廃線跡を探る旅 #035
The trip for abolished railroads #035

 鉄 道 会 社  路 線 名  廃止年月  調 査 区 間  訪問年月
三井三池工務所 三池炭坑専用鉄道
1997/03
大牟田(貨)→三池港
2021/02
ずっと行きたかった三池炭鉱の専用鉄道の廃線跡を探る旅です。一時期は関係者専用の旅客列車も運転されてたそうな。 




2021年2月の事、佐賀県唐津市加唐島猫ヨシヨシに行こうと
思ったのに謎のウイルスのせいで乗せて貰えなかったので、
予定を急遽変更して、福岡県大牟田市にやってきました。

ココで以前からずっと行きたかったのが、三井三池炭坑専用線
廃線跡なのですよ。いわゆる専用鉄道なので一般には分かりにくい
点も多いのですが、私が持ってる断片的な知識として…

@ 周辺の炭坑からまで、石炭を輸送するための鉄道である。
A カナリ古い時代から電気機関車が導入されている(電車ナイ)。
B 旅客列車関係者その家族のみ無料で乗れる。
C 送電線鉄塔の股の下を走っている。
D 西部警察にも登場、刑事と犯人が車内で銃撃戦をやらかした。

分かったような分かってナイような話ですが、私と同世代鉄ヲタ
なら大抵はこんな感じだと思われます。

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同鉄道最初の区間開業したのは明治24年の事、やはり工業の
近代化によって各地で炭坑の開発が盛んだった頃の話でしょう。

左の地図大正時代の物だそうです。最盛期にはカナリの規模
路線が広がってたようですが、昭和末期から平成初期にかけてソノ
大半が廃止されてしまいました。

…で私も知らなかったんですが、JR大牟田駅の北東から三井化学
大牟田工場にかけては2020年まで貨物線として営業してたようです。

そのうち今回は、鉄道の廃線跡として線路や地形が残っている部分
右の地図黒い線を引いた区間を探ってみる事にしましょう。

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付近で掘った石炭三井港火力発電所を動かすのにも使われた
と言う事で、カナリ初期の頃から電化されてたようです。そして大正
時代
に製造された100年物電気機関車最近まで走ってたそうな。

私の記憶にある(とは言っても本やテレビで見ただけ)イメージは左下
の感じでしょうか?「関係者しか乗れない旅客列車がある」と言う話に
謎の憧れを感じたものです。

事前に色々と調べてみるに、回ろうとしてる区間の距離は7kmほど
泊まったホテル自転車が借りれるようなのでコレで行きます。

曇りがちのお天気で寒いから、車から軍手を持ち出してきました。
昨日と比べると「雪が降ってないだけマシ」と言う所でしょう。

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そんな感じで、まずは西鉄線新栄町と言う駅の近くにある踏切
来ました。ココは西鉄の本線JR鹿児島本線が並走してますが、
JRの駅ありません

この先から三井化学へ入る専用線が分岐しており、線路の数が5本
になる幅の広い踏切です。今回の探索はココから始めましょう

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この区間廃止されて日が浅いだけに、レール錆びてるものの
架線信号機などの設備もそのまま残ってる感じです。

カラオケ店ホテルなどが並ぶ一角の路地裏みたいな所を抜けると、
割と広い幹線道路国道208号線との交差点に出ました。

遮断機ワイヤー式のが上から降りてくるタイプですね。
踏切(鉄道)廃止された事を知らせる看板など見当たらない
ですが、一旦停止する車はありません

…1日にどの程度の本数の列車が通ったのかは不明ですが、専用線
を走る貨物列車だから速度は遅いでしょう。長編成貨物がダラダラ
走ると、時間帯によっては渋滞しそうです。

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すぐ脇に踏切を操作する小屋があり、遮断機昇降装置と思われる
機械が残っていました。…「上・止・下」などの表示がプレートでなく
鋳物の浮き文字になってる辺りに時代を感じます。

