2017年8月の事。播磨下里駅のお絵描き会に出入りするようになって、
やはりソノ土地柄と言うか、話題や絵の題材によく出てくる別府(べふ)
鉄道という存在について、気になってたので探りに行く事にしました。
…別府鉄道は兵庫県加古川市の別府港から、国鉄高砂線の野口まで
(野口線)と山陽本線の土山まで(土山線)の2本の路線を、昭和59年
まで営業していた会社です。
営業キロは2本合計で8.4km。殊に土山線は殆ど貨物メインの路線で
あり、旅客列車はホンの僅かの本数しか走らなかったそうな。
世代的に少し被ってますが、小学生が勝手に乗りに行ける距離でもなく
実感する事なく終わった路線の1つですね。
事前の調査で、廃線跡の殆どが遊歩道として整備されてると知りました。
…しかし8km以上も歩くのは些か面倒だし、車だと見落としがあるかも
知れない。という事で中間地点に近い東加古川駅でレンタサイクル
を借り東加古川→土山→別府港→野口→(加古川)→東加古川…と
回る事にします。
いつも地図アプリを見まくって、スマートフォンの電池を無駄に消耗する
ので、地図も印刷したモノを用意しました。
そんな感じでラッシュ時間に被らないよう、早めに奈良を出て朝8時過ぎ
に東加古川駅に到着です。…レンタサイクルはJR西日本が営業してる
「駅リンくん」を一時利用で借りる事にします。1回350円とは安い!
まずはスタート地点の土山駅まで3.6km(鉄道営業キロで)を回送。
別府鉄道の旅は、ココから別府港までの土山線跡地から始めます。
土山駅のある播磨町は、兵庫県で最も(面積が)小さな自治体なんだ
そうで、先日知り合ったはりまりこさんが、ソノPRに(勝手に)務めて
らっしゃるワケなんです。
…そして播磨町と言うかコノ地域は、矢鱈と萌えキャラが多い土地柄の
ようでして、後から続々と出てくる事になるんですよ。…お楽しみに。
土山駅から少しの所…これから行く別府鉄道土山線にも被る辺りに
大中遺跡という弥生時代の集落跡の遺跡があるという事で、駅前には
ソレらしい建物をイメージした櫓が建ってました。
…そして歩道の境界にある車止めが、いちいち勾玉なのね。なかなか
洒落たセンスの町だなという第一印象です。
では久し振りの自転車による廃線跡巡り、別府鉄道の旅に出発です。
当然に昔は国鉄と別府鉄道は線路が繋がってたワケで、そもそもは
別府港近くにある多木化学という会社が、自社の製品(化学肥料)を
運び出すために敷設した軽便鉄道のような存在だったらしいです。
駅前広場はロータリーが整備され、廃線跡の面影は見受けられません
が、脇にある「BiVi土山」という商業施設前に、鉄道の駅名標を模した
看板があります。
コレに記されている右方向へ続く「であいの道」という遊歩道が、概ね
土山線の跡地を再利用したモノのようです。
…入口のアーチも、よく見たらレール廃材の再利用品ようですね。
そんな感じで遊歩道「であいの道」を自転車で進んでみます。
暫くは集合住宅の裏手のような所が続きますね。…付近の皆さんが
わんこの散歩やらジョギングやらに利用されてる事でしょう。
随所に東屋のついた休憩スペースが設けられておりました。
そして道々に、このような標識?が
建っています。開始地点から段々と
歴史を遡る感じで西暦の年号と
日本史の色々な出来事が記されて
おります。…コレまた断面が明らか
にレールの廃材ですね。
ご当地に関するモノと言えば、加古川
の鶴林寺(かくりんじ)かなあ。
「花の寺」の札所として以前に行った事がありますが、沙羅の花が美しい
のどかなお寺です。
暫く行くと鶴林寺とは別の、何やら近代的な建築のお寺が見えてきました。
…案内によると圓満寺という、平安時代に起源を持つお寺だそうです。
しかし建物は平成に入っての新築だそうで…五重塔に非常階段がある
なんてのは初めて見ましたよ。って事は人が中に入る事を想定してある
(元々はそうでナイ)のだと思われます。
更に行くと、川を越えて広々とした
公園に入りました。
ココが大中遺跡公園と言いまして、
先述した弥生時代の集落跡である
大中遺跡に当たる場所のようです。
まずはココの資料館に、別府鉄道に
関する展示物もあるという事なので
寄り道していく事にしましょう。
…所で駅の跡は?はい、土山線は駅が少なく、暫く出てこないのです。
そして遊歩道の「であいの道」は、大中遺跡公園に入っておりますが…
大中遺跡、つまり古代の大中村は当時の発音では「オポナカ村」と言う
らしく、併設されている郷土資料館の看板にソノ通りに書かれています。
「いせきくん・やよいちゃん」というファンシー系のキャラクターが居ます
が、お絵描き会周辺で彼等よりメジャーなのは、オポナカちゃんでしょう。→https://twitter.com/OPONAKAchan
…大中遺跡の妖精だそうで、はりまりこさんと同じく播磨町非公認の
萌えキャラちゃんです。中の人はあまり出てこないようですが。
公園内には、復元された竪穴式住居が幾つも展示されており、中にも
