2020年8月、以前から気になってた関西の廃線跡で、ソノ存在を急に
思い出した所があって、お盆前のある日に日帰りで探ってきました。
JR福知山線(愛称として宝塚線)の生瀬
〜武田尾の旧線区間です。
ココが最初に開通したのは明治32年の事
ですが、左の地図の通り武庫川の上流に
沿ってカーブが続く単線区間であり、難所
とまでは行かないものの、通り抜けるのに
時間が掛る所だったようです。
昭和に入って大阪のベッドタウンが拡大
すると、コレでは時代に合わなくなって、
国鉄分割民営化直前の昭和61年になって
生瀬〜武田尾〜道場の10.4km(現在の
営業キロ)が電化&複線化されました。
旧線は廃止後も長らく放置されてましたが、勝手に入り込んで歩く者
が多く転落事故なども発生したので、平成28年に柵や案内看板など
を整備して、正式なハイキングコースとして再生されたそうな。
…私が初めて福知山線に乗ったのは高校2年の頃(平成元年)だった
と記憶してますので、既に新線に切り替わった後であり。こっちの区間
については写真などでしか知りません。
ただ大阪駅に乗り入れて来るDD51+旧型客車の普通列車は何度か
見た記憶があり、現在のようなアーバンネットワークな状況とはカナリ
かけ離れたイメージでしたね。
事前に西宮市の観光協会に問い合わせた所、夜間は閉鎖される
とかの時間的な制限はナイようです。
まずは現在の生瀬駅に到着です。「なまぜ」と読むんですね。
大和路線の始発列車で奈良を出て2時間弱。7時前に到着しました。
予想通り風が涼しいぐらいの気候です。
この駅も新線の開通と共に改築された…と言うか元の場所から少し
ズレた所に新築された駅だと言う事で、何と言うか「国鉄らしくない」
雰囲気の駅であり、付近が宅地化されてるので有人駅です。
やはりココから廃線跡を歩く人が多いようで、駅の待合室にも案内図
がありました。…謎のウイルスの流行以後、「3密」を避ける目的で
大人数での散策などを自粛するように説明されてますな。
廃線跡のうちハイキングコースになってるのは、道路などに転用され
なかった全長4.7kmの区間です。目安は約2時間か。
ともあれソノ入口まで行かにゃならんのですが、結構遠いようです。
線路に沿って福知山方向へ歩き、武庫川畔へ出ました。
この交差点に出る直前の所に、古い橋台の跡が残ってました。
生瀬駅を出てすぐの地点なので、旧線と新線は然程離れておらず、
すぐ奥手に新しい高架橋が見えています。
新線はココから山間部を長いトンネルで真っ直ぐ抜けますが、旧線は
武庫川に沿ってカーブを繰り返しつつ走ってた事になりますね。
てかハイキングコースの入口まで1.7kmとか、地味に遠くてコレだけで
カナリ大変なんですけど。
国道176号線は、鉄道の福知山線と所々で平行しながら大阪から
福知山を経て最終的には宮津方面へ至る道路です。…土地の人は
「いなろく」と呼んでますね。
武庫川と言うのは、更に下流で尼崎市と西宮市を隔てる川としてしか
知らなかったのですが、コノ辺は中流域ぐらいなのでしょう。川幅が
狭くて急な流れの所も見られます。
しかし宅地化に関してはカナリ進んでるようです。少なくとも旧型客車
でノンビリ走ってては通勤輸送が追いつきそうにナイのも事実。
駅からハイキングコースの入口まで1.7kmほどあって、コレが地味に
遠いワケですが、確認出来た廃線跡は、国道へ出る手前の橋台跡
付近ぐらいの物でした。
恐らく川や国道と平行してもぅ少し山手を通ってたと思われ、帰って
調べた所、10年ぐらい前の資料では道なき道として残ってるように
記録されてました。…今も歩けるのかどうかは謎です。
目前に現れた高架道路は中国自動車道です。宝塚インターと西宮
名塩サービスエリアの間に相当し、私も普段からよく通る所ですね。
廃線跡はコノ先で明らかに川添いへ出てますから、ドコかで国道を
横断してた事になります。…しかし国道の方も曲線改良の工事が
行なわれてる途中のようで、こうなると全く分からなくなります。