…元は三池炭鉱専用鉄道として始まりましたが運営会社何度か
変わり、最終的には三井化学専用線だったので、緊急時の連絡先
三井化学になっていたようです。

国道208号線を横切った専用線はココから南下する格好で続きます。
この付近は貨物ヤードだったようですが、現在は再開発大型
のショッピングモールになっていました。

店舗敷地従業員用の駐車場を結ぶ歩道橋があったので、ココから
俯瞰で見る事も出来ます。

…と言うような細かい動き車では無理そうなので、やはり自転車
借りてきて正解でしたね。…と言う事で先は長そうですが、専用線
の廃線跡
に沿って更に進んで行く事にしましょう。

そんな感じで三池炭鉱専用鉄道廃線跡を探る事になり、大牟田駅
方向から調査を始めておりますクラ駅長です。

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JR鹿児島本線からいきなり工場の敷地に入るワケでもないらしく
狭いながらも一般公道が並行して通ってるので、怪しまれる事なく
見学する事が出来ました。

他にも幾つかの踏切があります。先程の国道208号線を横切ってた
やつと違い、例えば左の物には一般的な警報機と遮断機、それに
「踏切注意」路面ペイントもあるので、停まる車は多いですね。

警報機などの設備はまだ新しいように見えるんですが、こう言う
物って再利用しないんでしょうか?

そして専用線は完全に三井化学の工場内へ入ってしまいました。

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工場へ入る広い踏切の前後がフェンス閉じられていましたが、
隙間から留置されている車両を見る事が出来ます。

同路線電気機関車は概ね、凸型小型〜中型ぐらいの物が多く
殆どが50年以上の車齢を重ねた物ばかりのようです。…余談ですが
社長(木村)この種の電気機関車を全て「デキ」と表現しますな。

一緒に連結されている2軸車バッテリーを積んだ電源車でして、
ココの電気機関車架線集電だけでなくバッテリーでも動くんです。

化学工場なので、揮発性の薬品を作る区画ではパンタグラフから
火花が出るヤバい。だからこんな方法が取られてるのだそうな。

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ココから一般道路三井化学工場の敷地から少し離れます

途中にある宮浦石炭記念公園と言う施設が、幾つかある炭鉱
1つだった宮浦抗跡地なんだそうです。…ココは公園のよう
ですから、出入りは自由でしょう。

…てか三池炭鉱世界遺産に認定されてるのか。周りが世界遺産
だらけ奈良県で生活してると、それほど珍しいとも思わなくなる
ですが、意外と簡単に認定される物なのかも知れません。

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専用鉄道からは少し離れますが炭坑内で使われていたトロッコ
人員輸送車などが保存されていました。

…生憎と巻尺持ってナイ(車には積んである)のですが、線路幅
カナリ狭いですね。多くの鉱山鉄道で使われてた600mm(2フィート)
だと思われます。

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更に進むと三井化学敷地の最も奥に着きました。ココにも何台か
の電気機関車留置されていますが、この付近に宮浦と言う駅
があり、更に南下して荒尾方向から三池港へ線路があったようです。

最末期大牟田方向から工場内へ入る専用線だけが残ってたので
車止めがある行き止まりになってました。

荒尾方向には他の坑道関係者の社宅などがあったので、貨物
列車だけでなく旅客列車も運転されていたようです。…ようやく全体
のイメージ
が掴めましたわ。

結果的にレール完全な形残ってるのはココまでだったんですが
廃線跡の敷地更に続きます。てかココまでで今回の調査予定
1/4程度でしょう。先は長そうですが、お昼までには終わるかな?

ココから廃線跡本格的始まると思われる地点ですね。

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Googleの航空写真で見ても、大牟田工場の敷地の一番奥から道路
を挟んだ地点には建設会社と思われる別の施設があります。

右の画像にも資材を置いてある倉庫が見えますが、上から見ると
コレが完全に線路と同じ形をしてるんですよ。恐らく炭鉱鉄道として
の用途が終わった以降に、切り売りされてしまったのでしょう。

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この建設会社の土地が終わると、廃線跡は完全に林の中隠れて
しまいました。

平行して通る道路との間に用水路があり、橋がナイから向こう側へ
は行けないんですが木々の隙間からレールが残ってるのが見えます。

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そのを抜けるとまた道路を挟み、ココから廃線跡保存されてる
区間になります。

