2017年11月の事。日々北条鉄道へ行く事が多くなり、兵庫県の播磨地方 で気になった廃線跡の第二弾として、三木鉄道を探りに行きました。
三木鉄道は元々、国鉄三木線として加古川線の厄神駅から東の三木駅
までの6.6kmを結んでいた路線で、全通は1917年。1985年に第三セクター
会社の三木鉄道となったものの、2008年に廃止された路線です。
北条鉄道も1985年に同時に第三セクター化され、地域も近いので兄弟
のような感じだったのですが、三木鉄道には対抗路線として神戸電鉄
が存在するもんで、神戸や大阪方面へのお客を奪われたのでしょうね。
廃線からまだ9年という事で、カナリ色々残ってると聞きました。
…そして私は詳しく知らないのですが、末期かつ木村鉄道の初期に
イベントで訪れた事があるんじゃなかったかな?
そんな感じで、JR加古川線の厄神駅からスタートです。
…距離からしてレンタサイクルで回るのが良さそうでもあるのですが、
最寄りは加古川になりますので、ちょっとツラいものがありますね。
「厄神」という駅名は、近くにある宗佐厄神八幡神社から来たのだと
思われます。勿論「厄除けの神様」であって疫病神ではありません。
加古川方向から入る向きで、今は使われていない3番線があり、ココが
三木鉄道の発着ホームだったようです。
粟生方向には加古川線の車両基地(網干総合車両所明石支所加古川
派出所…近カコ)があり、ソノ脇から廃線跡が続いておりました。
…JRの車両基地ってのも、合理化だの統廃合だので長ったらしい名前
の所が増えましたね。
車両基地のすぐ脇に、踏切の跡が残っておりました。新しい廃線跡なら
定番の遺構でしょうか。
廃線跡はココから東の方向へ緩く曲がって行きます。が、車で走れる
状態ではなさそうなので、少し迂回する事にしましょう。
三木鉄道と概ね並行して、県道20号線が走ってますので、基本的には
ココを通り、各種の見どころだけ寄り道する事にします。
まず目に付いたのが、このような橋台の跡でした。田んぼの中を築堤
で走る途中に、道路が下をくぐる構造で造られたモノなんでしょう。
レンガ造りだからカナリ古いものだと思われます。
…橋桁が無くなっても、制限高さを示す標識だけは残ってるんですね。
そんな感じで三木鉄道の廃線跡を探る旅がスタートしました。
三木鉄道(三木線)の駅は、厄神から順に国包−宗佐−下石野−石野
−西這田−別所−高木−三木…と並んでいました。
開業時…国鉄時代からの駅と、第三セクター化後に追加された駅が
混じってるワケですが、駅の体裁として残ってるモノと残ってないモノ
がコレまた混じっており、ココが2つめの宗佐駅の跡地なんだそうです。
…Wikipediaの当該ページや、古い廃線跡探訪のサイトでは駅のホーム
が確認出来る画像が載ってるモノもあるのですが、1つ手前の国包駅と
ともに2009年に撤去されたそうな。
何れも短いホームや簡素な駅舎だけの駅だったようです。
…近くにある住居案内図は昔から更新されてナイのでしょう。駅と線路
がそのまま描かれており、線路を横切っていた道路には踏切跡のガード
柵が残っておりました。
ココから土地が少し小高くなっており、線路は切り通しで三木方向へ
向かいます。…要するにこの丘が行政区画の境界となっておりまして、
こっち側が加古川市、向こう側が三木市なんですよ。
…線路跡の南側を、ほぼ平行して走る県道20号線も同様です。再び
県道へ戻って市の境界を越え、三木市に入りました。
加古川市から三木市に入ったと言っても
全体の風景は殆ど変わらないのですが、
決定的な違いがコレ。
…三木市側の廃線跡は、殆どの区間が
このような遊歩道として整備されてます。
ココまで差が歴然とした廃線区間は初めて
見ましたが、コレはもう市によって発想と
カネの掛け方が全く違うからに他ならない
でしょうね。
三木鉄道は第三セクター会社だったので、
「社長=三木市長」という理由なのが第一?