入って見学する事が出来ます。
そんな感じで、入館無料の資料館も見学させて頂きました。
…ココでは弥生時代の遺跡に関する出土品などの展示に混じって、
別府鉄道の歴史も紹介されています。
殆どが貨物メインで、旅客収入は僅かだった別府鉄道ですが、規模
も殆ど軽便鉄道に近いもんで、館内の説明によると地元の人たちから
は「ガッタン」と呼ばれてたそうな。…「ガッタンが来たぞ」みたいな。
なるほど、ソレで「ガッタン姉妹」の由来の謎が解けましたわ(後述)。
そしてオポナカ遺跡の資料館の裏に保存車両があるという事なので
見に行ってみましょう。
…看板には「別府鉄道のりば」とありますが、勿論車両は動きません。
ココにあるのは小型のディーゼル機関車と客車が1両ずつです。
説明書きを読んでみるに…殆ど工業地帯のイメージだった別府港付近
も昔は海水浴客で賑わう場所だったらしいですね。
繰り返しになりますが土山線は殆どが貨物メインの路線でした。
そもそも別府付近には山陽電鉄も走っており、通勤通学には明らかに
そっちの方が便利でしょう。
機関車はDC302号。昭和28年製だそうで、3軸の動輪がロッドで連結
されたスタイルでした。
…キレイに塗装されており、銘板関係は新しく作られたモノのようです
(オリジナルは資料館の展示スペース内にあったヤツか?)。
客車はハフ5号。…今時、と言うか別府鉄道の最末期でも珍しかった
であろう2軸の客車です。
…客車ではありますが、貨物列車のオマケに連結して緩急車の代用
として使ってて、ソレに「ついで」としてお客を乗せてるような状況だった
らしいですね。
所で播磨町には、「ガッタン姉妹」という別府鉄道の保存車両を萌え
キャラ化した妖精ちゃんたちも居ます。
→https://twitter.com/GATTAN_Sisters
「鉄道擬人化」というのは他所でも見かけますが、保存車両でソレが
意思(最低限ツイッターのアカウント)を持ってるというのは珍しい話
ではナイでしょうか?
3人姉妹のうち、DC302+ハフ5に相当するのが三女のミニオちゃん。
ぃゃ、播磨町の人はホントに何でも萌えキャラ化してしまうのね。
昨今の情勢として、流行りを読んだ上手い戦略だと思いますよ。
改めてハフ5号客車を見るに、足回り
がホントに2軸車なんですよね。
しかもサスペンションが板バネじゃない
ですか!…どんな乗り心地だったのか
非常に気になる所です。
そして車内にも入れるようになってる
ので、早速乗り込んでみましょう。
ほぼ木製の内装に、モケットではなくビニールレザーのロングシート。
…1067mmではあるものの、見事に軽便規格の客車ですね。
網棚はありますが吊革はありません。…要るほど客は居ないでしょう。
車掌さん用の設備としては、車両の両端に手ブレーキのハンドルが
見えるのと、右の画像の古風な「室内灯スイッチ」ぐらいかな。
車内放送の設備?…地声でも充分聞こえそうだから要りません。
ぁ、勿論ドアは手動です。
そして客車の網棚部分には、路線が現役だった当時の古い写真が
何枚か飾られておりました。…後から行く野口線は、気動車による
旅客列車が走っており、ソレに関する写真が多いようです。
まずはキハ101号気動車。…元は
国鉄の機械式キハ04型だったのが、
片上鉄道を経てココにきました。
片上鉄道保存会に残るキハ303号
とほぼ同型の車両だと思われます。
…ガッタン姉妹では次女のイオイ
ちゃんに相当しますが、残念ながら
個体はもぅ残されておりません。
そしてキハ2号。昔のローカル気動車
によく見られたバケット(荷台)つき
の車両です。
ガッタン姉妹では長女のキハニちゃん
ですね。この子は厳しい状況ながら
沿線に現存しており、後で会いに行く
事にしております。
…場所は国鉄と接続していた野口駅。
最末期の国鉄高砂線は、キハ35系あたりが走ってたようですが、この
写真は国鉄も古風な機械式気動車ですね。…エラい時代のモノだな。
そんな感じで些か脱線しましたが、
廃線跡サイクリングに戻りましょう。
…遊歩道「であいの道」は先程の
大中遺跡公園までとなり、コノ先は
一般の車道に変わっています。
地図で見るに、元からある田んぼの
長方形が並んだ土地とは明らかに
違う斜めのルートなので一目瞭然。
そして暫く行くと、播磨町から加古川市に入ります。ココにあるのが…
川崎重工の加古川工場。右の道路も廃線跡であり、現役時はコノ辺に
信号場があったとされていますが、見た限りソノ痕跡はありません。
調べてみるに現在の加古川工場の生産品は「二輪車・アルミ鋳造品」
となっていますが、過去には鉄道の貨車を製造していた事がある
そうで、完成した新車をココから別府鉄道経由で土山方向へ甲種輸送
してたのだと思われます。
そして川崎重工を過ぎると、道端に気になるモノを見つけました。
使わなくなった有蓋貨車を、倉庫代わりにしてあるのは珍しい事では
ありませんが、何と別府鉄道の社紋と社名入り!