林の中フェンスで仕切られてるので中に入る事出来ませんが
また隙間からカメラを向けてみると、複線用の用地が確保されてて
片方だけレールが残ってるのが確認出来ます。

近くには曲線票と思われる標識が立ってますが、コレは古いレール
数字を書き込んだ物ですね。

…しかしこの規模の専用線複線運転してたと言うのが意外です。
ソレだけ列車(恐らくは貨物)の本数が多かった事になり、当時の
石炭産業の隆盛が伺える遺構でした。

三池炭鉱世界遺産の認定を受けたと言う事で、それを利用した
町興しが計画されてるのかも知れません。大きな看板があります。

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すぐ先に「宮原抗」と言う炭鉱があった事を示す標識があります。
この先に施設の一部保存されてるようですね。

いよいよ廃線跡が本格的に保存されてる区間に入ってきました。
航空写真で見ても現状はよく分かるので探すのは楽でしたが、それ
だけでは用途が分からないんですよ。

廃線跡遊歩道に活用するケースは今までも多く見てきましたが、
ココはロープで仕切ってあるので一応は立入禁止のようです。

複線用の用地が確保されてるうち、ココも片方にだけ枕木が残って
ますが、コンクリート製比較的新しい物です。…はイイとしても
ジョギングで走るには少し邪魔かも知れません。

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要は史跡として保存されてる感じなので、犬の散歩とかジョギング
に使われてる一般的な遊歩道のイメージとは違うようでした。

付近にあった境界杭には「史跡境界/文部科学省」と書いてありました。
じゃあココは国有地なのか?

立入禁止なので(地面の形状からも)自転車で走る事は無理ですが
平行する道路が通っており、暫くコノ廃線跡に沿って走ります。

廃線跡保存されてる区間に入って少し行った所にあるのが宮原抗
(みやのはらこう)と言う炭坑の跡地です。

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大きな櫓状の構造物と古いレンガ造りの建物が保存されています。
私は炭鉱の設備には疎いので、何をどうするための設備か知らない
んですが、見学も出来るようなので興味のある方はどうぞ。

世界文化遺産に指定されたと言う事で、観光地としての展開が
計画されてるのか大きな駐車場が作られていました。
まぁ謎のウイルス自粛期間では観光客少ないでしょうが。

そしてゆるキャラがココにも。地元の子供さん発案のようですね。
…ソレより駐車場にあるトイレの方が気になりました

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よくある四角い公衆トイレの上に、専用線で使われたいた電気機関車
をデザインした構造物が乗っかってます。遠目に見ると「本物か?」
言うぐらいの出来なんですが、本物に比べて幅が大きすぎますわな。

周囲をよく観察してみたんですが、キャブの部分展望台になってる
とかではなく単なる飾りのようで。上る手段見当たりません

しかしヘッドライトはそのまま駐車場の夜間照明になるようです。

パンタグラフリアルだなと思ったら、コレだけは本物なんですね。
但し同機種の電機機関車ではなくJR九州から貰って来た103系
物を流用してあるそうな。

廃線跡巡りの途中で、こう言うスポットに当たるのが一番楽しいです。
炭坑の跡地時間節約のためにスルーして、更に進んで行きましょう。

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暫く行くと諏訪川と言う川を渡る区間に鉄橋が残ってました。

明治期開通時からあるとらしいレンガ造りの橋脚の鉄橋ですが、
大牟田市「景観重要建造物」なるものに指定されており、文化財
化してるようです。

鉄橋には何かの配管も通ってますが、コレは後で明らかになります。

廃線跡如何に活用するかはソノ自治体によって扱いが分かれる
であり、大牟田市でも文化財として保存する方向性のようですね。

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鉄橋下から見てみると、やはり複線用の構造ではあるものの、片方
だけ塗装がキレイに直してあるのが分かりました。…恐らく末期には
輸送量減って単線で運用されてたのかも知れません。

…そして鉄橋を渡り終えた対岸道路は少し離れた橋へ迂回する)に
行ってみたら階段築堤の上に上がれるようなってました。
つまり入っても構わないって事?コレは意外な展開です。

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歩きやすいようにと言う事か、ゴム製のマットが敷いてあります。
しかし自転車でも大丈夫なのか?…ぃゃ、それならスロープなども整備
されてる筈であり、ココは「歩行者専用なのだろう」と判断しました。