今回は先に大きなネタが多くある筈ですので、適当に流しましょう。
そんな感じで歩く事およそ30分、ようやく入口の案内が出てきました。
…ココも近年になって造られたと思しき住宅街に端っこになります。
一応は事前に調べたのと、駅の案内図にもありましたが、コース内に
トイレはありません。入口付近に仮設トイレがありますので、必要な
場合はココで済ませて行きましょう。
矢印に従ってスロープを下ると、右手に農道のような未舗装の道が
見えてきますが、コレも廃線跡の一部のようです。
このスロープの勾配は鉄道には無理なので、駅との高低差を考えると
もぅ少し緩い勾配で下って来たと推測されますな。
…そう思って振り返ると、新しい道路の築堤で見事に阻まれてました。
やはりココまでの廃線跡を特定するのは、もぅ無理なようです。
ともあれココからハイキングコースに入るので、旧線区間の廃線跡を
本格的に見て行く事にしましよう。
…この時点で7:20ぐらい。やはり生瀬駅から30分は掛かってますか。
廃線跡のハイキングコースは、歩き
やすいように砂利で整地されてます
が、随所に古い枕木が埋まってる
のが確認出来ます。
…元から使われてた物か、ワザワザ
敷き直したのかは不明ですが。
簡単な案内図がありますが、コレは
廃線跡より武庫川に関する説明が
メインのようですね。
…求めてる物とは少し違うイメージかな。
土地はJR西日本のままで、施設の管理が自治体に任されてるような
状況でしょうか?夜間や悪天候の場合でも「入るな」とは書いてあり
ますが、門扉を閉めたり等の具体策はナイようです。
そして入ってすぐの所に鉄橋跡がありました。…名塩川橋梁と言う
そうです。平行する武庫川に合流する幾つかの支流に、この規模の
ガーター橋が掛かってるようですね。
欄干や橋桁も、歩きやすいように整備されています。…ハイキング
コースとして整備される前は、物好きが枕木と中央の踏み板だけで
歩いてたんでしょう。私には無理かも。
柵の隙間から鉄橋の横を見てみると、鉄道時代の面影がそのまま
残っています。こう言うのは見てて楽しくなるから好きですよ。
暫くは武庫川に沿って、真っ直ぐ
に進みます。…石の感じからして
中流域の雰囲気ですね。
勾配は全区間を通じて殆どナイの
ですが、鉄道目線の感覚で言うと
カーブが多いから頻繁に速度制限
が掛かり、更には単線区間だから
時間の短縮も列車の増発も簡単
には出来なかったのでしょう。
周囲の風景共々、同じような理由で新線に切り替えられた山陰本線
の嵯峨〜亀岡(現在の嵯峨野観光鉄道)に似てる気がしますわ。
そしてやはり廃線跡なので、歩いてると随所に鉄道時代の設備の跡
が残ってるのが見られます。
…左のが川の様子を見るための物見台だと言うのは分かるんですが、
右の石積みの建造物は何ですかね?大部分が崩れてますが、部屋の
ように人が中に入る事を想定した物のようですが。保線用の小屋?
ソレにしても、JR西日本による落石注意の看板が矢鱈と多いですね。
ヒドい所になると数メートル置きに出て来る感じで、もしかして発注
する数を1桁間違えたとか?流石に鬱陶しいんですが。まぁココまで
書いとかないと危険性を理解しないバカが居るのかも知れませんが。
こんな物に掛ける金があるなら、橋梁やトンネルの解説を充実させて
欲しい所です。もしくは「あと○km」みたいな表示板を立てるとか。
一々地図を見ないと、今ドノ辺であと何kmぐらいあるのか分からん
のですよ。…しかも携帯電話の電波が通じにくく、地図アプリなども
使えない状況です。
続いてもガーター鉄橋が出てきました。ゆるくカーブしてますが、煉瓦
積みの橋脚がイイ雰囲気を残してますね。
…姥ヶ懐川橋梁(情報サイトのをコピペしたので読み方は不明)と言う
そうで、コレも武庫川に合流する支流の1つのようです。
鉄橋は小さな物が手前にあった名塩川橋梁とコレの2箇所。
あともぅ1箇所、武庫川そのものを渡る大きな物が残ってるそうな。
もぅ少し進むと、次はそろそろトンネルが出てくるんじゃナイかな?
