2020年5月の事、近場で拾えるネタとして大阪市内に残る廃線跡を
2本ほど探ってきました。
まずはソノ1本目として南海電鉄の天王寺支線跡から紹介して行き
ましょう。…区間としては天王寺〜天下茶屋の約1.3kmになります。
まず私の歳では「あって当たり前」の大阪
環状線や新今宮駅も歴史としては意外と
新しく、開業時期は以下のようになります。
・大阪環状線(今宮〜西九条)…1961年4月
・国鉄新今宮駅…1964年3月
・南海新今宮駅…1966年12月
…ソレ以前は国鉄は湊町や天王寺、南海が
なんばと言った感じで、ターミナル駅が別々
に存在しており、相互乗入や乗り換えの便の
ために存在したのが南海天王寺支線でした。
…双方の新今宮駅が出来ると、乗客の大半はそっち経由に移ります
から、天王寺支線の乗客数は激減。赤字ながら細々と走ってた物が、
1993年には廃止されてしまいます。
以後30年近くが経過しておりますが、航空写真などで見ると意外に
線路跡が分かるのと、コノ程度の距離なら歩いても見れそうなので、
散歩がてらに出掛けてみました。
まず天王寺から大阪環状線の外回り電車に乗ると、車窓の左手に
微妙な幅の空き地が確認出来ます。コレが天王寺支線の跡ですわ。
廃線後もカナリの期間、線路やキロポストなんかが残ってましたが、
今は殆どが更地になっています。
外回り線はココで大和路線を跨いで一番南側へ移りますので、高架
が最も高くなった所から、僅かにレールが残ってるのが見えますね。
そんな感じで今回は新今宮駅から歩いてみます。元来たJRの線路
に沿って、先程の「微妙な幅の空き地」の端っこに来ました。
…ちなみに今回は、出掛けにデジタルカメラを忘れてしまい、全編
スマートフォン撮影と言う、私にとってはカナリのハンデ状態です。
工事用の外壁(万能壁というらしい)の隙間から覗いてみると、舗装
された地面にレールが埋まってるのが見えました。
ちなみにココには以前、大阪環状線で唯一の踏切(一ツ家踏切)が
存在しました。コレまた踏板の跡や保安設備の箱などが残ってます。
…大阪環状線自体がカナリの過密ダイヤ(大和路線や阪和線へ直通
する列車も走る)であり、人身事故が多かったらしいんですよ。
実際に私も、大阪港まで電車通勤してた頃に事故抑止を食らいました。
てか場所柄、「通行人の大半が昼間から酔っ払ってるオッサン」と言う
特殊な環境である事も原因だったのかも知れません。
天王寺支線はココからJRの線路と分かれ、南西方向に曲がりながら
あびこ筋を越えます。…地上区間だから踏切があった事になりますが
ちょっと覚えてナイですね。
線路跡の一部に現在は東横インのホテルが乗っかってる状態です。
遠くに見えるのは「あべのハルカス」ですね。
あびこ筋を越えた所からは資材置き場のような感じでした。私有地
なので外からね。…土地は使える所から切り売りされてるのかも知れ
ません。遠景に見える高架道路は阪神高速の阿倍野入口付近です。
廃止されて30年近くが経過し、再利用出来る土地は切り売りされてる
様子だし、ソレ以外の線路跡も殆どが万能壁で囲まれてしまってるワケ
ですが、やはり外から見て確認出来る箇所もありますね。
ココは恐らく、極端に低いガーター橋などで道路をオーバークロスして
いた地点だと思われますが、撤去後に作られた壁に明らかな鉄道の
路盤跡が見て取れました。
同線は末期は衰退して単線化されてましたが、元は複線だったので、
その幅で用地が確保されています。
道路の向かって右側は自動車対応なのか、地面を掘り下げて頭上高
を稼いだ構造になってますね。
…こう言う痕跡を発見するのが廃線跡巡りの面白さだと思います。
その少し南西側に、商店街のアーケードと交差している地点があり、
現役時代の末期にはコノ付近に飛田本町駅があったようです。
…同線は天王寺〜天下茶屋の1.2kmの区間に2つの途中駅があった
ワケですが(天王寺〜飛田本町〜今池町〜天下茶屋)、まず1984年
に今池町〜天下茶屋が廃止され、代わりに地元対応の為に造られた
駅だそうです。だから僅か9年程度と言う事になりますか。
この付近は同線の廃線跡としては珍しく、公園になってて立ち入りが
自由な場所ですね。
…時間制限を設けてあるのは、制限しないと定住してしまう人が居る
からでしょう。「立ち小便禁止」と言う貼り紙は概ね守られていません。
この付近は飛田新地と言いまして、古くからの色町だった所ですね。
そう言う商売が禁止されてからも「店は料理屋、女の子は女中さん」
と言う体裁で、今でも営業してますわな。
私が行ったのは祝日の午前中でしたが、どの角度にカメラを向けても
酎ハイなどの缶を持って座り込んでるオッサンが入るので、撮影に
気を使いましたわ。
そして下町の入り組んだ路地の更に奥に、廃線跡が隠れているような
状況になります。…近くにあった案内図を見ると、他の道路と同じ感じ
で斜めの線で描いてあるのが廃線跡ですが、実際は立入禁止です。
大阪の市街地の真ん中ではあるものの、このような細長い土地では
上手い使い道もナイのかも知れませんね。
入り組んだ路地から、南北方向に走る広い道路に出ました。堺筋です。
社長(木村)も大好きな「スーパー玉出」がありますな。
この付近に次の今池町駅があった事になり、ココで頭上を走る阪堺
電車と接続していました。駅跡は何かの会社の敷地になってるようで、
意味の無くなったガーター橋の下は駐車場になってました。
この付近では元の線路跡は駐車場になってるのですが。境界の柵に
古いレールが使われてたりするのが廃線跡らしい所ですね。
…そして何匹かの猫が居ます。今回はデジタルカメラを忘れたので
スマートフォンで無理に撮ったから画像が荒いですが、頭上を跨ぐ
阪堺電車のガーター鉄橋付近にもウロついてました。
鉄橋の下には落下物防止のためのネットが張ってあります。
猫にしてみたら足元が不安定な分、トランポリンみたいで面白かったり
もするのでしょうか?
