2016年6月の事。「初めて自分の車で九州へ」という旅で、フェリーに
乗って愛媛県の八幡浜から別府に入り、豊後森機関庫などを見た後、
宮原線跡地の旅に向かいました。時系列としては「青島で猫ヨシヨシ」
の翌日に当たるのですが。
宮原(みやのはる)線は、豊後森から1つ大分寄りの恵良から熊本県
の肥後小国までの26.6kmを、昭和59年まで営業していた路線です。
当時読んだローカル線の本(…多分
コレ)で紹介されていたのですが、
添えられてる写真が「これぞ九州の
ローカル線!」という感じでスゴく
風情があって、ずっと行きたいと
思ってた所でした。
なのに自分が大人になった頃には
アッサリ廃線ですから、私の中で
「幻の路線」に近い憧れの場所です。
まずは豊後森から恵良に向かいます。
路線の基点は恵良ですが、宮原線の
列車は基本的に全て豊後森発着
だったようです。
久大本線と平行した道路で、列車に
出会いました。時刻表から推測して
豊後森1239の「ゆふ72号」かな。
…咄嗟の事で後ろがギリギリでした。
そんな感じで恵良駅に到着。宮原線を探る旅はココからスタートです。

こちらも最近になって改装されたと思しきキレイな駅舎でした。
建物内には、町の歴史を伝える小さな資料館も併設されています。
…今回の宮原線の旅に関しては、先人の記録として歩王さんのブログ
を大いに参考にさせて頂きました事を、先に記しておきます。

駅舎側の1番線ホームから豊後森方向を見ると、信号機の向こう側、
草に埋もれた部分が3番線の線路跡だという事が分かります。
線路は無くなってますが、2番線の反対側が3番線…島式ホーム
だった名残も見て取れますね。
豊後森を出た宮原線の列車は、駅の手前から分岐して3番線に入り、
肥後小国方向へと反れて行った感じなんでしょう。
では地図と航空写真を頼りに、出来るだけ当時の線路跡に近いルート
を走って行く事にしましょうか。
航空写真によると恵良を出た線路は、暫く久大本線に沿って走り、
途中から右に反れて鉄橋で国道210号線と玖珠川を越えてたようです。

…左の図の赤く塗った部分がソレです。で現地の写真が右。線路は
撤去されていますが、暫く築堤が残ってました(↓部分)。

つい最近までガーター橋が残ってたらしいのですが、現在はソレ自体
はなく、築堤の端の建造物にのみ、ソノ面影を見る事が出来ます。
…奈良時代だの弥生時代だの、古代の遺跡だらけの奈良県に住んでる
私ですが、コノ手の近代遺跡の方が実は好きだったりしますね。
昔の航空写真と比較してみる、歩王さんみたいな趣味も面白そうだし。

…本体はもっと古いんでしょうが、昭和53年の改良工事に伴う記録名盤
がありました。廃止は昭和59年だから、工事から6年の命か。
勿体無いハナシですね。
国道210号線を越えて玖珠川の対岸に出ると国道387号線のバイパス
に出ます。コレが廃線跡なのですが、…現在は殆どの区間がソレとして
転用されてる感じでした。

そんな感じでバイパス道路を暫く走ると、いきなり道路脇に駅名標が
出てきます。…最初の停車駅、町田駅の跡地だそうな。
歩道から更に一段高くなってる所が、元々のホーム跡なんでしょう。
公園…というには殺風景な草地ですが、微妙な感じの広場として残って
ました。小学生の集団登校の待ち合わせ場所ぐらいにはなるか?
そのままバイパス道路を走って、次は宝泉寺駅跡地に到着しました。

…近くに宝泉寺温泉というのがあり、ソノ玄関口みたいな所です。
現在はバスに転換されてますので、同じ名前のバス停がありました。
先述のように線路跡が国道のバイパスになってますので、元の駅前
広場はソコから一段下がった場所。築堤の上がホームと線路だった
事になります。

駅があった名残りという事か、一角に腕木信号機や転轍機レバーなど
が置かれてました。…「保存してある」という雰囲気じゃナイけど。

駅はなくなっても、ゴミ箱に「駅前」という表記だけが残ってたりも
しますね。…私は身近に「廃止された駅」というのがナイ生活をしてる
ので分からないのですが、慣れ親しんだ地元の人からすると、ココは
今でも「駅前」の感覚なんだと思います。
で、その広場から道路に上がる階段があって、コレが元々駅舎から
ホームへ上がる通路だったという事。…勿論通ってみますよ。