…にしては些かキレイすぎる気がせんでもナイのですが、コレは何だ?
車体に記されている通り「別府鉄道 ワ124」でネット検索すると、複数の
画像が見つかりましたが、どれも赤錆が浮いた本来の廃車体の雰囲気
で写ってるモノばかりでした。…最近になって塗装が復元されたって事?
…小規模な事ですが保存会の存在が垣間見えますね。コレは楽しみ。
同じ道路を更に進むと、国道250号線と交差する中野東という交差点
に出ます。…この付近に中野駅という駅が存在したらしいのですが、
痕跡は残ってナイように見受けられました。
そして暫く行くと、鉄道の高架が2本見えてきました。
…手前が山陽新幹線、奥が山陽電鉄の本線です。この辺りは目測
ですが20mぐらいの間隔で2路線が並走している区間なんですよ。
新幹線の方はスパンの長い高架橋ですが、山陽電鉄は築堤を切って
単線鉄道幅の橋台が設置されています。
…道路化後は、自動車のすれ違いが大変な所になってる事でしょう。
その2本の高架下をくぐると、間もなく別府鉄道の要衝であった
別府港駅に到着なのですが、道路はソノ手前で途切れておりました。
…パチソコ屋の駐車場と化してるようなので、コレを突っ切ります。
別府港駅は土山線と野口線が合流する駅であり、車庫や貨物操車場
がある広大な駅だったようですが、当然にソノ面影は残っておらず、
機関区跡とされている所は現在、イトーヨーカ堂などの大型店舗の
駐車場となっておりました。
そんな感じで別府港駅からは、スイッチバック状態で折り返し、続いて
野口線の探索へと移ります。
朝は曇りがちだったお天気が、青空が見えて段々と気温も上がって
きました。…今まで涼しく快適なサイクリングでしたが、暑くなりそう。
形状としてはスイッチバック駅ですが、恐らく両線の列車はそれぞれ
ココから折り返すダイヤだったと思われます。…というかソレほどの
本数が走ってたのかすら謎ですが。
ちなみに鉄道事業からは撤退したものの、別府鉄道という会社自体は
現在も残っております。ソノ本社が元の別府港駅近くにありました。
…何となく普段見慣れてる雰囲気に近いですが、タクシー会社です。
「○○鉄道」と言いつつソレ以外の業種なのは特に珍くありません。
そんな感じで再スタートです。野口線の跡地も、殆どが遊歩道として
転用されており「松風こみち」という名前が付けられているそうな。
管理は加古川市でしょう。…すぐの所に山陽電鉄の別府駅があります。
やはり本来の土地の区割りに対して斜めに走ってた線路なので、道路
に対して斜めに横切る所が多いですね。勿論コレらは踏切跡です。
左が先程見た写真にあった、別府口駅近くの踏切跡だと思われます。
そして何箇所かは右のように、レールと踏板がモニュメント的に残して
あるんですよ。こういうのは楽しいですね。
という事で後半、野口線跡地の旅が始まりました。野口線はカナリ早い
時期に貨物の取り扱いをヤメてしまい、気動車による旅客列車が運転
されていた路線です。
途中駅は別府港−別府口−坂井−円長寺−藤原製作所前−野口。
こちらもほぼ全線区間が遊歩道として整備されており、駅の跡地には
こんな感じで休憩出来る東屋が設けられております。
…「夜桜会」って何やねん?ですが、消えかかってる元の表記を見ると
「坂井休憩所」と読めますね。ココが恐らく坂井駅の跡地でしょう。
遊歩道(左)と一般の道路(右)が並行している所もあります。
変わった光景に見えますが、一方が鉄道線路だった事を想像すると、
まぁよく見る風景ですね。…線路跡に玄関が向いてるお家は、廃線後
に建ったモノかも知れません。
そして公園風に少し広くなった所が円長寺駅の跡地だという事で、
ココにもう1両の保存車がありました。
三岐鉄道からやってきたバケットつきのキハ2号。ガッタン姉妹では
長女のキハニちゃんに当たります。
そしてこのキハニちゃんは、保存会の皆さんによる復元作業が行われ
ており、社員旅行で北条鉄道を訪れた時に案内して下さった誉田さん
がその世話人でもあるんですよ。
…アレ以来、ずっと「実物を見てみたいな」と思っておりました。
こちらも雨ざらしでカナリ痛んでるようですが、着々と進んでる感じです。
オリジナルはオレンジ色のツートンカラーでしょうが、何故かピンク?
