廃線跡を探る旅 #0280
The trip for abolished railroads #028

 鉄 道 会 社  路 線 名  廃止年月  調 査 区 間  訪問年月
南海電気鉄道 天王寺支線
1993/04
天王寺→天下茶屋
2020/05
かつて国鉄線と南海を短絡アクセスしていた都心の廃線跡、南海電鉄天王寺支線の廃線跡を探る旅です。 




2020年5月の事、近場で拾えるネタとして大阪市内に残る廃線跡
2本ほど探ってきました。

まずはソノ1本目として南海電鉄天王寺支線跡から紹介して行き
ましょう。…区間としては天王寺〜天下茶屋約1.3kmになります。

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まず私の歳では「あって当たり前」大阪
環状線新今宮駅も歴史としては意外と
新しく、開業時期は以下のようになります。

大阪環状線今宮西九条)…1961年4月
国鉄新今宮駅1964年3月
南海新今宮駅1966年12月

…ソレ以前は国鉄湊町天王寺南海
なんばと言った感じで、ターミナル駅が別々
に存在しており、相互乗入乗り換えの便
ために存在したのが南海天王寺支線でした。

…双方の新今宮駅が出来ると、乗客の大半そっち経由に移ります
から、天王寺支線の乗客数は激減赤字ながら細々と走ってた物が、
1993年には廃止されてしまいます。

以後30年近くが経過しておりますが、航空写真などで見ると意外に
線路跡分かるのと、コノ程度の距離なら歩いても見れそうなので、
散歩がてらに出掛けてみました。

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まず天王寺から大阪環状線外回り電車に乗ると、車窓の左手
微妙な幅の空き地が確認出来ます。コレが天王寺支線ですわ。

廃線後もカナリの期間、線路キロポストなんかが残ってましたが、
今は殆どが更地になっています。

外回り線はココで大和路線を跨いで一番南側へ移りますので、高架
最も高くなった所から、僅かにレールが残ってるのが見えますね。

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そんな感じで今回は新今宮駅から歩いてみます。元来たJRの線路
に沿って、先程の「微妙な幅の空き地」端っこに来ました。

…ちなみに今回は、出掛けにデジタルカメラ忘れてしまい、全編
スマートフォン撮影と言う、私にとってはカナリのハンデ状態です。

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工事用の外壁万能壁というらしい)の隙間から覗いてみると、舗装
された地面レールが埋まってるのが見えました。

ちなみにココには以前、大阪環状線唯一踏切(一ツ家踏切)
存在しました。コレまた踏板の跡保安設備の箱などが残ってます。

大阪環状線自体がカナリの過密ダイヤ大和路線阪和線へ直通
する列車も走る)であり、人身事故が多かったらしいんですよ。
実際に私も、大阪港まで電車通勤してた頃に事故抑止を食らいました。

てか場所柄、「通行人の大半昼間から酔っ払ってるオッサン」と言う
特殊な環境である事も原因だったのかも知れません。

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天王寺支線はココからJRの線路と分かれ、南西方向に曲がりながら
あびこ筋を越えます。…地上区間だから踏切があった事になりますが
ちょっと覚えてナイですね。

線路跡の一部に現在は東横インのホテルが乗っかってる状態です。
遠くに見えるのは「あべのハルカス」ですね。

あびこ筋を越えた所からは資材置き場のような感じでした。私有地
なので外からね。…土地は使える所から切り売りされてるのかも知れ
ません。遠景に見える高架道路阪神高速阿倍野入口付近です。

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廃止されて30年近くが経過し、再利用出来る土地切り売りされてる
様子だし、ソレ以外の線路跡も殆どが万能壁で囲まれてしまってるワケ
ですが、やはり外から見て確認出来る箇所もありますね。

