通公園」という施設があり
ました。…多目的な公共施設のようですが、交通公園と言うからには
子供たちを対象に交通ルールなどを学べる所なのかも知れません。
やはり電動カートのコースなんかがありますね。…雨の平日なので
人の気配は皆無でしたが。
そして敷地の脇に、有蓋貨車のワム80000型が1両保存されています。
…ベストセラーな貨車なので、片上鉄道でも国鉄から何両か購入して
使用されていたモノのうちの1両のようです。
国鉄末期、余剰になった貨車を「倉庫や店舗にどぉ?」と大量に売り
出された事がありましたが、当時は下回りを残したまま倉庫になってる
モノも結構ありました。
…保存車両と倉庫の線引きはドコにあるんでしょう?
同じくココの敷地には、片上鉄道の遺産として腕木信号機や和気駅の
駅名票などが残されています。
駅名票は末期の国鉄と同タイプですね。他の駅でもコレが普及してた
とすれば、1世代前の感じの木造の物がレプリカだと言う事になる?
…時代は新しいけど考古学みたいな発想です。色々と考えつつ旅する
のは楽しいもんですな。
益原を過ぎると国道374号線と吉井川に沿って走る、お馴染みの光景が
出てきました。
何度か見ていた大きな水門は、新田原井堰と言うモノらしいです。
…水を堰き止めて、付近の田畑に水を配る農業用の水門としては、
日本一の規模なんだそうな。
案内看板はサイクリングロードにしかナイし、車だと一気に通過して
しまうだけだから、旅行者には分かりにくい情報です。
やはり一度は自転車で走ってみよう。…と発想して良かったですよ。
川と国道に沿って走ってますが、一段高い所なので見晴らしもよく、
大きな勾配もナイので楽ですね。…バッテリーが持つかどうか不安
なので、こんな感じの所は出来るだけ電源を切って節約しましょう。
と言う事で、いよいよ次が天瀬です。前回、駅ノートを描きに来た時
は桜が満開(散り始め)の季節でしたが、今はすっかり新緑の風景に
変わっておりました。…雨は止んでますので雨合羽は脱ぎましたよ。
駅そのもののの説明は当時の記事を読んで頂ければイイと思います
ので割愛します。一応、現状だけ確認しておきましょう。
相変わらず謎の「チルノート」が大量にありますな。てか増えてない?
…コレを置いてる人は置いてるだけで、管理は地元の方がやってると
聞いた事があります。置いたからには責任を持たないとダメでしょ。
そして私の絵は何故か無くなっておりました。
周囲の書き込みの日付と照合すると、切り取られた箇所があるので
恐らくコレなんですが、意味が分かりませんねー。
…まぁデジタルデータでは保存してあるし「描いたモノに対して執着
してはいけない」と言うのが決まりだそうで、私もソレに倣って特に
「返せ」とか言わない事にしておきます。
駅ノートのある天瀬駅跡を過ぎて暫く行くと、トンネルが2つ連続する
区間に差し掛かりました。
それぞれ「天神山第1号」「天神山第2号」と記した銘板が取り付けて
あります。…片上鉄道のトンネルは確か、最初の方で出て来た峠清水
トンネルが最長のモノで、後はコレだけだったと思います。
素人目には切り通しにしても良さそうな感じですが、何らかの事情が
あったんでしょう。…まぁ列車でも自転車でも、走ってる時に出てくる
「小道具」としてはイイ感じです。
廃線跡は更に、国道374号線と吉井川に沿って走ります。
左の画像の所が河本と言う駅の跡地らしいのですが、ソレらしい痕跡
は全く見られませんでした。
…廃線から20年以上ですから、売れる土地は売ってしまうだろうし、
印象が変わってしまう所が出るのも仕方ナイのかも知れませんね。
暫く行くと国道を渡って川沿いへ出る線形になってました。どんな形状
かは不明ですが、元は踏切だったと思われます。
…コノ付近の廃線跡は一貫して、国道より上(高さ的に)を走ってるもん
だと思い込んでましたので、コレは新たな発見でしたね。
付近にあった案内看板によると、鉄道が開通する前は吉井川を上下
する高瀬舟が往来しており、この辺りにも船着場があったようですよ。
添えられてる写真の風景が見事です。つくづく現役時に乗れなかった
事が悔やまれますが、同じ季節に自転車で走るのもイイのかな?
吉井川はコノ付近でUの字の如く大きく蛇行しており、片上鉄道もソレ
に対して忠実に線路が曲がっています。…その半島?みたいな所に
佐伯と言う集落があり、備前矢田駅が存在したようです。
モニュメントとして4灯式の場内信号機が残されておりました。資料に
よると交換設備を有する中規模な駅だったようですね。
ココにある案内看板は、吉ヶ原駅前のと同じ気動車デザインの物です。
…気分的にはカナリ終点に近付いた感じですが、概ね半分程度かな?
