2016年9月、山口県の観光列車を2本行っときましょう。
…というハナシになり、初日は山口線のSLやまぐち号に乗ります。
前日が夜勤だったので出発が遅くなり、津和野から新山口へ戻る
上り列車への乗車となりますが、小学生の時以来37年振りの乗車と
なるんですよ。
そんな感じで新山口からの特急「スーパー
おき」で約1時間、 今回の旅のうちココだけ
島根県の津和野に到着です。
…前回に来た時は確か、集中豪雨のせいで
津和野〜地福が代行バスだったですよね。
「やまぐち号」も地福での折り返し、
復路はDD51が引っ張って帰るという稀有な
状況だった筈です。
山口線とて地方ローカル線の一つにすぎない
のですが、やはりSLのために必死こいて早め
に復旧させたのかな?
上下の「スーパーおき」、私が乗って
きた4号と、鳥取から来た3号が
ココで出会うダイヤだったようです。
山口線は新山口が起点なので、同線内
の列車は新山口発が下りで奇数なの
ですが「スーパーおき」に関しては
山陰本線と合わせてあるのでソレが
逆になるという事。…最近は珍しくも
なくなった気がするんですが。
午前中に新山口を出た、下りの「やまぐち号」が既に到着してるという
事は、機関車も客車もソノ辺に居るだろうという事で…まずは客車の
外観から見て行きます。
元は12系の普通座席車だったのを改造した5両編成。茶色い車体に
一等車風の白帯と、展望デッキなどもソレらしく出来ております。
国鉄時代からの伝統として、サロンカー的な改造を施した車両には
700番台を振る習慣がありますよね。この編成も然り。
…サボと方向幕はもぅ「変える積りはナイ」という感じです。
そんな感じで特急を降りてから、カナリ長く
写真を撮ってたので他の乗客より大幅に
遅れて改札を出ます。…私にはよくありがち。
津和野も小規模な駅ながら、駅蕎麦があり
駅弁も売られています。嬉しい所ですね。
やはりSL客向けの対応だと思われますが、
数は少ないかも知れません。
麺類は今ちょっと控えてる所なので、帰路
のために駅弁だけ買っておきましょう。
…と飲み物などは反対側に売店があります。
…という事で駅を出まして、町を観光するだけの時間はナイので…
歩いて益田方向へ少し行くと、SL用の転車台と給水施設があります。
待ち時間はココを見学する事にしましょうか。
…Googleの地図で見ると、名所旧跡を表す地図
記号の「∴」で示されています。
そして航空写真を表示してみたら、転車台の北側に
特異な形の土地がありますね。明らかに扇形車庫
の土台の跡でしょう。コレは面白い。
土地の中心方向に点々と並んでる長方形の物体は
最初は車止めかと思ったのですがベンチでした。
つまりココが「見学場所」として機能してるらしい。
元はココに津和野機関区があり、何両かの蒸気機関車が居た筈です。
扇形車庫がいつ無くなったのかは、ちょっと分からないのですが。
という事で、早速近くまで行ってみました。
お昼過ぎに上りの「やまぐち号」で到着したC571が整備を受けてます。
新山口から津和野までが片道約63kmでしょ。詳しい仕様は分からない
のですが、恐らく石炭はコノ距離だったら往復行けるでしょう。
蒸気機関車はソレ以上に水を大量に消費するので、主に給水の作業
をするのだと思われます。
…近くで見ると、やはり圧倒される大きさに感じますね。車両限界って
モノがあるから、一般的な電車などとそんなに変わらない筈なのですが。
メカむき出しの車体に大きな動輪、で大音響を上げて走る所が、蒸気
機関車の力強さとして象徴されるワケですが、ソレで現在の電気機関車
などと比べて全くの非力であるという悲しい現実があるんだよな。
そんな感じで整備を終えてそろそろ時間になったようで、C571は
バックで転車台に乗り方向を変えて津和野駅の方へ戻ります。
…さっきは煙突の上のフードで分からなかったのですが、以前にあった
集煙装置が外されていますね。この方が原型に近いスタイルでしょう。
…ソレにしてもこの転車台、サイズがギリギリと言うか、車体長でなく
ホイルベースに対して前後に数センチずつの余裕しかナイんですな。
一発で停止位置を決めるには、カナリの技術が必要かと思われます。
午後の上り便にした事で、この転車台の作業が見れたというのは
大きな収穫でした。
「やまぐち号」に乗る方には、この転車台見学も是非オススメですよ