川幅が段々と狭くなって、大きな岩が見られるようになってきました。
対岸の山も意外と切り立った岩肌が見えてる箇所がありますね。
太陽は登ってますが曇りがちで、川の上には薄い霧が出てます。
いずれ鉄道ジオラマでも、岩場の情景を再現する事になるかも知れず
(紀勢本線っぽい海岸沿いを作る予定)、こう言う所はよく見ておこう
と思ったりもします。
制限速度の標識も残ってました。…全部は読み取れませんがコレは
「半径○○mのカーブだから時速60キロの制限」ってヤツですかね?
暫く行くと、ようやくハイキングコースの見所の1つであるトンネルが
見えてきました。…コース内には6箇所のトンネルが残されており、
まずはコノ北山第一トンネルから通過する事になります。
「トンネル内…」何やねん?ココがハイキングコースとして整備&解放
されたのが2016年の事ですが、僅か4年で看板が割れたり朽ち果て
たりするとは思えず、ソレ以前から取り付けられてた物なのでしょう。
ハイカー向けの物か、鉄道時代の乗務員や保線担当者向けの物かは
不明です。
…長さが318mと言う事で、コース内で2番目に長いトンネルです。
事前に調べた所、トンネル内には照明の類が一切ないので懐中電灯
を持参するようにとの注意書きがありました。
自宅の非常用に置いてある最も簡素な物ですが、持ってきましたよ。
誰も居ないのをイイ事にフラッシュ撮影なんかもしてみました。
恐らくは蒸気機関車の時代に掘られ、非電化のまま新線に切り替え
られたトンネルなのでしょう。やはり断面が小さい感じです。
随所に避難用の横穴と、信号ケーブルなどを吊ってあったと思われる
金属製の吊り手が残されていました。…しかしトンネルが途中でカーブ
してるので先が全く見えず、ホントに真っ暗な闇ですね。
…懐中電灯は足元を照らすだけでなく、反対側から来る人に自分の
存在を知らせる目的にもなるようです。
早朝でしたが、反対の武田尾側から歩いて来た人に出会いました。
もし明かりの類を一切持ってなかったら、直前になるまで相手の存在
に気付かず、お互いにカナリ驚かされる事になるでしょう。
ゆっくり歩いて8分程度で通り抜けました。ぁ「トンネル内照明なし」と
書いてあったのか。
…トンネルの中と言うのは、季節に関係なく気温も湿度もほぼ一定
だと聞いた事があります。夏場だと外気温が高いから、中は涼しくて
気持ちいい感じでした。
当日は大丈夫でしたが、大雨が降った後なんかには水溜まりが大きく
なり、長靴などが必要な場合も出てくるようです。
まだ先は長いようですが、トンネルを1つ克服したら何となく歩き通せる
自信が付いたと言うか、温度差で汗も引いた感じで元気になりましたよ。
…すぐにまたトンネル?と思ったら、コレは頭上の木の枝が密集した
いわゆる「緑のトンネル」と言われる状態の箇所だと分かりました。
明らかに鉄道車両の車体断面より小さな空間であり、廃線後に木が
生い茂ってコノような状態になったのでしょう。…もっと炎天下の中を
歩いてたら一息つける木陰だったかも知れません。
進行方向の右手には相変わらず武庫川が流れてますので、随所に
保線用の退避場が残ってるのが確認出来ました。
左手…山側の方には時々、落石防止用の柵が出てきます。
この手の建造物によくある建設時期を示す刻印によると1956年10月
に造られた物である事が分かりますね。
…この区間が最初に開通したのは明治時代の事ですが、各時代に
設備の手直しや追加が為されてきたのでしょう。廃線跡好きな者に
とっては、見るべき所が沢山あって飽きないハイキングコースです。
暫く行くと、ハイキングコースの中で最も長い北山第二トンネルが
出てきます。…長さは413mと言う事で、新幹線16両フル編成より
長い事になりますか(何の比較にもなりませんが)。
入口付近はコンクリートで覆われてますが、入ってすぐ煉瓦積みの
明治の雰囲気を残すトンネルである事が分かりました。
トンネル内の退避場所も、石積みで奥が
素掘りな感じの古めかしい物です。
…とココで思い出したんですが、大学時代
の写真部の先輩2名が時々「一度武田尾
へ撮影に行こう」とか言ってたんですよ。
当時(平成1桁台)で既に新線に切り替え
られた後だったし、この2名の先輩は特に
鉄ヲタでは無かったから、夜のトンネル内
に幻想的な風景?を求めての事だったと
思われます。勿論「危険を承知で忍び込む」
事が前提でしょう。しかも奈良から原付で!