加古川市側を敢えて弁護するなら、こっちは築堤が多くて使いにくい
という事情もあるかも知れません。
自転車も余裕で通れそうな状態ですが、何故か禁止されておりますので、
ジョギングとか犬の散歩とかに使われてるのだと思われます。
…所々に枕木を再利用したようなベンチがあったり、踏切の標識と柵。
コレはもう「記念碑的にわざと残してる」んでしょうね。
廃線跡が遊歩道なら、三木市側にあった駅の跡地はどうなってるのか?
期待しつつ進んで参ります。
加古川市から三木市に入った途端に、廃線跡がキレイにリメイク保存
されておりまして、そのギャップに驚くワケなんですが、踏切跡の標識
から先を見ると、線路も残ってる箇所がありました。
奥の方には駅舎らしき建物も見えますので、車は左の位置に置いて
徒歩で近づいてみましょう。
…こういう時、自転車だと便利(一応は禁止だけど人が全くいないので
迷惑にならんと思う)なんですが、仕方がありません。
しかし取材当日の11月3日は天気が良すぎたんですが、出発が遅くて
祝日の行楽渋滞に当たってしまい、厄神駅で取材を始めたのがおよそ
14時半頃…。
段々と陽が傾いてくると、影が濃くなりすぎるという難点がありました。
…どうやらココは石野駅の跡地だと
思われます。
元は交換設備があったんでしょうが、
末期は木造駅舎のある1面1線の駅
だった様子が分かります。
複線用の用地がそのまま、広く遊歩道
として残され、使わなくなったホーム跡
も体裁よく整えられた感じです。
もう列車は走らない線路なので、車両限界を気にする事もナイの
でしょう。「徒歩での使いやすさ」を重視してホームに上がるハシゴが
付けられています。
…それにしてもコノ駅舎、矢鱈と新しい気がするのですが。
現役路線の頃からの古い木造駅舎が残ってるというのは各種の資料を
見て知ってたのですが、目の前にあるのは見るからに新しいモノです。
建物内を見るに、ベンチなどもソレらしく作られていますね。しかし駅名の
表記に類するものや出札窓口などはありません。
最近になって改築された?しかも列車は走らないのに。
…駅前広場も充分に駐車スペースがあるので、車を取りに戻りました。
遊歩道の用途を考えるに、ジョギングとか犬の散歩が主になると思う
のですが、コレはソノための休憩スペースなんでしょうか?
…ちゃんと車椅子対応のトイレまであって、カナリ豪華です。
鉄道が廃止になって、恐らくココは市の施設になったんでしょう。税金の
使い方として、正しいのか間違ってるのかは謎ですが。
現役時代の三木鉄道を思い出させるモノとして唯一、廃止直前と思しき
駅の写真がありました。
しかしコレ、どうやって撮ったんですかね?今みたいなドローンが実用化
される前だと思うのですが。気球か何かから?
無駄に疑問が増えてしまいましたが、三木鉄道廃線跡の旅は続きます。
続いてが西這田という駅の跡地なのですが、ココは三木鉄道移管後に
増やされた駅で、資料によると気動車1両分程度の簡素なホームだけ
の駅だったようです。
…近くの交差点にソノ名前と、駅前を横切っていた道路に踏切の跡が
見られる程度でした。簡素な駅ほど撤去も簡単だったのでしょう。
ココからもさらに東へ、ほぼ一直線に廃線跡が続いておりますが、イイ
お天気ではあるものの段々と陽が傾いてきて(開始が遅かったのよ)、
自分の影を入れないように撮るのが大変でしたよ。
暫く行くと、県道と廃線跡の間に「別所とれとれ市場」という道の駅
みたいな施設があります。
…最近よくある、地元産の農産物やお菓子などを売るお店でしょう。
…施設の駐車場に車を入れ、建物の裏手に続いている廃線跡を見に
行こうと畦道を強引に歩いたら、いわゆる「ひっつき虫」と呼ばれる植物
の種だらけになりましたが。
この辺りから舗装は無くなり、地道になります。でも雰囲気としては、
こっちの方が廃線跡らしくて好きかな。
他にもあるのか未確認なのですが、鉄道時代の標識…勾配票が残って
ました。…コレを引っこ抜くだけの事なんて、ソレほどの手間も経費も
掛からないと思うので、わざと残してあるのかも知れません。
暫く行くと舗装が復活します。元は鉄道橋梁だったソレで小さな川を
越えますが、脇にある歩道の橋の方が明らかに古いですよね。…線路が
あった頃から並行して掛けられていたのでしょう。
この先にも駅の跡地が改修保存されてましたので、続いて寄り道します。
このように時々Googleマップに情報が載ってたりもするのですが、ココは
別所という駅の跡地のようです。
…先程の「とれとれ市場」も同じ地名が付いてましたので、この付近一帯
が別所という地区なんだと思われますが。
しかし、さっき見た石野駅の復元駅舎と双子のようにソックリですね。
…バリエーションを考えるのが面倒だから、同じ設計図で建てたのか?
