2020年3月のダイヤ改正から東日本大震災による常磐線の休止区間
として残っていた富岡〜浪江がようやく開通し、東京〜仙台の全線が
繋がりました。
そして同年4月の事、その東日本大震災に阻まれて乗り潰しが出来て
なかった区間に乗るべく、いわき〜名取へと旅しました。
そのうち津波の被害を受けて内陸部へ線路を移設した新地〜浜吉田
の区間を新旧ともに探ってきた部分の報告です。
そんな感じで先ずは乗り鉄部分の相馬駅からスタートしましょう。
ちなみにココは新地駅までが福島県、坂元駅からは宮城県です。

相馬までは比較的早くに復旧した区間で、前回に来た時も乗りました。
…当時は飛び地的に復旧してる状況だったので、確か車両は陸送で
運んだ筈ですよね。
ソレほどの需要がナイのだから、原ノ町に放置されてる651系も使って
やれば良かったと思うんですが、整備出来ないと無理ですか?
そしてコノ先が、復旧後にルートを大幅に変更して新しく建設された
区間に入ります。…駒ヶ嶺を過ぎて次の新地に到着する手前に、線路
が大きく左(西)にカーブしてる地点があんですが、ココからですよね。
元の線路は曲がらずに直進してた事になりますが、ソノ先にあった
旧来の新地駅は、震災発生時の津波で跨線橋以外の施設が全て
押し流されてしまいました。
なので現在の新地駅は300mほど離れた所に新しく造られた物です。
震災発生の直前に同駅に停車していた電車(E721系の4両編成)も、
津波によって数十メートル流され、大破してしまいます。
直後に報道されたニュース映像で、無残に転がってる車両を見て
ショックを受けた人も多かったと思われますが、乗客と乗務員は既に
避難して無事だったのが不幸中の幸いでしょうね。
そして震災後の復旧に伴い線路が内陸側に付け替えられる事になり、
新地・坂元・山下の3駅と続く浜吉田の手前までが新線として開業
する事になりました。

殆どの区間が高架線になっており、途中の2駅も高架駅です。右が
坂元駅ですが、車窓の右手には海が見えています。距離は約1.7km。
旧来の坂元駅はココから1km程度離れた海側にあったので、確認は
出来ませんが右の風景の中にあった事になりますね。
前回の訪問時は相馬〜浜吉田の代行バスでココを通ったワケですが、
車窓から建設中の高架線が見えておりました。
…実際に開通して列車で来れるようになった。と言うのは他所者の
私にとっても感動的な事ですから、地元の方の喜びは大変な物だと
思いますよ。
線路が内陸部に移設された事で、小高い丘などはトンネルで抜ける
区間もあるようですが、概ね高架線の箇所が多いですね。
続く山下駅は交換設備のある島式ホームの駅でした。
…望遠で撮ってるから短かく見えますがホーム長は6両分、そして
特急「ひたち」が10両編成なので有効長は200m以上あります。
ココまでの3駅に関しては後から戻ってきて、新旧両方の地点の現状
を確認する予定にしておりますので、今はそのまま乗り通しましょう。

新線の高架から地上に降り、右(東)へ少し振ると旧線に戻ります。
…左の画像が合流地点と言うか、ココから先が従来の線路だと
思われる地点です。地図で見ると元の線路に沿って走ってた道路
があるようですね。風景を覚えておいて、後で検証してみましょう。
少し走ると浜吉田に到着。ココは津波の被害を受けなかったようで、
昔ながらの地上駅が残っております。
前回に来た時も、仙台側はココから復旧してましたが代行バスは
先の亘理まで走ってまして、浜吉田〜亘理は重複してましたね。
亘理なら駅前にバスが着いたらしいのですが、少しでも鉄道で
行きたい私は「代行バスの浜吉田バス停」で降りたんですよ。
…バスは2kmほど内陸の国道6号線を走るので、最短距離の地点
でもカナリ離れてまして、田んぼ道を延々と歩きましたわ。

ここまで来れば常磐線としての終点である岩沼まですぐだし、乗り換え
予定の名取でも残り30分を切っております。駅名票に現れた仙台の
ゆるキャラ「むすび丸」が、近郊区間に入った事を教えてくれてます。
…ちょっと早いけど今のうちに昼食にしてしまいましょう。朝にいわきで
買ってきた駅弁の「鰹づくし」です。切り身の唐揚げが美味かったな。
そんな感じで岩沼を過ぎて名取で下車。コレで念願の常磐線完乗も
達成となりました。
…思えばコノ区間は、高校1年生の夏休みに乗り鉄旅行をやった際、
郡山〜いわき〜仙台と磐越東線経由で行路を組んでたのを、疲れて
新幹線ワープした事から数えれば30年越しの目標だったのですよ。
東日本大震災を挟んでしまったが故にカナリ時間が掛かりました。