片上鉄道は周知の通り貨物列車が主体の路線だったので、交換設備
のある駅は大抵、カナリ長い有効長があります。現在は片側のホーム
が残ってるだけで、ソノ上にレプリカの駅名票が建っていました。
元はコノ周辺で生産される肥料の積み出し駅でもあったようです。
…硫化鉄鉱が主な積み荷である片上鉄道ですが、有蓋貨車などが
存在したのはソレ用だったのかも知れません。
駅舎があった側は宅地として転売されてしまった感じです。
資料を見るにココの駅舎は一般的な木造駅舎であり、吉ヶ原のような
三角屋根では無かったようです。
…案内看板に現役当時の写真が載ってましたが、小坂鉄道から来た
キハ800型(片上での名称…恐らく700があるのでソノ次って事か?)
と、DD13牽引の客車列車が写ってますね。…レアな取り合わせだ。
駅跡を過ぎた所に、出発信号機が残されています。…単線だから
2灯式だな。でココが地域のゴミ集積場でもあるらしいです。
「信号機の所」と言うのはイイ目印になってる事でしょう。
そして暫くは国道374号線を右に見ながら平坦な田んぼ道を走ります。
…4月に天瀬と苦木の駅ノートを描きに来た時は、どっちも山の中腹
みたいな場所だったので、こんな感じに川側へ出る区間があるとは
気が付きませんでした。
そして川が蛇行してる半島?の部分を過ぎると、再び国道を渡って
山手の方へ入ります。左の画像の所がまた踏切だったと思われます
が、ソレらしい痕跡は確認出来ませんでした。
…そしてココに井ノ口駅と言う貨物駅が存在したらしいのですが、
コレは戦前の1931年に廃止されており、跡地はもっと分かりません。
色々と見ながら走ってると、法面に現役時代の通信線のステイ?が
残ってたりします。平地だと「ハエ叩き」と呼ばれるアレになるんでしょ。
そんな感じで20km地点を過ぎて、続いてがもぅ1つの駅ノート箇所
である苦木駅跡です。
ココに達する手前に起点から20kmを示す標識がありました。
…ようやく2/3って事で、段々と先が見えて来た感じですね。
苦木駅跡に関しても、詳しくは駅ノートで訪れた時の記事を参照して
頂ければイイと思いますので、ココでは割愛します。
…まだ先は残ってますが結局の所、吉ヶ原までで駅舎と駅ノートが
存在した駅は天瀬とココだけに留まりました。
たかだか20kmだとは言え、起点の西片上から自転車で走ってきたと
言うのは感慨深げなモノがあります。
私が描いた後に増えた駅ノートの作品はF17さんのモノが一点。
オリジナルキャラの2名(坪尻さんと新改さん)に加えて、アングラー
さんの「苦木さん」が登場します。
…見た感じ10代のギャル系の女の子のようですが、未成年に酒は
飲ませてませんよね?ぁ、バスケットに入ったサンドイッチがあるわ。
ちなみにココに描いた私の絵は無事に残っておりました。ソノ基準が
よく分からないのですが。
苦木を出ると次が杖谷と言う駅跡になるようですが、駅の痕跡は全く
残っておらず、和気町のごみ処理施設になってました。
…辛うじて木製の記念碑だけがあります。資料によると「民家の庭先
が駅になっていた」と書かれてます。可能ならそんな家に住みたいわ。
続いての駅が備前塩田となってますが、ココも駅跡は存在しません。
敷地は地域の公民館になっており、モニュメントとして踏切の警報機
が建っています。
ココから終点の柵原までが、全て例の三角屋根の駅舎だったと言う
事ですが、結果的に現存するのは吉ヶ原だけと言う事になるようです
(黄福柵原は除く)。
…残しておけば文化財指定を受けてた所なんでしょうが(吉ヶ原駅が
文化財指定されたのは廃止後15年を経た平成18年)、ソレはソレで
維持にも費用が掛かるハナシだろうし、難しいんでしょうかね?