廃線跡近い道路を通って行けば迷う事もナイので、そのまま走って
行くと、また炭坑跡が出てきました。万田坑ですね。

この付近に同じ万田と言う名前のがあった事になるんですが、現状
ではよく分かりませんでした。万田坑自体は線路の反対側になるよう
なので、また少し迂回して見に行く事にしましょう。

…そんな感じでこの付近に幾つか存在した炭鉱の1つである万田坑
跡地にやって来ました。てか今朝まで寒さはドコへやら?と言う
感じで無駄にイイお天気になってきました。両極端困ります

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 …三池炭鉱世界遺産の登録されたと言う事で、ココにも目立つ
看板がありますし、万田炭鉱館と言う資料館もあるようです。
今回は廃線跡主目的なので割愛します。入場無料だそうですよ。

北海道夕張などから来る何となくのイメージですが、炭坑と言う
物はもっと内陸部標高が高い所にあるもんだと思ってたんです。
…しかしココは港から近い感じだし、色んなケースがあるのだな。

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元々は炭鉱自体やソレに付随する施設が並んでた敷地でしょうが、
現在はビジターセンター土産物店などがありました。

熊本くまモン福岡県まで出しゃばってるのかと思ったら、いつの
間にか県境を越えてたようで、ココは熊本県荒尾市です。

山脈などで変わる県境ではなく隣町みたいな所が隣県なのね。
てか大牟田福岡県荒尾熊本県って、今回改めて知りましたわ。
鹿児島本線双方の行先が存在するのが不思議だったんですよ。

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中庭には炭坑内で使われてたと思われる「バケットローダー」なる
機械が置かれています。…一々反応する事もナイと思うんですが、
線路に載ってるもんで一応は鉄道絡みなのかなと。

更に奥に万田坑レンガ造りの建物が保存されてました。
こちらはビジターセンターで申し込むと、案内人の方内部を説明
して
くれるツアーがあるようです(こちらは有料)。

また完全に廃墟になってますが、大きな事務所ホールらしき施設
も残っています。カナリ大きな会社だった事が伺えました。

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ともあれ私は先へ進みます。またしばらく行くと、廃線跡降りれる
階段が造られた地点があり、案内看板が立ってました。一部の区間
フリーの見学コースにしてあるようです。

廃線跡ドノように扱うかはソノ自治体によって分かれる場合が多く、
今回の出発点大牟田市では敷地内への立ち入りに関して積極的
ではなかったようなので、荒尾市の方が充実してる感じでしょうか?

少し戻る感じになりますが駅跡も存在してるようです。

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「歩行者のみ」と書いてあるので自転車はココに置いて歩きます
先程から気になってた線路添沿いの配管は「液化ブタン輸送導管
埋設地」と書いてあります。

…要するにプロパンガス等と同じ液化石油ガスの一種ですが、確か
石油をや石炭を生成する過程で副産物として出来る物だった筈です
(だから安い)。

配管自体が外れてる箇所もあるので現在は使われてナイようですが
「焚火をしないで下さい。」と言うのが矢鱈と具体的ですね。

では廃線跡を少し戻って妙見と言う駅を見に行く事にします。

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入口から400mほど進んだ地点に、対向式ホーム駅跡らしき物が
ありました。…ココは元から複線ですから、大抵の駅こんな感じ
だったと思われます。

ホームの本体廃レールを組んで造った物であり、上部の床全て
無くなってる所からすると木製の板が貼ってあったのでしょう。
…脇にある勾配票廃レールを加工したような物です。

この区間が開通したのは明治期の話ですが、旅客列車が走ってた
のは昭和20年代から同59年までの事だそうです。

電車存在せず電気機関車2両程度の客車を牽引する感じ
なのですが、その客車旧国電の付随車みたいなスタイルをしてる
と言う、稀有な外見の列車だったようですな。

ネット検索すれば当時の画像は色々と出てきます。更に興味のある
方は「西部警察」北九州ロケの回のDVDも見て下さい。

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ホーム跡に明らかにレプリカ駅名票が立ってました。
駅の入口は来た方向と反対(大牟田)側にあるようなので見に行くと
僅かながら床板コンクリート製の階段などが残ってました。

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そして妙見駅に関する解説の看板が設置されています。
この付近には三池炭鉱関連の社宅なども多くあったようで、旅客列車
利用者数多かったようです(但し乗れるのは関係者のみ)。