ホーム跡は、ちょっとした公園っぽい感じにアレンジされており、
季節柄アジサイが満開でした。
国道を走ってて疲れた時なんかに駐車出来るアレの感じです。
元は駅だった場所ですから、適材適所な使われ方かも知れません。
…やはり熊本の震災の影響なのか、矢鱈と自衛隊の車を見かけます。
まだ平穏は遠いのかも知れませんが、ともあれ次の駅に移動します。
宝泉寺の次の麻生釣は山間部で、草に埋もれて大変だという事なので、
カットして北里です。
「細菌学の父」と呼ばれた医学博士、北里柴三郎氏の出身地だそうな。

途中で県境を越え、熊本県に入ります。阿蘇の外輪山の北の端っこ
ぐらいに当たるんでしょうか?
…電光掲示板には、まだまだ不穏な事が書いてありますね。

えーと、ココでいいんでしょうか?道路脇がまた広場のようになってて
道の駅が併設されています。そこにホーム跡のような建造物があり、
何故か「妖怪ウォッチ」のコマさんみたいなのが居ました。
…よく造り酒屋さんの店先に、杉の葉っぱで作った玉が吊るしてあり
ますが、アレと同じような作り方のようです。…なんでコイツ?

ホームには駅名標がありますが新しすぎる?…どうやら復元品らしい。
と、ココにもホームと駅舎を繋ぐ通路&階段が残ってますが、今ある
ホームの位置とは微妙にズレてますので、移築されたモノなんでしょう
(歩王さんの推測そのまま)。
…そう言えばホームの屋根も、実用品にしては不自然に急角度ですね。

宮原線には、開通当時から残るコンクリート製のアーチ橋が何箇所
かあり、北里駅の横にもソノ1つを見る事が出来ます。やはりココも
文化財としての指定を受けてるようですね。

ココから終点の肥後小国までは、廃線跡が
遊歩道として整備されており、アーチ橋の
上も歩く事が出来るようになっています。
…お天気が良ければハイキングなんかしても
気持ちイイかも知れませんが、今回はヤメて
おきます。
ココに車を置いて行くのも中途半端だし。
そんな感じで豊後森・恵良を出て、途中色々
と見ながら約2時間。元の終着駅だった
肥後小国駅の跡地に到着です。
 
ほんの僅かの線路跡と、駅名標がモニュメント的に残されている場所
に出ました。ココは何なのかと言いますと…

現在はココも「道の駅」として整備されてた場所になっておりました。
…右がソノ中心となる「ゆうステーション」という建物なんですが…
科学特捜隊本部?無駄にギャラクシーと言うか、洒落すぎてナイ?
建物の周囲がロータリーになっており、バス乗り場も併設されています。

…コレだけクリスタルな建物なのに、周囲の歩道がどうも木製枕木
っぽいというのも面白い組み合わせです。駅を解体した時のモノを
再利用したのかしら?
店内には、やはり地場の産物を中心としたお土産類が多くありました。

再び屋外に目を転じると、ココにもやはり腕木信号機と転轍機レバー。
…あれ?何か引っ掛かってますね。
よく自転車のおばちゃんが使う、超日除け面でした(名前は適当)。
アレは車から見てると、表情が全く分からなくて怖いです。
てかコレを使っていいのは、溶接の職人さんだけだと思うのですが。
今日は雨だけど、陽射しの強い九州の事。おばちゃんにとっては
武士の刀ぐらいに大事なモノではナイんでしょうか?

折角来たので、何か買って貢献したい
所ではあるのですが、今朝のフェリー
運賃の読み違えで現金がヤバいので、
取り敢えず地元産っぽい牛乳を1本。
という事で積年の念願だった宮原線。
廃止後30年以上経っての事ですが、
ようやく来る事が出来ました。
以下おまけ…ココまでの途中に、このような道路標識がありました。

…私は中学校の修学旅行が九州で、
宿泊地が阿蘇山の近く、まさにコノ
瀬の本高原にある黒川温泉だったん
ですよ。超懐かしい!
当時から「自分の車で阿蘇のやまなみ
ハイウェイを走りたい」という願いがある
んですが、まだ達成出来てなくて…。
でも何となく「ココまで来れたんなら次ぐらいに行けそうかな?」と
思えましたね。
|
|