2016年4月の事、当時よく行ってた名古屋の木村イベントの「昼間の
間合い運用」として愛知県豊田市の旧伊勢神トンネルを見に行く途中
の事なんですが…全く何の予備知識もなく道路を走ってますと、気に
なる風景に遭遇しました。
道路に平行して、明らかに鉄道の築堤と思しき地形が続いておりまして、
一部には架線柱らしき建造物も見えます。…コレは何ですかね?
車を停めて地図アプリの航空写真を見てみると、間違いなく線路…要は
廃線跡のようです。一先ず伊勢神トンネルを見に行って、ココは帰りに
寄り道する事に決めました。
という事で帰路、先程の築堤が続いていた辺りで停まってみると、
色んな所に「電車が走ってた」痕跡が見当たりました。
レールやキロポストまで残ってるじゃないですか。
…後で調べたのですが、コレは名鉄三河線(山線区間)の末端部、
現在は猿投までとなっているアレの廃止区間だそうな。
…名鉄ってのは、カナリの確率で廃止区間の線路や駅を残す傾向
(保存なのか放置なのかは謎) にある気がします。
ココは昭和60年頃から赤字による合理化で、レールバスによる運行が
続けられていたのですが、平成16年に廃止されたらしいです。
三河線は、海線側の区間でも同時期に碧南〜吉良吉田が廃止されて
おり、ソレらをつなげるとカナリ長大な路線だったという事になりますね。
…ぃゃ最初ね、資料を文章だけ読んで「ココから吉良吉田まで廃線
区間がある」と勘違いしたんですよ。どんな走り方をするんだか?
その時に終着駅だった西中金駅は駅舎が保存されており、 地域交流
の場として喫茶店の営業もされてるようです。
…土日の昼間だけという、些か利用し辛い状況ではありますが。
と、元々はココから先の足助方面まで、伸延の計画だけはあったとか。
ホームなども完全な形で残ってますね。
立派な年表が、些か投げ遣りな位置に置かれてましたが。
コレも後で調べたのですが隣の三河広瀬駅も駅舎が残っており、こちら
は文化財登録も為されてるようです。
コレは後日、改めて探りに行くネタが出来ました。
…という事で日を改め、5月の居酒屋セブン期間中の昼間企画の1つと
して、見れてなかった名鉄三河線の廃止区間を再び訪れてきました。
…まずは名古屋市中心部から車で30分ほどの所、駅舎がそのまま残る
三河広瀬駅(跡地)からスタートです。
何の説明もなかったら、営業中の駅かと見紛うばかりの佇まいです。
…私は今まで、名鉄の色んな駅の跡地に行ってきましたが、ホントに
よく残してあるなあと感心しますね。
(※名鉄に詳しい松井さんに訊いた所、税金などの関係で建物の名義
が名鉄のままだとは限らないらしいですが。)
建物周辺に誰も居なかったのですが、入口も特に施錠されておらず、
中に入る事が出来ました。
…窓口などの遺構はそのまま残ってますが、室内は大衆食堂みたいな
雑多なテーブルと椅子が多数あり…何に使うんでしょ?
(一枚だけ「五平餅○○円」って短冊が貼ってあった。茶店なのか?)
