廃線跡を探る旅 #006
The trip for abolished railroads #006

 鉄 道 会 社  路 線 名  廃止年月  調 査 区 間  訪問年月
日本国有鉄道 宮原線
1984/12
恵良→肥後小国
2016/06
国鉄時代、乗りたくて叶わなかった九州の宮原線。廃線跡ですが雰囲気だけでも楽しみたくて…。 




2016年6月の事。「初めて自分の車で九州へ」という旅で、フェリー
乗って愛媛県の八幡浜から別府に入り、豊後森機関庫などを見た後、
宮原線跡地の旅に向かいました。時系列としては「青島で猫ヨシヨシ」
翌日に当たるのですが。

宮原(みやのはる)線
は、豊後森から1つ大分寄りの恵良から熊本県
肥後小国までの26.6kmを、昭和59年まで営業していた路線です。
 
20160801c.JPG当時読んだローカル線の本(…多分
コレ)で紹介されていたのですが、
添えられてる写真「これぞ九州の
ローカル線!」
という感じでスゴく
風情があって
ずっと行きたいと
思ってた所
でした。

なのに自分が大人になった頃には
アッサリ廃線ですから、私の中で
「幻の路線」に近い憧れ
の場所です。

20160801d.JPG まずは豊後森から恵良に向かいます。
路線の基点は恵良ですが、宮原線
列車は基本的に全て豊後森発着
だったようです。

久大本線と平行した道路で、列車に
出会いました。時刻表から推測して
豊後森1239「ゆふ72号」かな。

…咄嗟の事で後ろがギリギリでした。

そんな感じで恵良駅に到着。宮原線を探る旅はココからスタートです。

20160801f.JPG 20160801e.JPG

こちらも最近になって改装されたと思しきキレイな駅舎でした。
建物内には、町の歴史を伝える小さな資料館も併設されています。

…今回の宮原線の旅に関しては、先人の記録として歩王さんのブログ
大いに参考にさせて頂きました事を、先に記しておきます。

20160801g.JPG 20160801h.JPG

駅舎側の1番線ホームから豊後森方向を見ると、信号機の向こう側、
草に埋もれた部分3番線の線路跡だという事が分かります。

線路は無くなってますが、2番線の反対側が3番線島式ホーム
だった名残も見て取れますね。

豊後森を出た宮原線の列車は、駅の手前から分岐して3番線に入り、
肥後小国方向へと反れて行った感じなんでしょう。

では地図と航空写真を頼りに、出来るだけ当時の線路跡に近いルート
を走って行く事にしましょうか。

航空写真によると恵良を出た線路は、暫く久大本線に沿って走り、
途中から右に反れて鉄橋で国道210号線と玖珠川を越えてたようです。

20160802e.JPG 20160802a.JPG

…左の図の赤く塗った部分がソレです。で現地の写真が右。線路は
撤去
されていますが、暫く築堤が残ってました(↓部分)

20160802b.JPG 20160802c.JPG

つい最近までガーター橋が残ってたらしいのですが、現在はソレ自体
はなく
築堤の端の建造物にのみ、ソノ面影を見る事が出来ます

奈良時代だの弥生時代だの、古代の遺跡だらけ奈良県に住んでる
私ですが、コノ手の近代遺跡の方が実は好きだったりしますね。

昔の航空写真と比較してみる、歩王さんみたいな趣味も面白そうだし

20160802d.JPG 20160802f.JPG

本体はもっと古いんでしょうが、昭和53年の改良工事に伴う記録名盤
がありました。廃止は昭和59年だから、工事から6年の命か。
勿体無いハナシですね。

国道210号線を越えて玖珠川の対岸に出ると国道387号線のバイパス
に出ます。コレが廃線跡なのですが、…現在は殆どの区間がソレとして
転用
されてる感じでした。

20160802g.JPG 20160802h.JPG

そんな感じでバイパス道路を暫く走ると、いきなり道路脇に駅名標
出てきます
…最初の停車駅、町田駅の跡地だそうな。

歩道から更に一段高くなってる所が、元々のホーム跡なんでしょう。

公園…というには殺風景な草地ですが、微妙な感じの広場として残って
ました。小学生の集団登校の待ち合わせ場所ぐらいにはなるか?

そのままバイパス道路を走って、次は宝泉寺駅跡地に到着しました。

20160803a.JPG 20160803b.JPG

…近くに宝泉寺温泉というのがあり、ソノ玄関口みたいな所です。
現在はバスに転換されてますので、同じ名前のバス停がありました。

先述のように線路跡が国道のバイパスになってますので、元の駅前
広場
はソコから一段下がった場所。築堤の上がホームと線路だった
事になります。

20160803c.JPG 20160803d.JPG

駅があった名残りという事か、一角に腕木信号機転轍機レバーなど
が置かれてました。…「保存してある」という雰囲気じゃナイけど。

20160803e.JPG 20160803f.JPG

駅はなくなっても、ゴミ箱に「駅前」という表記だけが残ってたりも
しますね。…私は身近に「廃止された駅」というのがナイ生活をしてる
ので分からないのですが、慣れ親しんだ地元の人からすると、ココは
今でも「駅前」の感覚なんだと思います。

