廃線跡を探る旅 #020
The trip for abolished railroads #020

 鉄 道 会 社  路 線 名  廃止年月  調 査 区 間  訪問年月
愛宕山鉄道 平坦線・鋼索線
1945/12
嵐山→清滝・清滝川
2018/06
京都の嵯峨野地区に15年間だけ存在した、愛宕山鉄道の廃線跡を探る旅です。 




2018年6月の事。播磨下里関係の行事が連続するので「もどき号」
間合い運用的な使い方で、京都廃線跡を1つ、見に行ってきました。

嵐電嵐山駅からへ、嵯峨野大覚寺念仏寺を経て愛宕山へ至る
愛宕山鉄道の跡地です。

鉄道が存在したのは戦前の事で、嵐山から清滝までの鉄道線が3.4km
ソコから愛宕山登るケーブルカーが2.0kmの路線でした。

京都の愛宕山ってと、洛北にあって山頂の愛宕神社火の神様として
信仰されてるんですが、いまいちマイナーです。

20180618d.jpgしかし戦前の愛宕山はホテル遊園地
スキー場などのあるリゾート地として
賑わってたようなんですね。

…ソレが例によって、戦時中の鉄供出
に引っ掛かり、昭和19年不要不急
路線
として休止
そのまま復活する事なく廃線となって、
現在は鉄道線は殆どの区間が道路に
転換
されています。

そして観光施設閉鎖されたので、現在は登山客が神社を目指して
徒歩で登る程度。…という栄枯盛衰な所なのですが。

20180618b.JPG 今回、色々考えた挙句に朝の5時から
出発という無駄に早起きなスタートと
なりました。

当日は「午後から雨」という天気予報
になっており、早くしないとヤバい状況
であったのと、丁度1か月後にある観光
列車に乗る計画を立ててましたので、
当日の10時にドコかの駅で「10時打ち」
をしようという目論見があったんです。

結果的に言うと色々と上手く行きました

京都なんてのは無駄に観光客が多いので、早朝の方が運転しやすい
廃線跡巡りの時はイキナリ止まったりするので)し、写真も撮りやすい
尚且つ曇りだと光線具合が一定してるから、陽の傾きを考えずに行ける
所から取材出来るのです。

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そんな感じで嵐電嵐山駅からスタート。…駅を出てすぐ、県道の高架
線路を跨いでるワケですが、コレが途中から廃線跡なんですって。

駅舎の正面から見て一番左のホームが元は愛宕山行きだったそうで、
線路はココから大きく左にカーブしてました(実際に見たワケじゃないが)。

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駅を出て狭い路地を、ソレと思しき方向へ進んでみましょう。
程なくしてJR山陰本線の線路に当たります。

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鉄道ってのは当然、先に出来た方が地面を走り、後からの方高架
だったり地下だったり、不自然な方法で横切る事になるので、愛宕山
鉄道があった頃は築堤で山陰本線を越えてたそうな。

ちなみに山陰本線ココの開業明治32年愛宕山鉄道昭和4年
だそうな。…では15年間しか存在しなかったという事ですか?

高架道路に乗れる地点まで引き返し、車でソレを越えて清滝方面へ。
山陰本線の線路を越え、丸太町通りを横切ります。

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廃線跡の殆どが、この府道29号線として道路転換されてる感じでしょう
か? 片側1車線の有り触れた道路なので、コレが廃線跡だと知る人も
今では少ない筈。

…私も何度か通った道ですが、 意識して見たのは初めてでしたよ。

20180619d.JPG 20180619e.JPG

程なくして嵯峨釈迦堂前というバス停が出てきます。鉄道線だった当時
はコノ付近に釈迦堂という駅と車庫があったそうな。

「釈迦堂」ってから小さな堂宇かと思ったら、コレは清凉寺というカナリ
大きなお寺の事であると。

…更に行くと時代劇のロケ地で有名な大覚寺などもあり、愛宕山鉄道
山手へのレジャー客だけでなく、途中の社寺への参詣客の需要も
担っていたんでしょう。

ちなみに嵐山からココまでの間に嵯峨西という駅もあったらしいの
ですが、どの資料にも確たる場所の分かるモノはありませんでした

20180619f.JPG 20180619g.JPG

更に進むと、段々と洛北の山脈が見え始め、登り坂になっていきます。

小高い丘の脇を通る区間は進行方向の右側が石垣になってますが、
コレは鉄道線時代から存在するものだと言う事。…そう言われれば
この手の築堤
というのは他所の路線でも割と見かける感じかな。

愛宕山鉄道京阪電鉄京都電燈京都市電の前身?)の共同出資
会社
だったので、開業当初から電車による運転でした。

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…なので随所に木製の架線柱が、根元だけですが残っています