名取から仙台空港アクセス線で仙台空港へ出て、ココでレンタカーを
借ります。…ココからは、駅で言うと新地〜浜吉田までの移設区間を
実際に車で走って確認してみましょう
震災後に線路を復旧させる際、地元の要望で内陸部を通るルートに
変わり、坂元・山下の2駅は1kmほど離れた地点に再建されました。
…前回に来た時に、代行バスの車窓から建設中の高架線を見た時
から「開通したら外からも検証してみよう」と思ってたんですよ。
Googleの地図で見てみると、元の線路は海岸に近い所をほぼ一直線
に通ってた事が分かります。
…5年前の同じ区間の物と比べると、やはり正式に決まった路線に
書き換えられてるワケですが、当時に航空写真を見て私が推定した
ルートに近いでしょ。
取り敢えず空港から近い方から始めて、順に南下して行こうと、
まずは浜吉田駅に向かいました。…30分ほどで着きましたかな。
ココを検証のスタート地点にします。
カーナビで、まずは次の山下駅を検索してみます。
同駅が新規開業したのは2016年の事だから、ソレ以降に製造された
機種なら、データも新しい物が出る筈ですね。
レンタカーの車検証を見るに、初度登録は平成30年だから2年前か。
常識的に考えればカーナビも同時期に製造された物でしょう。
ルートとしては道幅が広い幹線道路を指示されてますが、出来る限り
昔の線路に近い(と思われる)道を走っていく事にしましょう。
…ココからは震災後に新線に移設された区間の調査と言う事で、
旧線の廃線跡や新しい駅などを見て行きます。
浜吉田駅から常磐線の線路に沿って南へ900mほど行くと、内陸側へ
大きくカーブしている所がありました。
先程実際に乗って来た電車の車内から見えたこの地点で間違いナイ
と思うんですが、旧線の線路は曲がらずに真っ直ぐ南下していたと
思われます。
…私も色々と廃線跡を訪ねるようになったので、ソノ目利きは出来る
ようになりました。右の画像の、田んぼでも住宅地でもナイ不自然に
細長い土地がソレだと思われます。
付近を探してみると、国鉄の土地との境界を記す「工」マークの杭が
建ってました。間違いナイようですよ。
なるべく旧線に沿った道を走りたかったのですが、途中で曲がったり
集落に当たったりするので、取り敢えずはカーナビで設定した次の駅
…現在の山下駅へ向かってみましょう。
2016年に開通した新しい高架線が見えてきました。山下駅はそのまま
高架駅として新しく造られたようです。
付近には公民館やドラッグストアなども造られ、新たな駅前としての
再開発が進められてるように見えました。
駅の構造としては、コレも先程の電車内から見た通り、交換設備のある
島式ホームの駅です。
右は改札付近ですが、当然の事にまだ新しい雰囲気です。
簡易委託駅ながらみどりの窓口があって、改札ラッチの代わりにSuica
のカードリーダーがありました。
…これから造られる駅ってのは、最初からスロープやエレベーターを
装備してるでしょうから、無駄のないスマートな造りになってますね。

そして現在の山下駅から東…海岸方向へ約1kmの所にある旧線区間
の山下駅跡へやってきました。
…そもそも私は常磐線の当該区間に乗るのが初めてなので、どちら
の駅も知らないワケですが、10年近く経ってるのにまだ再開発などは
行なわれてナイ様子です。
元は2面2線の駅だった事が伺えますね。同駅に関しては、津波による
被害は小さかったものの、線路そのものを移設するので震災後に駅舎
や跨線橋は撤去されてしまいました。
…荒れ果てたホームのコンクリートの隙間からタンポポが咲いてる
のが物悲しい反面、生命力の強さみたいな物も感じ取れます。
駅前の商店や郵便局は健在ですが、駅が無くなっても「駅前」と言う
表記のままなんですね。
この旧山下駅の隣には、地元の自治体(山元町)が建設した慰霊碑が
あります。続けてソレを見にいく事にしましょう。
さて常磐線の旧線区間ですが、宮城県山元町の山下駅跡地に来て
おります。…現在は殆どが更地と化した駅跡に横に「大地の塔」と
名付けられた慰霊碑が建っておりました。

同町は太平洋(仙台湾と言うのか?)に面した町であり、この山下駅
跡地で海岸線から約1.2kmの地点なんですが、東日本大震災では
637名の町民の方々が亡くなったそうです。
広場を円形に囲む感じで並んでいる黒い御影石の大部分が、震災で
犠牲になった人たちの名簿になってまして、改めて災害の恐ろしさが
分かりましすね。

津波で被害を受ける前後の町の写真も載っています。鉄道に関しては
山下駅と次の坂元駅の2箇所が同町内に当たります。
…山下駅に関しては何とか原型を留めてるように見えますが、見たら
ホームの上に乗用車が載ってますね。やはり自然の力は偉大です。
坂元駅は跨線橋とソノ隣にあった公衆トイレ以外の全てが押し流され
駅舎は跡形もなく消えたようです。
そして旧山下駅付近から南の旧線区間は、バイパス道路への転用が
決まっておりまして、まだ大部分が工事中ではありますが今後の展開
が期待されます。…前向きに復旧して行くのも大切な事ですよ。