ココは恐らく、極端に低いガーター橋などで道路をオーバークロスして
いた地点だと思われますが、撤去後に作られた壁に明らかな鉄道の
路盤跡が見て取れました。

同線末期衰退して単線化されてましたが、元は複線だったので、
その幅で用地が確保されています。

道路の向かって右側自動車対応なのか、地面を掘り下げて頭上高
を稼いだ構造になってますね。
…こう言う痕跡発見するのが廃線跡巡り面白さだと思います。

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その少し南西側に、商店街のアーケードと交差している地点があり、
現役時代末期にはコノ付近に飛田本町駅があったようです。

同線天王寺〜天下茶屋1.2kmの区間2つの途中駅があった
ワケですが(天王寺飛田本町今池町天下茶屋)、まず1984年
今池町天下茶屋廃止され、代わりに地元対応の為に造られた
駅だそうです。だから僅か9年程度と言う事になりますか。

この付近は同線廃線跡としては珍しく、公園になってて立ち入りが
自由な場所ですね。

時間制限を設けてあるのは、制限しないと定住してしまう人が居る
からでしょう。「立ち小便禁止」と言う貼り紙は概ね守られていません

この付近は飛田新地と言いまして、古くから色町だった所ですね。
そう言う商売禁止されてからも「店は料理屋女の子は女中さん
と言う体裁で、今でも営業してますわな。

私が行ったのは祝日の午前中でしたが、どの角度にカメラを向けても
酎ハイなどの缶を持って座り込んでるオッサンが入るので、撮影に
気を使いましたわ。

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そして下町入り組んだ路地更に奥に、廃線跡隠れているような
状況になります。…近くにあった案内図を見ると、他の道路と同じ感じ
斜めの線で描いてあるのが廃線跡ですが、実際は立入禁止です。

大阪市街地の真ん中ではあるものの、このような細長い土地では
上手い使い道ナイのかも知れませんね。

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入り組んだ路地から、南北方向に走る広い道路に出ました。堺筋です。
社長(木村)大好き「スーパー玉出」がありますな。

この付近に次の今池町駅があった事になり、ココで頭上を走る阪堺
電車と接続していました。駅跡は何かの会社の敷地になってるようで、
意味の無くなったガーター橋の下は駐車場になってました。

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この付近では元の線路跡駐車場になってるのですが。境界の柵
古いレールが使われてたりするのが廃線跡らしい所ですね。

…そして何匹かの猫が居ます。今回はデジタルカメラ忘れたので
スマートフォンで無理に撮ったから画像が荒いですが、頭上を跨ぐ
阪堺電車ガーター鉄橋付近にもウロついてました。

鉄橋の下には落下物防止のためのネットが張ってあります。
にしてみたら足元が不安定な分、トランポリンみたいで面白かったり
もするのでしょうか?

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線路が交差していた地点のすぐ北に、阪堺電車今池駅があります。
軌道区間もある路面電車に近い路線なので、と言うよりは電停
と言うイメージの方が強いかな?

ぁ、ココにも猫が居ました地面不自然に隆起し、石が突出した
ような形状になってるのはではなく人間が家を作る事防止する
ための措置です。…こうしないと実行しちゃう人が居るんですよ。

天王寺支線があった時はココと今池乗り換え駅でしたが、昭和59年
天下茶屋までが廃止された後は、西へ300mほど萩ノ茶屋駅
乗り換え駅として指定されるようになりました。

…今回は行きませんでしたが、南海萩ノ茶屋駅と言うのはアニメ
「じゃりン子チエ」に登場する西萩駅のモデルになってるようです。

「西萩」架空の地名ですが、登場人物の雰囲気はコノ付近
共通する物がありますね。

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鉄道の交差点と言う物は基本的には立体交差であり、先に開通した
地表に近い所を通ります。…調べてみるに天王寺支線1900年
阪堺線1911年となってました。

