2019年正月の事。三河線の山側の廃線区間にある2つの駅(跡)の
駅ノートを描いた翌日ですが、続いて気になってた海側の廃線区間も
探りに行く事にしたんです。
…現在の名鉄三河線は、猿投〜碧南
を走ってますが、名古屋本線の知立を
境に運転系統が分かれており、山間
部に入る猿投側を「山線」、海岸近くへ
出る碧南側を「海線」という通称で区別
してるそうな。
その両端に、更に存在した末端区間が
2011年の4月に廃止されたワケで、
今回は「海線側」の碧南〜吉良吉田の
廃止区間を見に行こうという趣旨です。
…先述のように航空写真から推定した廃線跡と、駅の位置を地図アプリ
上にマークして、それぞれの駅跡を結ぶ自動車ルートも検索したモノを
事前に用意してきました。営業キロにして16.4kmの区間です。
と言う事で碧南駅からスタートします。現在は終点駅ですが留置線など
があって意外と広い構内です。
…廃止区間の末期は電車による運行をヤメて、ココでレールバスに乗り
換える方式だったようです。コレは山側の猿投駅と同じパターンだな。
末端区間は廃止後にバス転換されましたので、駅前のバス停には
吉良吉田行きの乗り場がありました。
…駅前で中国人らしきお姉ちゃんの3人組が、迷子になった感じで途方
に暮れてるのはセントレアへ行こうとして間違えたのか?…私の知った
事ではありませんが。
廃線区間は碧南を出発すると、大きなカーブを描く感じで南東方向へ
向かいます。そのまま行くと海に出てしまうのと、市街地を避けた結果
なのかもしれません。短距離の区間に駅が連続してたんですね。

駅の奥に留置線の続きと思しき引込線があり、ソコから振り返ると
町工場やスーパーマーケットの間に不自然な空き地がありますね。
…ココが廃線跡の取っ掛かり部分になります。
暫く行くと大きな道路交差点に出ますが、ココは流石に遺構はなく…
交差点を越えた所から、碧南レールパークという公園になってました。
元の線路跡が遊歩道になり、線路をイメージしたデザインのラインが
引いてあります。上の地図で見る所の三河旭駅(跡)付近まで大きく
U字形に続く感じで整備されてるらしいんですよ。
…数字が振ってあるのは恐らく「終点までの距離」でしょうね。
2.3kmという事か。色々と見ながら歩いても1時間弱って所かな?
ではココから、三河線の海側の廃線区間を探っていく事にしましょう。

碧南駅から始まって、大きくU字型にカーブする廃線跡は、進路を
南東方向へ変えた所で三河旭駅(跡)を経て矢作川を渡ります。
…川のこっち側が碧南市になるのですが、ソコまでの区間が遊歩道
として整備され、途中にある幾つかの駅跡が「○○広場」という名称の
小さな公園になってる感じなんですね。

ココが起点なので、まずは同区間の駅や走ってた車両についての説明
書きが設置されていました。
元は軽便鉄道みたいな小さな蒸気機関車で始まった鉄道が、昭和に
入って電車になり、末期は経費節減のためにレールバス化されたと。
…私は知らなかったのですが、レールバス化の裏には「鉄橋が老朽化
して軽い車両でないと強度的にヤバい」という事情もあったらしいです。
バカ正直にそんな事まで書いてありますよ。

鉄道の存在を記念した公園にありがちな感じで、転轍機レバーと標識、
僅かの線路と車輪なども保存されてますが、車両はありません。
…廃線から15年ですが、電車は既存の区間でまだまだ使うだろうし、
年式の新しいレールバスは全てミャンマーに行ってしまったそうな。

廃線跡だから当然、随所に道路と交わってる…元は踏切だった所が
あります。車止めが作ってあるから通れるのは自転車まででしょう。
そんな感じで暫く行くと、線路(風のライン)が大きく分岐している
所に出ました。ココが元の玉津浦駅跡で、左へ行くと吉良吉田方面
への本線。右が海岸へ出る貨物線の跡だそうな。
では続いて、この玉津浦駅跡に作られた「玉津浦広場」を見ていきます。

以後の各駅の跡地も同じような感じですが、プラットホームが新しい
素材で再現されており、お揃いの銘板が取り付けてありました。
…ウォーキングなどの途中で休憩に使えるように。って感じでしょう。