鴨居の上に残る運賃表から、営業していた頃の路線の姿が分かります。
猿投より下方向は、今でも現役の三河線ですよね。
…但しコレは見ての通り、元からココにあったもんではなく、知立寄り
の若林駅で使われていたモノのようです。
左はコレも駅舎内にあった写真の複写ですが、現役当時の風景か。
レールバスが写ってますから最末期でしょうが、秋なんでしょうね。
紅葉がキレイな駅だったようです。
駅前には、ソノ名ズバリの「広瀬屋」という旅館がありました。
昭和の頃はドコの田舎でも、こんな感じの商人宿が駅前にあったもん
ですが、残ってる所は少ないでしょうね。…殆ど寅さん映画の世界です。
そんな感じでホームに出てみました。…鉄柵などは錆びてるものの、
駅名票やベンチなどもそのまま残っています。線路も土に埋もれ気味
ですが、ちゃんと確認出来ますね。
枝下(猿投)方向は未確認なのですが、カナリの距離で線路跡が
続いてる感じがしました。
…ココって、ハイキングコースみたいな感じで整備されてはナイの
でしょうか?(案内板みたいなのは特に無かった。)そうすれば面白い
と思うんですがね。
上の画像の反対側が、先月も訪れた終点の西中金方向になります。
では、見れる範囲で廃線跡を探ってみる事にしましょう。
駅舎とホームの隙間の土地…元は引込線か貨物ホームでもあった
感じの 場所は、その看板のタイトルによると「高齢者の生きがいの場」
として利用されてるようです。…よく分かりませんが談話スペースの
ような場所と、パターゴルフのコースなどがありました。
…これからの高齢化社会、私も身寄りのナイ独居老人になるであろう
確率が高いのですが、そもそも「地域でつるむ」という事が苦手なので
どうなるんでしょうね?
ゲートボールとかするなら、三脚担いで撮り鉄に行くし、大きな菊の花
とか作るぐらいなら鉄道模型のジオラマですよ。
取り敢えずボケない自信はありますので。皆さんよろしく!
という事で、続いては終点の西中金方向です。
駅を出てすぐに道路が横切ってまして(当然、元は踏切だったでしょう)
更に奥の森の中へと線路が続いてました。
…何かアレですね。子供の時に読んだ絵本で、意思を持ったSL
(≠きかんしゃトーマス)が、日頃のルーティンワークに飽きて、
勝手にあっちこっち走りに行って、誰も来ない森の奥の引込線で
石炭切れになるハナシがあったんですが、ソレを思い出しました。
線路際には、勾配票やら信号設備の箱がそのまま残っています。
…機械類は兎も角、キロポストや勾配票、曲線半径票ってのはグッズ
として売れないモノなんですかね?
私は要りませんが、何でも集めてる人って居るじゃないですか。
この森の中の線路は、ドコまで続いてるのか興味がある所ですが、
車を置きっ放しにも出来ませんので、程々の所でも戻ることにします。
そんな三河広瀬駅の跡地を出て、 線路は恐らくトンネルで山を越えて、
直線距離にして3km弱で終点の西中金に至るのですが、私は最短で
走れる道路を迂回して西中金駅の跡地に到着しました。
…休日だけど、喫茶店は今日も閉まってますな。別にイイですけど。
では今回は、ココから歩ける範囲の線路跡を少し歩いてみましょう。
さて三河線の廃止区間ですが、終着駅だった西中金から、戻る感じで
少し歩いてみましょうか。
駅から少しの区間は、軌道の上に更に砂利を足して歩きやすく整備
されています。 特に案内などはナイですが、遊歩道なんでしょう。
先述の通り踏切も完全には撤去されず、適当に残ってる感じなんです。
で途中から、完全に線路が残ってる区間が出てきます。
ココからは田んぼの中を築堤で横切る感じでして軌道が周囲より少し
高いんですが、距離にして300mぐらいでしょうか?
線路はしっかり残ってます。些か朽ち果ててるものの枕木も大丈夫?
そして平地から築堤に登るので、20‰の勾配があるんですよね。
…築堤の途中に、イキナリお地蔵さんが出てきて驚きましたが…
何かの事故の慰霊碑?後で名鉄に詳しい松井さんに訊いたのですが 「ちょっと分かりません」との事でした。
更に暫く歩いて、恐らく鉄橋があったと思しき地点の直前で、線路は
途切れていました。コノ先の山はトンネルで越えて、三河広瀬に至る
感じでしょうか?
…最近、各地で体験運転に参加するようになった身としては、この線路
が勿体無くて仕方ナイと言うか…何か車両を入れてみんなで運転
したら面白いのにと思います。
勾配があるから、抑速ブレーキを使ったり、登りの時に水を撒いて
空転の体験とかも出来そうですよ。
という事で、気になってた三河広瀬から西中金までの三河線廃線区間は
コレで納得です。
…じゃあ反対側の区間は?コレはまた更に日を改めて探る事にします。
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