…結局は実現しなかったのか、その先輩が
撮ってきたトンネルの写真と言うのは見た
記憶がナイのですが、昼間でも照明のナイ
所で何が撮れるんやら?ですね。
そんな感じでトンネル内を通過中、また反対
側から来たグループとすれ違いました。
ハイカーにありがちに「こんにちわー」と挨拶。
コミュ障の私も、流石に同様に返します。
…コレだけ長いコースの中で、何で連続して
トンネル内でばかり人に会うのか不思議です。
懐中電灯を持ってなかったら大変だったわ。
ようやくトンネルを抜けた所に、コレまた鉄道時代の標識が幾つか、
朽ち果てるギリギリの状態で残ってました。
「退避禁止箇所」にある数字は、起点(尼崎)からのキロ程だと思われ
ますが、新線の開通で生瀬〜武田尾〜道場の区間は1.8kmほど短縮
されています。
まだまだ先は長そうですが、高低差が少ないので楽に歩けます。
続いては、コースの中で最も目を引く大きな鉄橋がある筈ですよ。
暫く行くと地図に数えられてナイトンネル状の建造物が見えてきました。
…この程度の長さの物はトンネルには含まれないのでしょう。ロック
シェード(落石防止用の上屋)かと思ったんですが水路橋のようです。
湧水の量が増えると線路を壊すかも知れず、上を通して逃がす感じ?
写真は撮り損ねたんですが、進行方向の左…山側にもぅ1つ、同じ
大きさの穴が造られてまして、複線化された場合も想定した構造に
なってた可能性がありますね。
更に先には結構な数の枕木が積まれてる所がありました。
…木製の物ではありますが未使用の感じです。使わないんだったら
園芸用とかに売ってしまう手もありそうな気はします。
廃線跡は概ね武庫川に沿って通ってるもんで、随所に保線用の通路
も造られています。で、時々左のような鉄製のフタがあって、開けると
下の河原へ降りれるようなハシゴが設けられていました。
…下の川は鉄道とは無関係でしょうに、降りてどうするんでしょう?
私に知識がナイだけで現役時代は必要な設備だったと思われますが、
残しておくと降りようとするバカが出てくるかも知れず、危険ですね。
続いてが長さ149mの溝滝尾トンネルです。
ソレまでに出て来た物に比べれば短かいので、外の光が届く範囲も
広い気がしました。やはり昔ながらのレンガ積みのトンネルで、
足元には枕木が残されています。
そして溝滝尾トンネルを出てすぐの所に、大きなトラス橋があるのが
見えています。トンネルの中から詰めて撮るのが定番なようですね。
ハイキングコースの中で最も大規模な武庫川第二橋梁です。
案内図に長さの資料がナイのですが、地図上で測ると70mぐらいの
感じでした。標準的なスタイルのトラス鉄橋ですね。
コース中で武庫川そのものを渡ってる鉄橋はココ1箇所だけで、以後
は進行方向の左側に武庫川が来る事になります。…そして武庫川が
市の境界になってるので、西宮市から宝塚市に入ります。
今では歩道としての橋桁や欄干も整備されてますが、廃線後長らく
は枕木と真ん中の踏板だけの状態で、ソレでも歩いて渡る人が多く
居たそうな。…私はコノ方がイイわ。罪悪感を持たずに済むからね。
現役時代に列車の車窓からも見えたであろう感じで1枚。
…国鉄時代の時刻表を見るに、この区間の普通列車は1時間に1本
程度で半分以上が客車列車になっています。…ちょっと見たかったな。
経年劣化で鉄橋の塗装も傷んでますが、コレは塗り直したら一気に
風情がなくなるでしょうね。
ようやく携帯電話の電波が届いたようで、現在地を確認してみました。
ココでおよそ半分ぐらい来た感じでしょうか?