現役当時の資料として、昭和52年の物だと言う発車時刻表の写真
載ってました。これはカナリ貴重な資料かも知れません。

平日は概ね1時間に1往復の運転で最終が0時過ぎ最盛期の炭鉱
なんて確実に24時間操業してた筈であり、通勤列車としてソレだけの
需要があったと言うのに驚かされます

…その代わり休日朝のラッシュが終わったら、日中2時間毎
ノンビリ走って夕方には終わり両極端なダイヤですね。

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なかなかに興味深い物が見れました。では更に西三池港の方向へ
進みましょう。

この辺りから線路は送電線の鉄塔の股の下を通ってたようです。

この風景ずっと見たかったと言うか最も三池炭鉱鉄道らしい」
風景だと思うんですよ。雑誌などで同路線が紹介される時、大抵は
こんな感じの所を走ってる写真が載ってたものです。

そしてまた勾配を登って築堤の上を走る格好になります。

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この付近は住宅地新しい商業施設などが廃線跡すぐ両側まで
迫ってますので、また道路を迂回して鹿児島本線踏切に出ました。

踏切上に立って熊本方向を見ると、オーバークロスしてるのが三池
炭鉱鉄道廃線跡、その先が荒尾駅です。一時期はココの立体交差
を繋ぐ短絡線も存在したようですね。

何だカンだと結構な距離を走ってきました。まもなく三池港へ出る
と思われますので、お昼までには何とか終わりそうですよ。

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航空写真で確認した時は分からなかったんですが、築堤の上
線路があって送電線の鉄塔はソノ築堤ごと跨いでるんですね。
カナリ巨大な構造物です。

道路の上を通ってるガーター鉄橋「貨物は三池港へ」と書いて
ありました。…こう言う所に自社の広告文を入れるケースはよくある
話ですが、コレは三池港そのもの宣伝してるんでしょうか?

ココは専用鉄道だから貨物列車三池炭鉱で採れた石炭を運ぶ
専用列車のみだろうし、旅客列車に乗れるのは関係者だけでしょ。
「コレも運んでよ」別の貨物を持って来られたら困るんじゃない?

…しかしイイお天気になりました。自転車で走ってると暑いですな。

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続いてまた駅跡が出てきました。西原と書いて「にしばる」駅か。
と言う字を「はる」「ばる」と読むのは九州によくある地名です。

こちらはコンクリート製のホームなので、遺構がしっかり残ってますね。

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…ココにも駅の解説を表示した看板があります。駅と列車の写真
載ってますが「当時」っていつやねん?まぁ昭和50年代かな?

旅客列車廃止昭和59年の事なので、私の世代では「知識として
知ってるけど実際に見れなかった」物件です。まぁ乗れるのは炭鉱の
関係者のみだと教えられてましたから端から諦めてましたが。

関係者のみ無料で乗れたという事は、切符定期券存在し
なかったのか?コレだけ送電線の下を走ってて、信号列車無線
影響は無かったのか?ココに来て無駄な疑問が増えてきました。

付近には廃線跡の紹介特化した看板もありました。大牟田市側
には無かったから、荒尾市のオリジナルの物でしょう。

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続いて出たきたのがコレまたガーター鉄橋なのですが、頭上高
2.4mだそうです。…ソレはイイとして「これは世界遺産です注意
して通行してください。」とか無駄に緊張感を煽ってませんかね?

奈良にも世界遺産多々あるものの、車が衝突する危険性のある
状況ってソレほど多くナイもんで、珍しいケースだなと思いました。

…例えば左のトラック(トヨエース)全高は約1.8mです。平ボディ
だから大丈夫ですがアルミバンだとぶつかりますな。普通の高架橋
と違って、世界遺産にぶつける罪は重いんでしょうか?

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暫く行くと廃線跡パイパス道路に転用された区間になりました。
ココから先は線路の遺構全く見られないようなので、廃線跡巡り
としてはココまでにしておきましょう。

ココから先廃線跡港の直前北へ曲がっており、終点の三池港
福岡県大牟田市になります。

と言う事で以前から一度見てみたかった三池炭鉱専用鉄道跡地
を、補完的にではありますが走破する事が出来て、予定通り概ね
正午
にはホテルに戻り、自転車を返す事が出来ました。



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