先程、大きく線路が分岐した跡があったのは、ココから貨物線が分岐
してたからなんですが、駅そのものも海岸に近いので、昔(戦前ぐらい
か?)は海水浴場への最寄駅としても機能してたらしいです。
…この区間が微妙に遠回りなのも、玉津浦駅を誘致したからだとか。
そして駅跡や遊歩道の随所に、色々な運動器具が設置されています。
…中には説明書きを読まないとよく分からん謎めいた物もありますが、
コレは碧南市でココを整備する時、世界各国の遊具を調査して地元の
子供たちの投票で決めたモノなんだそうですよ。

そんな感じで次は棚尾駅の跡地に着きました。
…線路跡のラインにも、各駅の名称がローマ字で書かれています。
私は他所者なので詳しくナイのですが、元は交換設備のあった駅なの
かも知れません。広い構内だった事が伺えます。
引込線を模したラインの奥には、赤い屋根のベンチとトイレがあります。
…この赤い色は「名鉄の赤い車両」をイメージしたモノらしいですね。
基本的にはイイお天気なのですが、風が強くて雲の流れが早く、太陽
が出たり隠れたりの繰り返しなんですよ。…画像の露出にバラつきが
出るのが気に入らないのですが、更に先へ進みます。
旧棚尾駅の広場を更に進んで行くと、線路跡のラインがイビツに分岐
した部分がありました。

…今まで割と忠実に再現されてたモノが、いきなりヘンテコな曲がり方
になっててズッコケそうになりましたが、流石にコレは創作でしょう。
車両を模した遊具がありますね。最末期に走ってた200型レールバスを
イメージしたと思われますが、どうも近鉄に見えて仕方ナイ。

大きな幹線道路の踏切跡を信号機と横断歩道で越えて進むと、次の
三河旭駅跡の広場に着きます。そのまま「三河旭広場」って言うのね。
…交換設備があった駅のようで、線路跡のラインも分岐してました。

こちらのホーム跡は、新造されたモノではなく鉄道時代のをそのまま
使用してる風に見えました。…地元の方にしてみたら、ソノ方が親しみ
やすいだろうし、工費も安くて済むわな。

三河線の廃線区間は、ココからまだまだ先の吉良吉田駅まで続くワケ
ですが、碧南レールパークとしてはココが終点になります。
…要するにコノ先の矢作川を越えると、碧南市から西尾市に入るので、
廃線跡の活用法と言うか、ソレに対する取り組み方も違うのでしょう。
以前に三木鉄道の廃線跡を探りに行った時も、加古川市と三木市で
状況が全く違ってましたが、ソレと同じようなもんでしょうね。
最後は微妙に傾斜を付けた線路跡で終わってました。
矢作川を越えるとは言っても、川はココから更に数百メートル先であり、
実際の勾配としても些か不自然にキツい角度です。
…「未来に向かって飛躍する」みたいな意味があるのかも知れません。
歩いて見れるのはココまでが限界とか思われますので、碧南駅まで
戻って車に乗り、更に先へ進んで行く事にします。
廃線跡を遊歩道と公園に再活用した碧南レールパークを過ぎると、一気
に雰囲気が変わります。
住宅地が切れて田園地帯に入るという事もあるのですが、どっちにも
属さない感じの広い土地が余ってます。コレが廃線跡の続きですな。
…そのまま来ると矢作川に当たりますので、ココを鉄橋で越えてた
筈なんでしょうが、遺構らしきモノは確認出来ませんでした。
河川敷の部分を含めると川幅が500m近くあります。カナリ長い鉄橋
だった筈ですが、レールバスでもキツいぐらいに老朽化してたのか?
続いてが中畑という駅になる筈なのですが、地図アプリを元に辿り
着いた場所は、大きな会社の敷地になってました。
…碧南側と違って、西尾市内にある三河線の廃線跡は10km以上に
及ぶので、全部を公園化する事は無理なのかも知れません。
以後も出てきますが適度に切り売りされてる感じです。まぁソレとて
有効活用には違いありませんわな。