武庫川第二橋梁を渡ると、すぐに次のトンネル…長尾山第一トンネル
に入ります。
こちらもレトロな雰囲気を残す、石と煉瓦で積まれたトンネルですね。
ポータル部分に古い標識が残ってるのが見えたので、読んでみようと
近付いたら、立派なヘビが居ました。私は爬虫類に関する知識がナイ
ので帰って調べたら、ニホンマムシ!?一般的な毒蛇じゃないですか。
…ヨシヨシしなくて良かったわ。ちなみに奥手に見える標識によると
このトンネルは306.4mの長さである事が分かります。…他のトンネル
にも同様の物が付いてた筈ですが、残しといてくれたらイイのに。
トンネルを抜けて暫く行くと、山側にコンクリート製の構造物があり
ました。恐らくは土砂崩れを防ぐための物のようですが、下部に
アーチ状の穴が空いてます(体を屈めれば通れるサイズ)。
…色々と調べるに、これも地下水を通すための穴のようです。
元は埋まってたかも知れない向こう側が、年月が経って少しずつ
土砂が流されたのか、空洞になってました。
面白そうなので入ってみましょう。何となく秘密基地みたいじゃない?
ココからまた暫く、武庫川に沿って走ります。山側の木は桜のようで、
春にはイイ風景になる事でしょう。古い鉄道写真で桜をバックに走る
気動車急行のを見た事がありますので、撮り鉄スポットだったのか?
…しかし他に人が歩ける道は無さそうですから、ココが鉄道だった
場合どぅやって到達したのか謎ですね。
更に行くと、廃線跡にしては広い土地で、公園のようになってる地点
へ出ました。やはり春は桜の名所になるのと、下の河原へ降りれる
親水広場があるようです。
広場から更に奥へ分岐して、別の散策コースが設定されてるようです。
そしてソノ案内図や周囲の樹木をネタにしたクイズなどの掲示物が
用意されてました。
…何か急に親切になったと言うか、最初のうちは落石注意の看板しか
無かったものが、エラく雰囲気が違ってるように感じます。
理由は恐らく、先程の武庫川第二橋梁を渡って宝塚市に入ったから
でしょう。廃線跡の扱いと言うか、ソレに対する手(予算)の掛け方
と言うのは、自治体によって全く違う場合があり、その典型例ですな。
…しかし看板のネタを考えたのは植物に詳しい人たちの会か何かだと
思われ、私が期待する鉄道関係(トンネルや橋梁など)に関する説明書き
が全く無かったような気がしますよ。
ともあれようやく距離を示す道しるべを発見しました。
トイレがある地点が恐らく出口…武田尾側の入口だと思われ、ソコまで
あと540m、武田尾駅まで1,600mと書いてあります。
間もなく終了と言う事になりますか。あと少し、頑張って歩きましょう。
続いてが全長147mの長尾山第二トンネルです。ソレほどの長さじゃ
ナイのと、直線で掘られたトンネルらしく向こう側が見通せます。
…どう言う条件でそうなるのか不明ですが、低い霧が溜まってますね。
北陸本線の時に経験したんですが、曲線も勾配も全くないトンネル
だと1,000m以上あっても何とか先の明かりが見えるもののようです。
明かりが届くので撮影もラクなんですが、地面には枕木が残ってます。
歩きやすいかそうでナイかは人によって違うかも知れません。
程なく最後のトンネル…長さ91mの長尾山第三トンネルがあります。
ソレを抜けるとようやく終点と言うか、ハイキングコース外の風景が
見えてきました。
まだカナリ先ではありますが、現在の福知山線の鉄橋も確認出来ます。
ココが武田尾駅の筈ですよ。
そんな感じでようやく出口に到着しました。最後に渡るガーター鉄橋も