そして線路の左側の一段低い所に旧街道が通っており、この付近
平行した地点にあるのが化野(あだしの)念仏寺です。

「化野」という、他所者には耳慣れない名称ですが、元は平安時代から
続く墓地があった所で、現在も無縁仏や水子の供養などが行われる
お寺として知られておりますね。

…今回はお寺がメインではありませんので、スルーして鉄道の遺構
中心に見て行きます。鉄道時代からの橋梁が残ってると聞きました
ので、続いてはココから見て行く事に致します。

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道路の橋としては「鳥居本橋」という名前のようです。
勿論現在は、自動車用としてコンクリート製のモノに架け替えられて
おりますが、下の橋台や築堤など鉄道時代のままだそうな。

下は川ではなく旧街道から枝分かれする脇道が通っております。
ココをくぐると旧街道の方へ出れるらしいので、車を駐車場に置いて、
少し歩いてみる事にしましょうか。

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…この付近の旧街道は、いわゆる「風致地区」という事なのか、昔の
街並み
保存又は復元した感じの建物で統一されており、その中に
「街並み保存館」
という施設がありました。

本来はソノ名の通り、建物の構造や町の歴史を紹介する施設らしいの
ですが、愛宕山鉄道に関する展示もあるという事です(入場は無料)。

20180620g.JPG 20180620h.JPG

当時の貴重なモノと思しき絵図や写真などがありますね。絵図は観光
パンフレットでしょうから、誇張して描いてあるとは言え、ケーブル線
愛宕山へ登る重要な観光路線であった事が伺えます。

電車木造ですがボギー車のようで、意外にも複線です(末期は金属
供出
のため単線化)。…期間が15年と短かった事から、線路も車両
他の路線に転用されたそうな。

20180620e.JPG 20180620f.JPG

そして施設内には、この周辺鳥居本という地区)に、線路が存在した
の様子を復元した割と大きなジオラマ模型も展示されておりました。

20180621a.JPG旧街道の方は、昔から社寺参詣の人々が
行き交う宿場町でもあったんでしょう。
狭い土地ではありますが道路に沿って町が
栄えている
様子がよく分かります。

そして一段高い山裾に、愛宕山鉄道の線路
が敷かれておりました。

季節は春なのか、桜の並木が並んでます。

コレは今だったら絶好の撮り鉄スポット
なってた事でしょうね(戦前だとカラー写真
貴重だから少ないでしょ)。

20180621b.JPG係の人の解説によると、地理や測量
についてカナリ詳しい人が作ったらしく、
山の方向に向かっての傾斜なども
正確に再現されてるそうな。

しかし縮尺は1/100
…あれ?鉄道模型のサイズとしては
些か中途半端じゃないですか?
1/80ならHOゲージ1/150ならNゲージ
の設備がそのまま転用出来たものを。

…作成者は地理学の専門家でも鉄ヲタではナイ人のようですな。

下の画像でピンク色の札が立ってる所が現在地、ソコから右の白い札
の付近に鳥居本という駅があったという事で、すぐ近くのようです。

20180621c.JPG 20180621d.JPG

街並み保存館を出てすぐの所に、愛宕神社の一の鳥居があり、近くに
上の府道29号線…要するに元の愛宕山鉄道の線路へ登る古い石段
がありました。

20180621e.JPG 20180621f.JPG

この付近が鳥居本駅跡地だそうです。ホームや駅舎もあったので
その分、道幅が広くなってるのが確認出来ます。

廃線と同時に道路転換されてバスが走るようになったので、現在
でも鳥居本というバス停が存在しておりました。

20180621g.JPG 20180621h.JPG

この先からへ曲がると、嵐山高雄パークウェイという観光有料道路
に通じており、更に洛北の景勝地へ行けるルートになるんです。

免許取ったばかりで、走り回るのが楽しくて仕方ナイ(今でもだけど)
頃に来た事がありますよ。

今回はソレ目的でありませんので、こちらもスルーして先へ進みます
続いて出てくるのが愛宕念仏寺と、今回のメインの見物である清滝
トンネル
です。

20180622c.JPG 20180622d.JPG

念仏寺の方は1,200体と言われる石製の小さな羅漢様で有名です。

…「必ず自分に似てるヤツがある」と言われてますもんで、次回は
木村鉄道お絵描き会の人脈の皆さんのモノを探してみよう
思ってますが。

清滝トンネルは長さが300m程度
基本的には複線だった愛宕山鉄道ですが、ココだけは単線だった
ようで、今でもほぼそのまま車道として使われています。
…反対側から来たのが、現在同じ役目を担っている路線バスです。

20180622e.JPG 20180622f.JPG

道路幅が狭いので、入口には交互信号が設けられています。

…元々ココを知ったのは「心霊スポットである」という噂からであり、
この地点に行きついてダイレクト青信号で入れたら「霊が呼んでる」
のだそうです。どうせ根拠などナイんでしょうがね。

20180622g.JPG 20180622h.JPG

元が鉄道線だった道路のトンネルは、旧北陸本線なとでも見てきた
モノですが、途中でカーブしてて見通しが効かないんですな。
画像はブレてるので早く感じますが、時速30km以上は危険でしょう。