やがて整備を終えたC571は転車台で向きを変え、駅へ向かいます。
前回に見た通り、津和野の転車台はC57型の車体長ではなくホイル
ベースに対してギリギリの大きさです。
…転車台というのは、ドコでも同じサイズに造るのではなくて、ソノ
路線で使う機関車の規格に合わせて「コレで充分」という造り方を
するもんなんだと改めて学びましたよ。
左の画像がちょっとお気に入り。腕木信号機は雰囲気付けのレプリカ
みたいなもんでしょうが。
…同じような画像が続くので、右はちょっとレトロ調に処理してみました。
そんな感じで私も駅に戻りました。元の1番線に当たる位置の留置線に、
客車が退避させてあるのですが、まずはソコへ行って連結。
…ココは行き止まりの構造なので、下り便の到着後に機回しをして、
客車は推進運転で突っ込む事になるんでしょうが、入れ替え用の
機関車が見当たらないので、C571が「自分でやる」事になるのか。
出来るだけ人が入らない構図を選んだのでアレですが、私が居る側は
駐車場になっており、これから乗るであろう見物人が多数居るんですよ。
キャブ側面など。[郡]は小郡ですな。…新山口じゃなくて。
でも横の行路表みたいなモノは「シヤ−ツワ」とあります。んー微妙。
整備年月の「26-6」は勿論、昭和じゃなくて平成ですよ。
そして火室付近の側面から、赤くなった石炭が見えました。
…隙間が空いてるモノなんですか。まぁそうしないと酸素が入らないか。
山間いの緑を背景に蒸気を噴き上げ、
煙を出しつつこれからの走りに備える
姿は準備運動のようにも見えますね。
この辺が人間的な機械だと言われる
由縁でしょうか?…実際にコノ間に
罐の圧力を高めていくワケですが。
一通りの写真が撮れた所で駅舎の方
に戻り、改札の列に並ぶ事にしましょう。
さてSL「やまぐち号」です。先ほどの留置線から乗り場へ列車を入れ
替えるまでは改札が制限されるので、列に並んで待つ事になります。
…後から後からバスが着いて、団体さんが多くなっていく感じです。
…列車は跨線橋を渡った2番線からの発車です。鉄ヲタよりはお年寄り
や普通の観光客さんが多いので、一斉に駆け出すという感じでもナイの
ですが…やはり小走りに移動していまいますね。
まずは駅名標から。SLの停車駅には記念写真用のレトロ調のがあります。
やはり一般的には機関車に人が群がりますよね。私は先ほど転車台
などでしっかり押さえてきましたので、ココからは客車メインで
紹介して行きましょう。…まずは展望車からですが。
1号車は「展望車風」という事で、新山口発の下り便の時に最後尾
に来る車両です。上の画像のように展望デッキが設けられています。
…やはりこういうモノは「下り」をメインに考えるのか?
車内は背の高い固定クロスシート。通常の12系よりシートピッチ
を広げて、ソノ分のスペースでテーブルを配置する造りですね。
…以下に紹介する他の客車も、車内構造は大体同じです。
そもそも昔の一等展望車というのは、基本的には豪華めのソファーが
ロングシート状態に並んでるモノなんですが。
ソレを再現した積りなのか展望デッキ前には、このような「展望室」が
存在します。ココは恐らく指定席に含まれないフリースペースでしょう。
…で、折角のデッキには出して貰えないと言うのか…コレは上り便だと
機関車の直後に来ちゃうから?それか下りも一貫してダメなのかしら?
ちょっと分かりません。ご存知の方があれば教えて下さい。
そんな感じで「やまぐち号」の客車は
それぞれに個性がありますので、
車内紹介はまだまだ続きます。
中間の3両は、一部にスハフが混じり
ますが基本的には同じ外装です。
元々はコンセプトによって塗装が1両
ずつ違ったらしいのですが、今は全て
統一されてます。
…私もコノ方がいいと思いますよ。
しかし窓周りをそっくり造り替えたり、ウインドシル&ヘッダーを無駄に
取り付けて往時を再現したり…意外に凝ってますね。
2号車は「欧風」という事で、昔のオリエント急行をイメージしたそうな。
…てかオリエント急行って殆ど個室な気がしますが、そうも言って
られませんわね。背もたれの上にステンドグラスの飾りが付きます。
続いて3号車、ココは「昭和風」です。てか12系自体が昭和の産物では
あるのですが…。観光列車という事で、素の昭和の三等車よりは豪華?