で、その広場から道路に上がる階段があって、コレが元々駅舎から
ホームへ上がる通路だったという事。…勿論通ってみますよ。

20160803g.JPG 20160803h.JPG

ホーム跡は、ちょっとした公園っぽい感じにアレンジされており、
季節柄アジサイが満開でした。
国道を走ってて疲れた時なんかに駐車出来るアレの感じです。
元は駅だった場所ですから、適材適所な使われ方かも知れません。

…やはり熊本の震災の影響なのか、矢鱈と自衛隊の車を見かけます。
まだ平穏は遠いのかも知れませんが、ともあれ次の駅に移動します。

宝泉寺
の次の麻生釣山間部で、草に埋もれて大変だという事なので、
カットして北里です。
「細菌学の父」と呼ばれた医学博士北里柴三郎氏の出身地だそうな。

20160804a.JPG 20160804b.JPG

途中で県境を越え、熊本県に入ります。阿蘇の外輪山北の端っこ
ぐらいに当たるんでしょうか?
電光掲示板には、まだまだ不穏な事が書いてありますね。

20160804c.JPG 20160804e.JPG

えーと、ココでいいんでしょうか?道路脇がまた広場のようになってて
道の駅が併設されています。そこにホーム跡のような建造物があり、
何故か「妖怪ウォッチ」のコマさんみたいなのが居ました。

…よく造り酒屋さんの店先に、杉の葉っぱで作った玉が吊るしてあり
ますが、アレと同じような作り方のようです。…なんでコイツ?

20160804d.JPG 20160804f.JPG

ホームには駅名標がありますが新しすぎる?…どうやら復元品らしい。
と、ココにもホームと駅舎を繋ぐ通路&階段が残ってますが、今ある
ホームの位置とは微妙にズレてますので、移築されたモノなんでしょう
歩王さんの推測そのまま)。

…そう言えばホームの屋根も、実用品にしては不自然に急角度ですね。

20160804g.JPG 20160804h.JPG

宮原線には、開通当時から残るコンクリート製のアーチ橋が何箇所
かあり、北里駅の横にもソノ1つを見る事が出来ます。やはりココも
文化財としての指定を受けてるようですね。

20160804i.JPG
ココから終点の肥後小国までは、廃線跡が
遊歩道として整備されており、アーチ橋の
上も歩く事が出来るようになっています。

…お天気が良ければハイキングなんかしても
気持ちイイかも知れませんが、今回はヤメて
おきます。
ココに車を置いて行くのも中途半端だし。

そんな感じで豊後森・恵良を出て、途中色々
と見ながら約2時間元の終着駅だった
肥後小国駅の跡地
に到着です。

20160805b.JPG20160805a.JPG

ほんの僅かの線路跡と、駅名標モニュメント的に残されている場所
に出ました。ココは何なのかと言いますと…

20160805c.JPG 20160805d.JPG

現在はココも「道の駅」として整備されてた場所になっておりました。
…右がソノ中心となる「ゆうステーション」という建物なんですが…

科学特捜隊本部?無駄にギャラクシーと言うか、洒落すぎてナイ?
建物の周囲がロータリーになっており、バス乗り場も併設されています。

20160805f.JPG 20160805e.JPG

…コレだけクリスタルな建物なのに、周囲の歩道がどうも木製枕木
っぽい
というのも面白い組み合わせです。駅を解体した時のモノ
再利用したのかしら?

店内には、やはり地場の産物を中心としたお土産類が多くありました。

20160805g.JPG 20160805h.JPG

再び屋外に目を転じると、ココにもやはり腕木信号機と転轍機レバー
…あれ?何か引っ掛かってますね

よく自転車のおばちゃんが使う、超日除け面でした(名前は適当)。
アレは車から見てると、表情が全く分からなくて怖いです。
てかコレを使っていいのは、溶接の職人さんだけだと思うのですが。

今日は雨だけど、陽射しの強い九州の事。おばちゃんにとっては
武士の刀ぐらいに大事なモノではナイんでしょうか?

20160805i.JPG
折角来たので、何か買って貢献したい
所ではあるのですが、今朝のフェリー
運賃の読み違え現金がヤバいので、
取り敢えず地元産っぽい牛乳を1本。

という事で積年の念願だった宮原線
廃止後30年以上経っての事ですが、
ようやく来る事が出来ました

以下おまけ…ココまでの途中に、このような道路標識がありました。

20160806a.JPG
…私は中学校の修学旅行九州で、
宿泊地阿蘇山の近く、まさにコノ
瀬の本高原にある黒川温泉だったん
ですよ。超懐かしい!

当時から「自分の車で阿蘇のやまなみ
ハイ
ウェイを走りたい」という願いがある
んですが、まだ達成出来てなくて…。

でも何となく「ココまで来れたんなら次ぐらいに行けそうかな?」
思えましたね。



蔵部駅資料館に戻る
ブログ「新・駅長日誌」