その一方で廃線跡のような「矢鱈と細長い土地」ってのは、場所に
よっては新たな用途が見つかりにくいのかも知れず、随所に「ザ・
廃線跡!」という感じの空き地が点在してるのも見られます。
…最初に車を止めて「コノ辺が駅の筈なんだけどなー」とかやってた
地点が、正にそんな感じでした。
続いてが三河平坂という駅の跡地です。
…地図アプリの航空写真やストリートビューも、多少のタイムラグが
あるのか、調べてきたモノと違ってこちらは宅地開発が始まってます。
最近は家そのものの建築も早いから、例えば1年後ぐらいに行ったら
完全に新しい町が完成してるかも知れません。
元の駅前だったと思しき所に「平坂売店」という、駅名を冠した商店が
ありました。特に名鉄資本の系列とかでは無さそうな個人商店に見え
ますが、駅の売店と似たような役割を果たしてたと思われます。
場所によって廃線後の土地活用にも差があって面白いですね。
引き続き西尾市側を進みます。
住宅地の真ん中に、キロポストと踏切跡が残ってる箇所がありました。
…24kmというのは知立を起点とした距離のようです。
現在の三河線は猿投が起点とされており、数値が変わってきます。
元々は海線の方が先に「三河鉄道」として開業した経緯があるので、
古い時代の名残りだったのかも知れませんね。
廃止が2004年だから約15年経ってるとして、周囲のお家はソレより
新しく見えるので、廃線後に宅地開発が進んだという事でしょうか。
左の画像の奥が三河楠駅の跡地です。元はホームなどが残ってた
らしいのですが、ココも住宅地に整地する工事が始まってました。
ソレを越えると線路が築堤上を走ってた跡が伺えます。
…さすがにコレは、平たく均(なら)さないと家は建てにくいでしょうね。

築堤の下の路地を越える小さな鉄橋があったと思われる地点は、橋台
のみが残っています。そのまま傾斜を付けて高度を上げて行き…

立派な高架橋がそのまま残ってる区間に出ました。
…コレは寺津高架橋と呼ばれるモノで、先にある県道をオーバークロス
するために作られたんだそうです。
セントレア空港が出来て、ソレに付随する渋滞を緩和する目的で、踏切
を高架化したのが1998年と言いますから、6年程度しか使わなかった
事になりますね。…まだ新しいから、現役の鉄道路線にすら見えます。
表示物を見るに、鉄道が廃止されても雨水管が通ってる?だから簡単
に撤去出来ない事情があるのかも知れません。
ココまでは廃線跡の用地を宅地化したり工場用地にしたり、色々な様子
が見られましたが、続いて寺津という駅の跡地が出てきました。
線路こそ外されてますが、ホームの跡がそのまま残ってます。
Wikipediaを見ると碧南市側のレールパークも、公園として整備される
までの何年間かは概ねこんな感じだった事が分かるんですが。
…何と言うか「こんな感じのを待ってた」という気持ちが強いのは事実。

駅名票は看板部分が外されて枠のみ、カーブミラーはそのままですね。
点字ブロックは経年劣化で殆どが剥がれてました。てかアレは接着剤
とかで貼り付けるモノだったのか(一体型もあるでしょうが)。
廃線になる前から使われてなかったであろう、貨物用と思しきホーム跡
があります。コノ辺は確か三州瓦の産地だった筈ですな。

駅舎などの建物は解体されたのか残ってません。駅前の用地は恐らく
今でも名鉄の持ち物なのか?同社の系列の駐車場になってました。
以後の区間ではこのケースが目立つようになります。
…ホームの入口に当たるスロープの直前までもが駐車区画になってる
と言う商魂の逞しさ。愛知県は「車社会」ですからねぇ。

更に進むと半径の小さいカーブで住宅地の裏を抜けていきます。
この形状では宅地には向かないでしょうね。放置されてるだけでした。
…踏切跡も残ってますが、車道の方も狭いので注意しないと見落とす
ような感じ?元々が古い集落なのでしょう。
更に進むと完全に更地になった廃線跡が出てきました。

場所によって「売れる・売れない」が分かれる所でしょうが、コノ辺は
既存の住宅地に追加した感じで買い手が付いたんでしょうね。
…元からある路地がガードレールで行き止まりになってる所に「線路が
あった」面影が伺えます。年月を経ると「何でこんな不自然な所に?」
という雰囲気になってしまうのかも知れません。
その先が西一色という駅の跡になります。電話ボックスが目印です。
…最近は電話ボックスという物自体が減って、それこそ駅前ぐらいにしか
ナイ物になりましたが、元々が駅のあった場所なので残ってるのでしょう。
「旧西一色駅前」という表記が見られました。
ホーム跡があったので上ってみたら、お隣の家のミカンの樹がエラい事
になってました。…営業してる駅だったら盗まれ放題じゃない?