ココからは少しサイクリングロードと線路跡が離れるようです。
国道へ迂回して吉井川を渡ります。…少し離れた北側に片上鉄道の
鉄橋があったと思われますが、現地では確認出来ず、帰って航空写真
を見て「なるほどココか」みたいな感じでした。
川を越えると和気町から赤磐市に入ります。…広かったな和気町。
暫く行くと備前福田駅の駅名標(レプリカ?)などが出てきました。
備前福田駅は、どうも厳密にココにあったワケではなく、トイレや
休憩場を整備した時に標識などを持ってきてモニュメント的に設置
したようですね。
トイレは片上鉄道らしい三角屋根の駅舎をモデルにしてあります。
隣にベンチのある休憩スペースがあり、記念写真用のグッズなどが
用意されておりましたが、駅ノートは確認出来ませんでした。
…まぁココに置かれても描くネタは特にナイかも知れませんね。
廃線跡はコノ付近から、サイクリングロードではなく一般の農道?
として道路に転用されています。…また雨がキツくなってきました
ので、田んぼの脇にある倉庫の軒下で雨合羽を着る事にしました。
この付近にあったのが周匝(すさい)と言う駅です。
…普通に読めないカナリの難読駅ですが、赤磐市が発足する前に
存在した吉井町の中心地に近く、駅も例の三角屋根の立派な駅舎で
Wikipediaなどの画像を見ると駅前にはタクシーが常駐してます。
しかし現在は駅跡が製材工場になったようで、右の画像の木材が
立て掛けてあるやつがホームの上屋の跡なんだそうです。
…何たる栄枯盛衰かと思いますが、時代の流れなんでしょうね。
この辺りから進路を西に取り、国道を渡ります。
そして再び、鉄橋で吉井川を越え、吉井川に沿って見慣れた吉ヶ原
方面への風景の中へと進んで行く感じのようです。
右の画像で遠くに見えるのが、社員旅行の時にバスで渡った国道の
橋です。初めてアレからこっちを見た時は、水路橋かと思ってました。
鉄橋の名称としては「第二吉井川橋梁」て言いまして、廃線後も
元のガーター鉄橋を人道橋に直して地元の人に使われてたモノが、
平成10年の台風で流されてしまったそうです。
後に全線をサイクリングロードとして整備する時、現在のコンクリート
製の橋に架け替えられたと言う事で、他所者には分からない苦労が
あった事が偲ばれますね。
吉井川を渡り、坂を下った所が美作飯岡駅の跡地。「みまさかゆうか」
と読むようですが、一発では変換出来ませんでした。
明らかにホーム跡に見えるモノが残っており、下が傾斜地なので
農業用の資材倉庫の代わりにもなってるようですが、資料によると
「1面1線の駅」なんですよね。
…自転車を降りて雨の中を歩いてみるに、別のホーム跡が確認出来
ました。こっちの方がしっかりした造りであり、駅舎の入口だった
であろう階段なども発見出来ました。
なので先程のは古い貨物ホームとか、そんな類の物だと思われます。
こちらの駅も例の三角屋根の駅舎だったようですが、撤去されて歳月
が経ってるのか草に埋もれてしまっています。
駅前には何件かの商店もあった感じですが全て廃墟になってました。
…そのまま進むと片上鉄道の廃線跡としては珍しい、踏切の遺構が
残っています。
次がいよいよ吉ヶ原なのですが、ココからは廃線跡がカナリの区間で
無くなってしまってる(他の用途に転用されたり)ようで、取り敢えずは
一番近いと思われる一般道を走って、吉ヶ原へと向かう事にします。
そしてサイクリングロードの起点である西片上を出発して約5時間、
ようやく見慣れた吉ヶ原駅が見えてきました。
距離にすれば30km程度なのでしようが、止まって見物したり写真を
撮ったりが多いもんで、どうしても時間が掛かりますね。
奈良から自転車で来たワケではありませんが、5時間掛けて辿り
着いて、自分が普段地元で乗ってる自転車がココにあるって事が
不思議でもあり感慨深いモノもあります。
…「菊池桃子さんごっこ」を少し考えたけどヤメときましょう。
来る度にココで記念写真を撮ってる気がする柱の駅名票と、猫駅長
の名札を今回も押さえておきます。
…周匝あたりから雨がキツくなってましたので、雨合羽を着用した
ままですが、ココまで降るなら髪の毛は固めなけりゃ良かったなと。
周知の如くイベントのナイ日の吉ヶ原は、静かでノンビリしてます。
…丁度お昼時なので、昨日ののうちに西片上のマックスバリューで
仕入れておいたおにぎりで昼食にしましょう。
この天気では更に誰も来ないだろうと思ってたら、ドライブ途中で
立ち寄ったような女性が来て「この電車(路線の事か?)はドコへ
行くんですか?」みたいな事を訊ねられました。
…知らない人から見たら、現役の鉄道と間違うほどの残り方だから
無理もナイでしょうね。「ココは保存鉄道なのでココだけです」的な
事を簡単に説明しておきましたが。
駅ノートは保存会さんのモノが普段から置いてあります。…新作は
不知火さんとF17さんの合作が1点。私の絵だと明らかに浮くから、
誘って頂いた事はありませんが「ソレ対応」も練習も少し要るかしら?
