廃線跡を探る旅 #014
The trip for abolished railroads #014

 鉄 道 会 社  路 線 名  廃止年月  調 査 区 間  訪問年月
信貴山急行電鉄 山上線(通称)
1944/01
高安山→信貴山門
2017/12
信貴山とスイスだけに存在した、ケーブルカーの上の普通鉄道。信貴生駒電鉄廃線跡の旅です。 




2017年12月の事。色々と事情があって遠出が出来ない という状況で、
近場の廃線跡として、1983年に廃止された東信貴鋼索線奈良県側
から信貴山へ登るケーブルカーを思い付いたんです。

しかしコノ寒いのに歩いて山へ登るのは面倒である。…だったら歩きを
下りに
すればイイじゃない。ならいっそ、大阪側からもう1本のケーブル
カー
信貴山に登ろう。ぁ、あの山の上の平地廃線跡じゃなかった?

…という思考での小旅行となりました。

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そんな感じで奈良から近鉄に乗り、布施回り河内山本に到着。
ココから信貴線という短距離の支線で、大阪側のケーブルカー
西信貴鋼索線が出る信貴山口駅へ向かいます。

京阪京津線で頻繁に登場した40‰の勾配ですが、同等のソレ近鉄
の場合、こんな所にあるんですよ。大阪線青山越えや、南大阪線
穴虫峠
のような長距離の難所は概ね33.3‰までに抑えてあるんですが。

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という事で信貴山口に到着。ココからケーブルカーに乗り換えます。
…ココもブログでは紹介した事なかった。と言うか、前回に乗ったのは
恐らく高校生の頃でしょうか。特に用事がナイと来ませんからね。

最近になって、西信貴鋼索線でも交通系のICカードが使えるように
なったようです。…しかしケーブルカーってのは結構高いでしょ。
意識しないでタッチだけしてると、残高不足になる可能性が大きいね。

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コンコースの広くなってる部分に、お約束「車輪と分岐器の解説」
ありました。…未だに私は「フランジのない車輪落ちずに転がってる
という状況が信じられないワケなんですが。

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そんな西信貴鋼索線昭和5年大阪方面から信貴山朝護孫子寺
への参詣輸送を目的として、さっき乗ってきた山本からの支線と、更には
ケーブルを降りた先にある山の上の平坦線とともに開通しました。

戦時中は例によって不要不急路線として休止されたものの、戦後になって
ケーブルカーのみですが復活し、現在も元気に走っております。

朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)は後述しますが、毘沙門天と寅を祀る
お寺
なので、寅年でもナイのに車体は寅だらけです。

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詳しくは後述しますが、行き先である信貴山朝護孫子寺は、に縁の
あるお寺です。

…なので近年、勘違いした阪神タイガースファンの皆さんの信仰も集め
ちゃってる
らしいのですが、寅年でもナイのに境内には大きな張り子の
があったり、このケーブルカーにも寅のキャラクターが描かれてます。

名前は「しぎとら君」と言うそうな。…「なごとらさん」って人なら知って
ますが、最近会ってナイなあ。別にいいんですが。

3匹が親子(家族)なのか、単に大きさを変えて複数配置しただけなの
かはです。…ってか、他にポーズ等のバリエーションナイのかも?

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車内には、やはり朝護孫子寺交通安全のお札がありますね。

近鉄の路線ですが、生駒のケーブルカーと同じく、別会社と思しき
ブルゾンを着た乗務員さん運転?します。

年が改まって初詣の時期になったら、馬鹿みたいに混むのでしょうが、
年末のコノ日は快適に空いておりました。中年のおじさんが、一番前
「かぶり付き席」親子さんに譲ったのは微笑ましい光景です。

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そんな感じで中間地点対向車とすれ違い、鋼索線に時々あるような
短いトンネルを抜けます。

片方の車輪フランジがナイ場合、恐いのは横揺れに対してでしょう。
この程度のカーブ半径と速度では大丈夫。ってのはアタマでは分かって
るんですけどね。

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段々と傾斜がキツくなり、同線の最大である480‰に達しました。
普通の鉄道と明らかに条件が違うのに、同じ基準でサラッと書いてある
のが恐いわ。

という事で、10分足らずの乗車時間で高安山に到着です。

高安という駅は大阪線山本車両基地のある所ですが、ソレに
対しての「高安山」だよな。
何故「山本山」ではナイのか?海苔会社みたいだから?