今後の展開が期待される所です。
車両と併せて、駅で使われていたであろう駅名票や廃止時の案内看板
などが残されています。
円長寺という駅名は近くにあるお寺に由来するのだと思われますが、
地図で見るに「円長寺公園」というのも別に存在するようです。…じゃあ
ココは何て言うの?標柱のようなモノを探したけど見つかりません。
敷地内にあるベンチも、見た感じ枕木の廃物利用でしょうか?
ともあれキハニちゃんに会えましたので、廃線跡の旅を再開です。
暫く行った県道386号線と交差する付近が藤原製作所前駅の跡地の
ようです。…藤原製作所という会社は「株式会社テイエルブイ」と名前
を変えて現在も存在する機械メーカーで、コノ他にも付近には食品工場
などが多い地区のようでした。
加古川・野口方向から、ソレなりに通勤需要などもあったのかもね。
その先の水路(呼称不明)にかかる橋は、鉄道のガーター橋をそのまま
転用した感じのモノでした。…こういうのは面白いから好きです。
と、ココでそろそろお昼なので昼食にしましょう。…加古川と言えば
名物の「かつめし」という料理がありますので、事前に調べてきました。
…先程の鉄橋から水路に沿って、少し南へコースから外れた所にある
「ラッキー食堂」というお店が近そうなので、ソレにします。
御飯の上にボリュームのあるカツレツ(牛・豚・鶏などが選べる)が
載っており、デミソースともまた違う感じのコクのあるソースが掛かった
お料理です。…ずっと自転車を漕いできましたから、コレは美味い。
お店によっても味に差があるらしいので、今後また食べ比べの出来そうな
ネタでもありますね。
そしてコノ「かつめし」にも擬人化
された萌えキャラちゃんが存在する
という…ソノ名も「かつめしちゃん」
→https://twitter.com/katumesiです。
ホントに播磨地方の人ってもぅ…。
ともあれ食事を終えたら元の廃線跡
に戻り、遊歩道も間もなく終点です。
駅跡ではナイけど東屋がありました。
この先の広い道路を渡ると野口線の終点で、国鉄高砂線に接続していた
野口駅の跡地に出るようです。
(1984年まで)は山陽本線の加古川からココを経て高砂港まで、国鉄
高砂線が走っておりました。
…高砂線の廃線跡というのも、殆どの区間が道路に転用されており、
信号機などの設備がモニュメントとして残ってるらしいと聞いております
ので、今後の課題になるでしょうね。取り敢えず今回は野口駅跡です。
花壇のように嵩上げされた部分に線路が敷かれ、気動車用のDT22と
思しき台車が置かれています。…「台車1個」というのも珍しい?
所でコノ台車、気動車用なので変速機に繋がるディファレンシャル
(継手)が片方に付いてる構造なのですが、試しにシャフト(軸)部分
を触ってみたら、ちゃんと回転しました!…優秀なベアリングだな。
野口駅は高砂線で、加古川から1つ目の駅だったワケですが、昭和の
時代で同名のアイドルさんと言えば「新御三家」の野口五郎さんですよ。
Wikipediaによると現役当時は彼のファンの皆さんの聖地だったとか。
で四国の予讃線には五郎駅があるワケで…「野口→五郎」の切符が
発券出来れば、さぞかし売れた事でしょう。でもココ既には無人駅…。
ちなみに「野口→五郎」は廃止当時の普通運賃で調べると、宇高連絡船
を入れて4,900円と出ました。…記念切符として買うには高いかな?
そんな感じで最後は一度、加古川駅に立ち寄ってから、自転車を借りた
東加古川駅まで回送して別府鉄道を探るサイクリングの旅は終了と
なります。…午後から天気が良くなったのでカナリ日焼けしましたよ。
高砂線跡地と、かつめしの他のお店が次回以降の課題ですな。
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