駅ノートに関しては結局の所、今までに知られてるココと天瀬・苦木
(イベント時は黄福柵原も)以外に新しい発見はありませんでした。
…そもそも駅舎(に準ずる建物)が残ってないと置けませんわな。
吉ヶ原に着いた事でほぼ終点みたいな気分ですが、まだ残ってます。
あと1駅、ホントの終点だった柵原を目指して出発しますよ。
…天瀬と苦木も駅舎は残ってますが、吉ヶ原は路線の要衝だった
だけに前記の2駅より立派な駅舎だし、勝手知ったる所になって
しまいましたので、ココでお昼になったのは丁度良かったです。
片上鉄道保存会が運営している保存区間に関しては、過去の記事
を参照して頂ければイイと思うので、ココでは割愛します。
…確か廃線後はレールも一旦は全て撤去されてたのを、保存会の
皆さんがほぼ手作業で復活させたんですよね?
公開運転用の線路の途中に、33kmのキロポストがありました。
ココまで復活させたからには、位置も現役時代と正確に同じだと
思われます。
33kmを関東の方向けに解説すべく測ってみたら、東京駅から直線
距離で横浜・袖ケ浦・千葉・春日部・所沢あたりの感じになりました。
…今日は我ながらよく走りましたね。まだ残ってるけど。
そして現在の終点になっている黄福柵原駅。
…公開運転日以外は施錠されてますが、取り敢えず記念写真です。
同駅の奥に留置されているホハフ2003は、反対側の塗装直しも
完了したようです。…機回しは出来ませんがDD13牽引の客車列車
としても、公開運転に使って欲しい所ですね。
周知の如く、今線路が残ってるのはココまでになります。…実際は
ココからまだ1kmほど先の柵原が、現役当時の終着駅だったので、
今回は更に進む事にしました。
少し勾配を付けて築堤上を走るのが廃線跡ですが、社員旅行で昼食
場所へ移動する時、保存会の方が少しだけ解説して下さいました。
現在は道路への転用が決まっており、ソレが開通する段階になると、
廃線跡の風景も風化してしまうのかも知れません。
右の画像の奥に見えるのが、元は鉱山労働者の方たちの為の宿舎
だったそうな。…社員旅行の時は、コノ辺で曲がったので、廃線跡
としての全貌はまだ知らない事になります。
…雨も些か小康状態になってきました。次回、ようやく終点に到着です。
社員旅行の時に昼食のお店へ向かうべく曲がった道をそのまま進むと、
築堤を崩して道路が切り通しになってる所に出ました。
…元はココに鉄橋が掛かってたモノと思われます。そしてソノ先が、
明らかに鉄道の築堤をタテ切りにした地形になってました。
そんな狭い所も駐車場として使われてるようで、軽ワゴン車とトラックが
置いてあるのが見えますね。この先はどぅなってるんでしょう?
道路より少し高台にある土地が、元は柵原駅とソレに付随する貨物
ヤードだったと思われ、現在はスロープで自動車が上がれる構造に
なってます。
…「一般車両進入禁止」って事は、何かの会社の敷地なんでしょう。
法面のコンクリートに刻印された年号は「1960-5」…大抵コレは建設
された年月を表すモノであり、片上鉄道としての中期ぐらいの物か?
立入禁止なので外から撮りましたが、広い敷地に何台ものトラック
が停まり、雰囲気としては「納品の順番待ち」みたいな感じです。
会社名は「DOWAエコシステムジャパン株式会社」と読めました。
…「DOWA」ってからには同和鉱業の関連会社でしょう。調べてみるに、
金属リサイクルの会社だと分かりました。
同和鉱業は元々、硫化鉄鉱の採掘と精製を行なってたので、ソノ技術
を応用して混じった金属を分類したり、レアメタルを取り出す商売を
始めたと言う感じのようです。
広い敷地を有する鉱山跡の駅を、工場用地として再活用したんですな。
先程の「築堤のタテ切り」の地点へ戻って、分かれ道の反対方向へ
進むと、線路とホームの跡が辛うじて残ってるのが確認出来ました。
…左の画像の大きな茶色い構造物(生成施設の跡?)は、Wikipedia
の柵原駅の画像にも出てくるので見た事がありました。やはりココで
間違いナイようです。
と言う事で片上から柵原まで、全区間を自転車で完走出来ました。
現在の保存鉄道の本拠地である吉ヶ原と、仮の終点として復活した
黄福柵原も越えて、本物の終点に始めて来れた事も嬉しかったです。
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