というぐらいの勢いです。
ホームや線路の残し方、降りる階段などもソックリでした。
…撮るとどっちの画像か分からなくなりそうなので割愛です。
変ってる所と言えば、駅舎の脇に三木線〜三木鉄道の歴史を記した
大きな石碑があるという点でしょうか?
石碑の裏側は細密な車両の絵が彫られています。…恐らくは写真から
起こしたであろう感じ?昔は手作業だった技術も、最近ではPC処理で
機械的に明暗を彫り分けたりするのかも知れません。
後述しますが三木鉄道の車両も最終的に「LE-DCシリーズ」が3両。
…全てが他の会社で元気に走っております。
更に東へと進み、コレも遊歩道化した小さな橋を渡ると終点の三木駅に
至ります。…しかしこの鉄橋、廃線後に塗り直したような新しさですね。
三木駅の跡地は建物がそのまま「三木鉄道ふれあい館」として残されて
おり、駅の構内だった土地は全て、公園として使われています。
…看板になってる踏切の警報機が裏側ですが、夕方のキツい逆光で、
表側だとシルエットにしか撮れなかったもんで。
では最後に、ふれあい館と公園を見学して帰る事にしましょう。
ココは元の駅舎が「三木鉄道ふれあい館」として残され(15m程度移築)、
ボランティアと思しき年配の男性が案内役として常駐しています。
…奈良からソレほど遠い場所でもナイのですが、全国乗り潰しという
ネタを思い付く前に廃止されてしまったので、現役の頃には来れません
でした。木村鉄道に入る前でもあったしね。
出札口は現在の施設としての事務室なのか?改札のラッチも残って
ますが、ホームへの出入口は閉鎖され、小さなタイルを材料にした
モザイク絵で列車が停まってる様子が再現されています。
元の待合室と思しき残りのスペースは、資料館のような展示室です。
…三木鉄道も移管直後は、キテツ1型(元フラワ1985型)と同一の
2軸タイプのLE-CarIIシリーズだったんですよ。ソノ名もミキ180型。
幾ら建造費をケチったとは言え、やはり輸送力に限界があったようで、
その後はLE-CarIIを採用してた各社と同様、一般的なサイズの気動車
に変っていく事になります。
写真を見てると、別府鉄道だとか他の路線のモノも混じってますね。
広く「播磨地方の鉄道に関して」という事にしておきましょう。
本棚には「鉄道ファン」「鉄道ジャーナル」などの雑誌がずらーっと。
カナリの冊数のバックナンバーが揃ってるようです。…こういうのは
恐らく個人の寄贈でしょうね。
ガラスケースには鉄道模型やクリアファイルなどのグッズがありますが、
どうやら売り物ではナイようです。…だったら展示してどうする。自慢?