大阪環状線が現在のような円形の路線なる前は、天王寺大正
の区間は大阪港へ通じる貨物線だったワケです。

南海線から奈良方面へ移動する旅客や、城東・淀川方面へ向かう
貨物列車のためにも早い時期から必要だった事が伺えますね。

鉄橋の反対側も何かの会社の敷地です。
元々の町割り
に対して線路斜めに通ってた事になるから、ココを
基準に見ると周囲の建物不自然に階段状に見えますな。

20200605g.JPG 20200605h.JPG

その先は遊歩道風の公園になってます。…てか実際の廃線跡
の画像青い塀の向こうなのですが。そして状況はよく分からない
ものの、人々のコミュニケーションが盛んな所でした。

…この地下には地下鉄堺筋線が通っています。元は通天閣に近い
動物園前が終点でしたが、1993年天下茶屋まで延長されています。
奇しくも天王寺支線全廃された年ですね。

壁の一箇所「今宮ふれあいの郷 イマナリエ」と称したがあります。
中が気になる所ですが、何かの施設として使われてるのか?

「イマナリエ」「神戸ルミナリエ」パクりであろう事は辛うじて想像が
付きますが。この壁に沿って天下茶屋方向へ更に進みます。

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から見たら壁の向こう側、つまり廃線跡が見渡せたワケですが
「ふれあい広場」と言う公園のような使われ方をしてるようです。

「この広場は、地域の…の広場です。」結局の所、よく分かりません
一般的な児童公園かと思えば、ベンチなどはあるものの敷地の大部分
になってますね。

当日は曜日的に学校が休みなのに、子供が遊んでる様子全く見掛け
ナイのですよ。居るのは殆どが酔っ払いです。ココで何をドノように
ふれ合えばいいのか?著しく謎ですよね。

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反対方向出口側と言うか…)の鉄扉が開いてましたので中を覗いて
みなしたが、やはり畑です。都心部では貴重な土地かも知れませんが、
普通の状態中が見えないとか、どうも閉鎖的ですな。

その向かい側に「今宮ふれあい会館」と言う施設がありました。
また「ふれあい」か。区割りに対して不自然に斜めに歪んだ土地が
廃線跡である事を物語ってますが、相変わらず意味は不明です。

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更に歩くと南海電鉄本線高野線が見えてきます。
…現在は両方とも高架化されており、ソレ以前に廃止された天王寺
支線痕跡殆どありません

今池方向から辿ってきた廃線跡は、また不自然に斜めになった感じ
駐車場と、路地を挟んでコンビニになった所(右の画像でトラックの
後部が写ってる所)が確認出来る最終地点のようです。

この路地も狭い踏切だった筈であり、道が不自然に歪んでますね。

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そんな感じでようやく目的地天下茶屋駅に到着しました。…新今宮
から歩き始めて1時間半の旅でしたね。

関西の者抵抗なく発音する地名ですが、「てんかゃや」と書いて
「てんちゃや」だから濁点勝手に移動してるワケで、他の地域の
にとっては難読駅名の1つかも知れません。

…先述のように現在は高架化され、本線高野線乗り換え駅として
の機能と、地下鉄堺筋線の南側の終点として梅田北大阪方面への
アクセス点でもあるようです。

繰り返しになりますが私は世代的新今宮駅とソコで乗り換える事が
当たり前なのですが、例えば戦後すぐなどは天王寺支線の方がメイン
だったでしょう。

奈良に住んでた母方の祖母が、が住んでた浜寺公園へ行くような
ケースだとよく乗った路線かも知れません(戦後の物不足の時代
野菜などを届けてたらしい)。

大阪の都心部にありながら、時代と共に役目を終えた路線と言うのも
意外と珍しく、尚且つコノ程度なら「何で乗っとかなかったのか?」
と言う思いもありますが、なかなかに興味深い旅でした。

…時刻はお昼前同規模廃線跡ならもぅ1箇所ぐらい行けるよね?
って事で、新今宮まで戻って少し移動してみましょう。



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