そしてココから先が、世界的にも珍しい類の廃線跡だと聞いたんですよ。

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昭和5年先述のケーブルカーなどと一緒に信貴山へのアクセスとして
ココにも鉄道が敷かれたんです。

普通の電車からケーブルカーに乗り換えるというルートは珍しくナイ
ですが、ケーブルカーで登った先に更に普通の電車が走ってるという
のは、スイスのドコだか信貴山だけに存在した形態だとか。

ココ高安山駅から朝護孫子寺に近い信貴山門駅まで、営業キロにして
2.1kmの区間を結んでいました。…確たる路線名なく通称「山上線」
とか「平坦線」と呼ばれてたようですね。

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…こんな物見遊山がメインの路線は当然、戦時中不要不急路線
して休止になり、戦後になってケーブルカーは復活したものの、平坦線
は復活する事なく、昭和32年になって正式に廃止が決まりました。

まずそのホームの跡が、ケーブルカーの高安山駅近く残っています
案内看板駅名票のレプリカがありました。

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高校生の頃に来た時には、こんな気の利いたモノ無かったのですが、
最近になって造られたんですかね?…しかしカット文字を貼り付ける
構造のようで、熱だか湿気だかで文字がウネっております

まぁコノ看板を見れば、説明すべき事の殆ど書いてありますわ。

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ソレにしてもコノ写真…。当時はこんな山の上には道路が未整備だった
んでしょうね。平坦線で使う車両は、ケーブルカーの線路伝って上げ
下ろししたようですよ(搬入は勿論、休止後転属移動も)。

…で一度失敗して、谷底に車両が転落するという事故もあったそうな。
まぁ無事に行ってる方がおかしい物件でもあります。

そんな廃線跡は、現在では信貴生駒スカイラインという有料道路の一部
となっており、信貴山門へは近鉄バスが走っております。

ではそのバスに乗りまして、短距離ですが廃線跡の旅に出発です。

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距離が2.1kmであり、途中駅も無かった区間ですから、単線で1閉塞
だったと思われますが、現在は2車線分の車道になっています。

信貴生駒スカイラインってのはソノ名の通り、信貴山から生駒山
かけての尾根の上を走る観光道路であり、奈良に住んでれば何度か
来る
ような所。…私もよく知った道ですが、廃線跡だと意識した事は
少なかったかも知れません。

コース全体を見るとカナリのアップダウンや急カーブの連続ですが、
ココは元が鉄道という事で、どっちも比較的緩やかトンネルが1箇所
だけ存在します。

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距離が距離なので、10分足らずの乗車時間で終点の信貴山門に到着。
…現在は途中、高安山霊園という公園墓地のロータリーに寄ります。

乗り場の柵改札っぽい形状をしてると言われれば、そう見えますね

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この建物はバス停としての新築なのか、鉄道駅の使い回しなのか…
周囲を調べてみましたが、よく分かりませんでした
歩王さんがよく載せてるように、JRなら建築年を記した証票の札
ドコかに貼ってあるもんなんですがね。

室内にココ(奈良県側に入って三郷町という行政区画)の観光マップ
ありましたので、以後の取材に便利そうだから1枚頂いて行きます。

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ココから門前町を歩いて行けば、信貴山朝護孫子寺に着きますが、
今回は廃線跡巡りが主目的なので、ともあれお寺はスルーして、
続いては信貴山を東側へ降りる東信貴鋼索線の跡地へ進みましょう。



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