リクライニングシートが普及する前の二等車って、こんな感じだった
のかも知れません。
勿論窓が開くようです。留め金の金具までレトロ調になってますね。
そして網棚が何故かダルダル。…経年劣化ではなく「わざとこう作った」
という感じですが、昔の人は今より大荷物を抱えて移動したイメージ
なので、柳行李とか風呂敷包みとか、大きな荷物には向いてますよね。
という事で、私の席はコノ3号車です。
最初、写真が撮りやすいだろうという
理由で最後尾の5号車を指定したの
ですが、発売日に窓口へ行ったのに
「団体さんで埋まってます」という返事
でした。…恐るべき状態ですね。
後から紹介しますが5号車は「大正風」
となってて、車内はココと殆ど同じです。
窓口の方が「一番空いてるのが3号車ですね。」というのでココにしたら、
お蔭様で1ボックス独占状態でした。
さて「やまぐち号」です。…相変わらずまだ発車せず、車両の紹介を
続けておりますが、入線すると一般的にはまず機関車に群がる人が多い
ので、ソノ隙に人の居ない車内を撮ってしまおうという事でして…。
4号車は「明治風」という事で、クロスシートの背もたれは低め。
…シートは革張りだそうですが、本物?ブラインドはヨロイ戸です。
そして上り便では最後尾になる5号車が「大正風」。3号車の「昭和風」
とほぼ同一の感じかな?
このように5両の客車で車内の個性が違ってますので、余裕のある時は
自分のお気に入りの号車を指定して買えるという楽しみがありますね。
…とは言ってもあと半年程度の事なのでしょうが。
(※新型の客車も何タイプかの種類で作られると思われます。)
そして5号車にも、密閉式ではありますが展望スペースが存在します。
…こちらは走行中でも大丈夫という事で、常に人がいる感じでした。
ソレにしても12系客車の製造が昭和46年
でしょ?改造が昭和63年とありますから、
「やまぐち号」用としての人生の方が長い
という事になりますね。
…子供の頃、素の青い時期に乗った私と
しては「まだまだ新鮮」な感じですが、そりゃ
経年劣化で引退の時期でもあるかな。
コレは廃車になったらどうなるんでしょ?
最近、急行「はまなす」用の14系が大井川
鉄道に譲渡されたという事を聞きましたが、
こっちの方が良くない?
…という事で、長らく引っ張りましたが、いよいよ発車時刻。車両紹介
で長らく引っ張りましたが、汽笛一声とともに津和野駅を発車しており
ますので、37年ぶりの「やまぐち号」の旅を楽しみたいと思います。
観光客目当ての保存蒸機が、発車時や鉄橋やトンネル、果ては踏切に
まで一々汽笛を鳴らすのは分かりますが、昔もそうだったんですかね?
…じゃあ現代の電車でソレをしないのは何故だ?
とか何とか考えつつ、津和野の町中を抜け、有名な撮り鉄スポットの
鉄橋を渡ります。「やまぐち号」の運転区間としては、津和野だけが
島根県という事で、すぐに分水嶺の勾配に入る感じでしょうか。
昭和風に改造された小さな窓から見る風景。
当然に窓が開くので、基本的には開けた状態で乗っておりましたが、
やはり煤煙がエラい事になります(右はシャツの裾)。
客車に空調設備が無かった頃は、さぞ大変な列車旅だったでしょう。
…宮脇俊三氏の「時刻表昭和史」によると、目に入った煤煙はマブタ
を裏返してハンカチで拭いたり、ツバを付けて取ったりしたそうな。
そう言えば子供の頃に乗った「やまぐち号の窓」で覚えてる件が一つ。
当日は4人掛けのボックスシートに私と父親、そして若いカップルの男女
の4人だったのですが、このカップルがめっちゃテンション低いの。
今考えるとデートで「SLに乗りに行こう」という時点でソコソコの付き合い
だと思うのですが、途中で喧嘩でもしたんですかね(コレも今考えると)、
ずーーーーっと押し黙ったままなんです。
相席に「幼児を連れた父親」が居れば、どっちかが「子供好きアピール」
で話しかけてきそうなもんですが、ソレも全くなし!…私が窓を開けよう
とした行為に対して、お姉さんの方が発した「開ける?」という一言のみ。
…折角楽しみにしてたSLに乗れたのに、コイツらのせいで小郡まで妙に
気まずかったのを覚えております。責任とれコラ!