続いてが三河一色駅跡。…カナリ広い土地が残っており、やはり駅前は
名鉄系の駐車場になってました。
他にも駅前が駐車場になった所がありましたが、概ねが月ぎめですね。
考えたら利用客が減って廃止になった路線ですから、コインパーキング
を構えるほど「他所からの人(車)が来ない」という事なのかな。

構内はカナリ広く、元々は交換設備と貨物ホームもあったようです。
…ココにもキロポストが残ってますが、撤去するか否かの基準って
ドコにあるんでしょう?
この付近から廃線跡は南→東の感じで進路を変え、終点の吉良吉田
方向へと向かいます。
…そのまま行くと三河湾に突っ込んでしまうからなのですが、曲がり
かけた所にあるのが松木島という駅の跡。途中駅としてはココが最後
になりますね。
駅前の道路から駅舎に向かうスロープとホームが残ってました。
ココを過ぎると徐々に上り勾配になり…
 
付近のお家を見下ろすぐらいの高さになった所で川に出ました。
地図で見ると矢作古川という名前が付いてます。
…さっき碧南市から西尾市にら入る所で越えてきたのが矢作川だから、
恐らくはこっちが元のルートで…調べると向こうが治水事業として江戸
時代に進路を変えた結果なんだそうです。
 
こちらも結構な幅の川です。まだバラストが残る廃線跡は、ココから
垂直に川を越えてたようで、堤防の下にはソノ名残りなのか、縁が
凹んでる部分がありました。

折角なので上流にある道路橋を迂回して、反対側に来てみました。
…今は双方とも西尾市ですが、2011年までは矢作古川を境に一色町
と吉良町に分かれてた所で、こっち側が吉良町になります。
こちら側は人家の少ない田んぼの中に築堤が続いて、下り勾配で地上
へ降ります。で ソノ上に載ってるのが、大量のソーラーパネルです。
…昔、宮崎へ行った時は、かつてのリニア実験線の高架跡の上にコレ
が並んでてビックリしたもんですが、今では珍しくなくなりました。
こちらも海に近い温暖な土地でしょうから、太陽光発電には向いてる
かも知れませんね。

相変わらず廃線跡の築堤の上にソーラーパネルが載ってますが、 交差
する道路の上を跨ぐ部分の線路などは撤去されておりました。
…そしてコノ辺は線路が東西方向に走ってたので、築堤南側の斜面にも
右のようにずらーーっと…。まぁコノ方が効率がイイのは事実ですね。
廃線跡上のソーラーパネルは、築堤から平地に降りて街中に入っても
続いており、吉良吉田駅まであと数百メートルという所で、ようやく線路
が残ってる区間が出てきました。
…土地の所有者とソーラーパネルから上がる電気代?は、やはり名鉄
のモノになるんでしょうか?一度松井さんにでも訊いてみましょう。

そんな感じで吉良吉田駅。現在は西尾線と蒲郡線の接続駅ですよね。
西尾線のホームはカナリの急カーブ上にあり、私は以前に乗り潰しで
来て以来なのですが、当時から「変な形してるなー」と思ってました。
…身近なモノに例えると近鉄の橿原神宮前駅ですわ、アレで橿原線
だけ廃止されたような状態と同じでしょうね。
一方で蒲郡線のホームは真っ直ぐな形状です。今ある蒲郡方面とは
反対方向に向けて三河線が発着(又は直通運転)してた事になるので、
現在の乗り場の向かいに使われてないな古いホームがありました。
名鉄ってのも、最盛期は北九州の炭坑路線並みにカナリ複雑&綿密な
路線網があったワケですが、やはり時代にそぐわない所は廃止される
運命だったんでしょうね。
…他の地区でも探せばもっと廃線跡が出てくる筈ですので、またネタに
詰まったら訪れる事にしましょう。
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