廃線跡の物のようです。トイレはこちら側の方が立派ですな。
私は単に奈良や大阪から近い方の生瀬側から始めましたが、駅から
の距離を考えると、こっち側の方が利用者が多いのかも知れません。
…先ほど見た桜の広場までなら圧倒的に近いワケだし。
出口の前に料理屋さんがありますが、コノ時間ではまだ開店前でした。
廃線跡はココから道路に転換されており、武田尾駅の更に先まで
続いてます。…右の画像の付近に昔の武田尾駅があったようですが、
道幅が少し広くなってる以外に痕跡らしき物は見られませんでした。
もう少し歩けば、今回の目的地にした武田尾駅ですね。周辺の状況と
駅そのものを見て旅を終える事にしましょう。
…武田尾には元々小規模な温泉郷があり、旧線の時代から同駅は
その最寄駅だったワケですが、現在の道路は鉄道だったから、ココで
武庫川を渡って武田尾温泉へ向かってた事になるんでしょう。
現状で同じルートを行くと遠回りになりますが、恐らく元は駅前にあった
と思われる歓迎アーチは今でも残っています。
そんな感じで現在の武田尾駅が見えてきました。武庫川を渡る鉄橋の
前後にトンネルがあると言う狭い地形の所に駅を造ったので、ホーム
(有効長8両)は鉄橋上と福知山側のトンネル内にも掛かります。
…地図で見ると左のような感じになります。赤い線が廃線跡ですが、
恐らく地図上の駅前駐車場から現在位置マークに掛けての辺りが
旧武田尾駅跡だと思われます。
全く違うルートを走ってた新線と旧線がココで交わる事になり、駅の
位置が違うのは当然としても、新旧の線路がほぼ直交すると言うのは
珍しい例ではナイでしょうか?
旧線はココから更に先…次の道場駅付近まで武庫川に沿って走ってた
事になりますが、こちらは何の整備もされてナイ全くの「道なき道」
のようですから、今回はココまでにしておきます。
武田尾温泉には何軒かの旅館があり、日帰り入浴なども可能です。
…歩いた後に温泉ってのもイイかも知れませんが、まだ朝の9時すぎ
なのですよ。営業時間前のようなので帰ります。
こんな所にも痴漢が出るのか。「妖怪人間ベム」のタイトルみたいな
不安を煽り気味の文字がイイ感じですが、絵が完全に色褪せてます。
…どんなイラストが添えてあったのか気になる所ですな。
現在の武田尾駅は無人駅です。鉄橋の真下に改札口がありICOCA
エリアなので券売機の他に簡易式の自動改札機もあります。
…旧線時代の武田尾駅は、単線上の交換駅だったので、最後まで
有人駅であり、交換待ちの普通列車はカナリ長く停まったようですね。
ではココから大阪方面行きの電車に乗って帰りましょう。
日中で15分毎…1時間に4往復が停まります。意外と多いでしょ。
…先述の通り、トンネルに挟まれた鉄橋の上と言う特殊な地形の所
にあるので、ホームの大阪側は武庫川上の鉄橋部分に乗ってます。
そう言えば阪神本線の武庫川駅も同じ武庫川(もっと下流)に架かる
鉄橋の上にホームがありますよね。珍しい偶然ですわ。
そして駅の福知山側はトンネル内です。…駅全体がトンネル内と言う
筒石や美佐島みたいな駅もありますが、鉄橋との合わせ技は珍しい
でしょ。…ドーム状の屋根がカッコいいので、1本遅らせて撮りました。
と言う事で、2駅手前の生瀬駅を出てから約3時間、実際に歩いてた
時間は2時間半ぐらいですが、夏場にも関わらず気温の低い朝のうち
に歩き終える事が出来ました。予定通りです。
大阪から近いので、関西地区の方にはオススメの廃線跡です。
実際に景色がキレイなのは春の桜の時期や秋の紅葉の季節でしょう。
脚力に自信のある方は是非どうぞ。
|
|