という事で無事に出てきました
…しかし毎度思うのですが、肝試し心霊スポットのテレビ取材という
のは「何でワザワザ夜に行くのか?」が疑問です。危ないじゃん。

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トンネルを抜けた所が清滝という地区でして、清滝川という渓流に
沿った
小さな盆地になっています。環境的にも涼しげな所であり、夏場
の避暑地
でもあったであろうと予測されます。

ココに鉄道線の終点だった清滝駅があったようです。…現在は、先程
路線バス終点のバス停転回場になっていました。

もし現代だとしても、鉄道で来たらまた違った雰囲気の場所に感じた
かも知れませんね。

…続いてはココから少し離れたケーブル線の跡地を探りに行きます。

20180623b.JPG 20180623c.JPG

普通は鉄道線の先に鋼索線(ケーブルカー)があれば、すぐに乗り換え
られる位置にあるもんですが、ココは少し離れています

清滝川に沿った道路が二又に分かれており、へ行くと元は旅館街
などがあった旧道、右が自動車用のバイパス道路のようですね。

戦前京都の奥座敷のようなリゾート地だったらしく、多くの旅館など
があったようですが、現在は廃墟と化してるモノも多く、心霊スポット
こんな所から来たのかも知れません。

てか「廃墟」「不気味なトンネル」ってだけで心スポ化してしまうからね。

20180623d.JPG20180623g.JPG

自動車用の方の道路を進み、清滝川に架かる橋を渡ったら、愛宕山の
山頂
へと続く登山道が出てきます。

20180623e.JPG20180623f.JPG

…ココから既に愛宕神社の参道という発想なのか鳥居がありますね。
距離にすると約4km。とは言え山道だろうから、普通に「歩いて1時間」
というワケにも行かないでしょう。

ちなみにケーブルカーの営業キロ2.0km。やはり約半分ですか。

20180623h.JPG 20180623i.JPG

ココ…正確には先程の白い看板があった石段の上に、ケーブルカー
清滝川駅がありました。

古い写真を見ても、地形が現在と特に変わってない事が分かります。

…先程渡ったもありますが、自動車の通行考慮してなかった
でしょう、入口が階段になってます。
そして木造でしょうが寺院建築風立派な駅舎が建ってたようですね。

建物は既にありませんが、跡地そのものは見れるようなので、続けて
石段の上に登ってみました。

20180624a.JPG 20180624b.JPG

廃止から70年以上という事で、駅そのもの既にありませんが、
何となく「ケーブルカーの駅だった」事が伺える地形なんですよ。

コンクリート製のユルい階段は、ホームの跡地だと思われます。
他にもよく見たら、建物の基礎跡らしき部分が残っておりました。

20180624c.JPG 20180624d.JPG

更に先へ進むと、ケーブルカーの軌道に入って行くワケなんですが、
切り通しなどのが見れるものの線路土砂で埋まっておりました。

で、侵入禁止の看板に当たります。…70年前の廃線跡だとは言っても
当然に土地の所有者は存在するんでしょう。

20180624e.JPG色々と他のサイトを見るに、途中までは
物理的には行けるようです。

幾つかのトンネルがあったり、ケーブルカー
でも無理な地形の部分は高架橋で無理の
ない斜面に変えて進んで行くような感じです。

また山頂にはコンクリート製の駅舎が殆ど
草木に埋もれるような恰好で残ってるらしい
ですが、ソコまで行くと廃墟マニアの世界
でしょうね。
…私は柵から望遠レンズで見れる範囲のみ
にしておきます。

20180624f.JPGそんな感じで愛宕山鉄道を探る旅
ココまでとなり、以下はおまけなの
ですが、先程の清滝トンネルには、
恐らく開通以前からある旧道改修
したような峠道も残っています。

帰りはそっちの方を通って、元来た
嵐山方面へと帰る事にします。
…こっちにも違う意味での見モノ
ありますもんで。

20180624g.JPG 20180624h.JPG

嵐山方向へ向かって左側旧道へ登る坂道があり、勾配が急すぎる
という事か、途中がループ線になっています。

道路にもループ線があるのは知ってましたが、大抵はもっと大規模
な施設であり、小規模な方が逆に少ない気がするんですよ。

ちなみにココは途中まで市街地方向への一方通行です。

20180624i.JPG 20180624j.JPG

そして峠の山頂にあるのがコレ。…よくあるカーブミラーではあるの
ですが「何故こんな所に?」という位置についてますね。

要するに峠の反対側から登ってくる対向車を確認するためのモノで
あり、京都市北部の山間部では意外と当たり前な設備です。

…しかしコレまた心霊スポットコジつけてしまう人が居るもんで、
曰く「ココに婆さんの幽霊が映る、ソレを見たら帰りに事故に遭う。」
のだそうですよ。だから根拠は何なのさ?

ともあれ何度か行った事のあった京都の清滝ですが、廃線跡巡り
趣味にして初めての訪問であり、ソレなりにネタも拾えた1日でした。



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