ともあれ屋内の展示物を見てると、上映されている走行シーンや前面展望
などを収録したDVDに気になる人物が映ってる事を発見してしまいました。
…三木鉄道に最終的に3両在籍していたミキ300型気動車は、全て他の
鉄道会社に引き取られ、今でも元気に走っております。
103…ひたちなか海浜鉄道(そのまま)
104…北条鉄道(フラワ2000-3)
105…樽見鉄道(ハイモ295-617)
…※フラワ2000-3だけ異例の事ですが
未来日付からのリンクなにります。
何れも車齢が若かったし、各地の第三
セクター会社のシリーズ車両はみんな
同系列みたいなもんですからね。
ちなみにWikipediaを見ると、それぞれの買い取り価格も出てまして…
105…樽見鉄道=3,470万円
104…北条鉄道=1,785万円
103…ひたちなか海浜鉄道=500万円
…売れた順番により、希望価格→下回って交渉→売れ残りを叩き売った
という感じらしいのですが、エラく差がついたもんですな。
そして2008年、三木鉄道は惜しまれつつ廃線
となり…と言うかよっしーじゃないですか!
…何かの指示を出してるように見えますね。
他に画面を見てる人が居なかったもんで
管理人のおじさんに許可を頂いて巻き戻し、
一時停止をかけて確認してしまいました。
テロップは「さよならグッズが売られていた」
と、あくまで他動的な書き方ですがコレは
「売ってる人」であり、編集方法に一抹の
無責任さを感じるのは私だけでしょうか?
「ふれあい館」の見学はコノ辺にして(…面白いネタが拾えたので)屋外
へ出てみましょう。
隣接して「MIKI夢ステーション」という、カフェが併設された産直売店が
ありましたが、夕方で閉店した所でした。車庫を再利用した建物だそうな。
広場は児童公園になっていますが、遊具に三木鉄道風のカラーリング
の乗り物があるのが微笑ましいですね。
元の貨物ホームの上屋が休憩スペースとして残されており、横には
グランドゴルフ (ゲートボールとどう違うのか?)のグラウンドがあります。
時間帯によって使用するグループが明確に決まってるようで、責任者の
氏名と固定電話の番号まで表示されてますよ。…今時大丈夫なのか?
…アレはお年寄りのレジャーではあるものの、場所取りやゲームの判定
を巡っての対立やトラブルが結構あると聞きます。
要らん事でエネルギーを使って死期が早まったらどうするんでしょう?
要らん事を心配しても仕方ナイので、続いては「鉄道の駅だった」という
痕跡を見て行く事にしましょう。
電柱に記された「工」のマークは、やはり国鉄(工部省に由来)のモノか?
そして線路跡は、モニュメント的にレールが残されてるようでもあり、
ソレにしては溝が切ってあるから何かが走るようでもあり…更に見学を続け
ます。…始めたのが遅かったので、そろそろ陽が暮れてきましたよ。
何本かのレールと転轍機などが、コレまたモニュメント的に残されており
ますが、ホームと線路の高さが同じなワケはナイので、線路側を嵩上げ
した状態なのかも知れません。…このぐらい乗っとけば良かったな。
…信号機も逆光でマトモに撮れないもんで、開き直ってこんな感じに。
三木線も末期は途中に交換可能な駅がなく、全線1閉塞で運転されて
おりました。…第三セクター化で加古川まで直通する列車がなくなった
のが敗因かも知れませんね。
そして先程から気になってる、線路跡に溝が切ってある状況…。
ココにもサイクルトロッコがあるんですか!
運転時間がカナリ限られてるのと、車両にカバーが被せてあるので
どんな感じなのか分からないのですが、調べてみるに三木鉄道カラー
の車両で、往復400m程度を走れるのだそうです。
…経済成長期のように、役目を終えた鉄道が完全に姿を消すのでは
なく、このように僅かにでも跡地が残されて、存在が後世に伝えられて
いくという風潮は楽しい事ですよね。
そんな事を考えつつ、日暮れもそろそろ限界かと思うので、三木鉄道
の探索を終えて帰る事にしました。
あと兵庫県で行ける廃線跡とすると、高砂線とか尼崎港線ぐらい?
以前に駅跡だけを巡った鍛冶屋線をしっかり見るのもイイかな。
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