…今回はそういう事もなく、「昭和風」のボックスシートを一人で占領
しております。そろそろ津和野で買った駅弁に行きますかね。
「かしわめし弁当」か。…集煙装置付きのC571&青い12系の初期タイプ
の「やまぐち号」の掛紙でした。
そして検札。シールになった記念乗車証が貰えます。
以前はコノ手のシールを貰っても持て余してたのですが、最近はソノ時
に使ってる時刻表の表紙などに貼る事にしております。
乗車券は翌日の事を考慮して、新下関経由の
仙崎までね。…そして少しブレてますが、
検察印は「やまぐち号」オリジナルのようです。
…車内を歩いてると、オリジナル12系から
洗面所を撤去した荷物置き場が幾つか設置
されてるのが分かりました。
ベビーカーや車椅子を置くのに良さそうです。
しかし後で、コレに収まらない大荷物の人たち
が乗ってくるんですよ。
そんな「やまぐち号」ですが、途中駅の篠目に到着しております。
…篠目は昔ながらの給水塔が残っている駅として知られてますよね。
平成16年版の「砂の器」で、亀嵩駅のロケ地としても使われました。
あのドラマの和賀英良は私と同世代の筈。無理にSLを出す必要もナイ
と思うんですが、無理に出てきた感じがします。
「やまぐち号」の上下の運転時間を比べると、下りが2時間10分、
上りが1時間45分という事で、カナリの差があります。
…津和野方向に対して登り勾配になる
からなのと、停車駅の数の差から来る
モノなのですが、観光列車なら「長く
乗れる方が得」と思うのは人情ですよね。
だから下り便の方が人気があるのかも
知れませんが。
よって篠目は上り便では貴重な長時間
停車の駅になります。
とか何とか考えつつ駅弁の2食目。 津和野で買えなかった場合を想定
して、新山口で買ってきた「SL弁当」です。幕の内にちらし寿司が付く
ような感じでした。
山間部を抜けると、やはり道路が並行して走るようになるんですが、
日常的にSLが走ってる地域の人たちはどんな風に見てるんだろう?
とか少し考えました。やはり珍しいのか、私らが日常的に鹿を見る
ような「あって普通」の感覚なのか?
そしてドコだか忘れたけど途中駅で、サイクリング趣味の人たちが
大量に乗車。デッキが自転車だらけになってしまいました。…コレは
大量に来ると、先述の洗面所改造の荷物置き場では収まらないよね。
そして県庁所在地の山口に到着。…とは言っても、現在は山口市の市域
が拡大して、元の小郡町(新山口駅の所)まで含んでしまったようですが。
…だから駅名の改定が出来たのかしら?
昔はドコの駅にもあったというホームの洗面台。ココにもあるのですが、
水道は外してありますね。…ぃゃ残しとけよ!前後しますが下車後に
ホテルで顔を洗ったら、煤煙で見事に真っ黒でした。
という事で「やまぐち号」の旅も、
間もなく終点の新山口に到着です。
段々と家並みやロードサイド店が増え
市街地の雰囲気になってきました。
夕方なので子供連れさんとか犬の散歩
のお年寄りなんかを車窓に頻繁に
見かけます。…沿線の大抵の皆さんが
手を振ってくれるんですよ。
観光客相手に、サービス精神の豊かな土地柄なのかも知れません。
そんな感じで夕暮れ時の新山口に到着。
津和野から1時間45分、上り便と比べると25分短く、停車駅も少ない
のが少し残念ですね。次回は客車が新しくなって落ち着いた頃に、
新山口から乗る事にしましょう。
…記念撮影用の駅名標は「小郡」となってますね。こっちがお馴染み。
客車から切り離されたC571は一旦、下関方向の側線に引き上げ、別の
ホームを通って機関区に戻ります。客車はココではディーゼル機関車
(DE10型)が登場して片付けておりました。
…このステップに立って誘導する係、昔ちょっと憧れたりしませんでした?
という事で、また似たような写真が続くので1枚レトロ化。
…白黒にするとバックの電車が黄色いという事が分からなくてヨロシイ。
…おまけ。前回「やまぐち号」に乗った
時の私。昭和55年の事です。
当時は国鉄だから、停車駅では頼めば
運転席に座らせてくれたり、ボイラー前
のデッキに乗れたり、線路に降りて写真
が撮れたり…カナリ自由でしたね。
と言うか、コノ時は病み上がりなので
人生で一番痩せておりました。
そんな感じでSLやまぐち号の旅はココまで。 当日は新山口の駅前に
泊まり、翌日は下関から「みすゞ潮彩号」へと続きます。
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