線路が交差していた地点のすぐ北に、阪堺電車の今池駅があります。
…軌道区間もある路面電車に近い路線なので、駅と言うよりは電停
と言うイメージの方が強いかな?
ぁ、ココにも猫が居ました。地面が不自然に隆起し、石が突出した
ような形状になってるのは猫ではなく人間が家を作る事を防止する
ための措置です。…こうしないと実行しちゃう人が居るんですよ。
天王寺支線があった時はココと今池が乗り換え駅でしたが、昭和59年
に天下茶屋までが廃止された後は、西へ300mほどの萩ノ茶屋駅が
乗り換え駅として指定されるようになりました。
…今回は行きませんでしたが、南海の萩ノ茶屋駅と言うのはアニメ
「じゃりン子チエ」に登場する西萩駅のモデルになってるようです。
「西萩」も架空の地名ですが、町や登場人物の雰囲気はコノ付近に
共通する物がありますね。
鉄道の交差点と言う物は基本的には立体交差であり、先に開通した
方が地表に近い所を通ります。…調べてみるに天王寺支線が1900年、
阪堺線が1911年となってました。
大阪環状線が現在のような円形の路線になる前は、天王寺〜大正
の区間は大阪港へ通じる貨物線だったワケです。
南海線から奈良方面へ移動する旅客や、城東・淀川方面へ向かう
貨物列車のためにも早い時期から必要だった事が伺えますね。
鉄橋の反対側も何かの会社の敷地です。
元々の町割りに対して線路が斜めに通ってた事になるから、ココを
基準に見ると周囲の建物が不自然に階段状に見えますな。
その先は遊歩道風の公園になってます。…てか実際の廃線跡は左
の画像の青い塀の向こうなのですが。そして状況はよく分からない
ものの、人々のコミュニケーションが盛んな所でした。
…この地下には地下鉄堺筋線が通っています。元は通天閣に近い
動物園前が終点でしたが、1993年に天下茶屋まで延長されています。
奇しくも天王寺支線が全廃された年ですね。
壁の一箇所に「今宮ふれあいの郷 イマナリエ」と称した扉があります。
…中が気になる所ですが、何かの施設として使われてるのか?
「イマナリエ」が「神戸ルミナリエ」のパクりであろう事は辛うじて想像が
付きますが。この壁に沿って天下茶屋方向へ更に進みます。
…横から見たら壁の向こう側、つまり廃線跡が見渡せたワケですが
「ふれあい広場」と言う公園のような使われ方をしてるようです。
「この広場は、地域の…の広場です。」結局の所、よく分かりません。
一般的な児童公園かと思えば、ベンチなどはあるものの敷地の大部分
が畑になってますね。
当日は曜日的に学校が休みなのに、子供が遊んでる様子は全く見掛け
ナイのですよ。居るのは殆どが酔っ払いです。ココで何をドノように
ふれ合えばいいのか?著しく謎ですよね。
反対方向(出口側と言うか…)の鉄扉が開いてましたので中を覗いて
みなしたが、やはり畑です。都心部では貴重な土地かも知れませんが、
普通の状態で中が見えないとか、どうも閉鎖的ですな。
その向かい側に「今宮ふれあい会館」と言う施設がありました。
…また「ふれあい」か。区割りに対して不自然に斜めに歪んだ土地が
廃線跡である事を物語ってますが、相変わらず意味は不明です。
更に歩くと南海電鉄の本線&高野線が見えてきます。
…現在は両方とも高架化されており、ソレ以前に廃止された天王寺
支線の痕跡は殆どありません。
今池方向から辿ってきた廃線跡は、また不自然に斜めになった感じ
の駐車場と、路地を挟んでコンビニになった所(右の画像でトラックの
後部が写ってる所)が確認出来る最終地点のようです。
この路地も昔は狭い踏切だった筈であり、道が不自然に歪んでますね。
そんな感じでようやく目的地の天下茶屋駅に到着しました。…新今宮
から歩き始めて1時間半の旅でしたね。
関西の者は抵抗なく発音する地名ですが、「てんかぢゃや」と書いて
「てんがちゃや」だから濁点が勝手に移動してるワケで、他の地域の
人にとっては難読駅名の1つかも知れません。
…先述のように現在は高架化され、本線と高野線の乗り換え駅として
の機能と、地下鉄堺筋線の南側の終点として梅田や北大阪方面への
アクセス点でもあるようです。
繰り返しになりますが私は世代的に新今宮駅とソコで乗り換える事が
当たり前なのですが、例えば戦後すぐなどは天王寺支線の方がメイン
だったでしょう。
奈良に住んでた母方の祖母が、母が住んでた浜寺公園へ行くような
ケースだとよく乗った路線かも知れません(戦後の物不足の時代に
野菜などを届けてたらしい)。
大阪の都心部にありながら、時代と共に役目を終えた路線と言うのも
意外と珍しく、尚且つコノ程度なら「何で乗っとかなかったのか?」
と言う思いもありますが、なかなかに興味深い旅でした。
…時刻はお昼前、同規模の廃線跡ならもぅ1箇所ぐらい行けるよね?
って事で、新今宮まで戻って少し移動してみましょう。
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