続いてが1つ南にある坂元駅ですが、こちらも新しく造り直された
現在の駅から見て行きましょう。
…デザインは先程見てきた山下駅に似ており、ココも高架駅ですが、
交換設備のない棒線ホームの駅のようですね。
こちらも駅前にはロータリーが整備され、近くには道の駅も出来て
おり、新しい駅前の町として整備されてる感じでした。
…復旧後に開通した新線区間では国道6号線に最も近い駅なので、
バスで通る観光客も取り込もうとした発想なのかも知れません。
 
高架駅なので線路の下の1階が出札窓口や改札口になり、ココも
簡易委託駅でした。…自動改札機はなくSuicaのカードリーダーです。
そして駅前に分かりやすい地図がありました。
海岸に近い所に「県道相馬亘理線」として灰色のほぼ一直線の道路
が描かれてます。その下に「工事中」とあるように、県道としてはまだ
一部の区間しか開通していませんが。コレが元の常磐線ですね。
震災前の坂元駅に関しては記載はありませんが、現在地から海岸の
方向へ向かって、旧常磐線と交わる辺りだと思われます。…やはり
1kmぐらいかな?地図アプリを参考に車で移動してみました。
…GPSでは確かにココの筈なんですが、この付近の旧線区間は新しい
バイパス道路への転用が決まっており、既に工事が始まってますので
ソレらしい雰囲気は全くありませんね。
アプリの地図上に「∴」…旧跡の地図記号があるのは、正確には左の
画像でブルドーザーが居る付近だと思われますが、そもそも土地の
高低差から言っても不自然です。
…後で調べてみると、このバイパス道路は再び津波が来ても防波堤の
役目が果たせるようにとの事で、元の線路跡よりカナリ高く嵩上げして
造られてるのだそうてす。
完成はまだ少し先になりそうですが、短期間で(とは言っても10年は
経ってるか)ココまで雰囲気が変わる例も珍しいかな?
そして、この地点から旧線沿いに少し南下した所に、津波の被害を
受けた小学校の建物が保存されてると言う事で見に行く事にしました。
校名を山元町立中浜小学校と言うようですが、今時の感じのお洒落な
校舎が、遠目には無事な様子で残っています。
校舎の前にある松の木は、元々敷地内にあった約20本のクロマツの
うち、津波に耐えて残った1本を「奇跡の一本松」として移植した物だ
そうです。…確か三陸の方にも同名の松があったように思いますが。
震災発生後、中浜小学校は2013年に隣の小学校と合併されましたが
建物は一部を除いて取り壊しを免れ、今年の7月から震災の遺構と
して公開される事になったそうです。
…訪問時はソノ工事中だと言う事で、校舎の外観と外から見える部分
だけが見学出来る状態になってました。
折角なので車を降りて周囲を見てみます。遠目にはキレイに見えた
校舎ですが、2階の天井付近まで津波が被ったようで、内部は完全に
破壊されており、水位を示すプレートがカナリ高い位置にありました。
報道などの資料によると、同小学校は震災発生時も授業中でした。
津波が学校まで到達するまで僅か10分の時間しか無く、指定された
避難場所まで低学年の子供の足では間に合わないと言う事で、校長
先生の指示で児童や職員など約90名が屋上に避難。
屋根裏への倉庫で一晩過ごした後、自衛隊のヘリコプターによって
全員が救助されたそうです。
…ホントに危機一髪と言うか、全員が助かったのと震災後も施設が
保存され、キレイな花で飾られてるのが救いのように感じました。
単なる廃線跡巡りだけでなく、僅かながら勉強になって良かったと
思います。公開される施設としてのオープンと、バイパス道路が完成
したら、今度は自分の車でまた来てみようかな?
そんな感じで旧線区間の旅は続きます。
バイパス道路に転用される予定地のうち、先行的に開通してる区間を
実際に走って、今回の目的地である新地駅へと向かう事にしましょう。
…元々ソレほど交通量は多くナイのでしょう。片側1車線の道路です。
防波堤の役目を兼ねて元の線路より嵩上げされた築堤の上を走るので、
従来は踏切だったような脇道は立体交差になっています。
廃線跡が道路に転用された例は多くありますが、時代と共に段々と
商店や住宅が増えていくもので、ソレがまだの状態の「転換してすぐ」
の所は私も初めて走ったかも知れません。
…そのうち「ココが線路だった」事も一般には知られなくなるんでしょう。
程なくして福島県に入ります。…行政区画が新地町と言うだけあって、
移設区間では新地駅だけが福島県なんですね。
内陸方向を見ると、少し離れた所に新しい常磐線が見えました。
距離にして500mぐらいか?段々と合流点が近付いております。
…直接関係ナイのですが積年の疑問を1つ、県道などには道路番号と
別に「○○△△線」みたいな名称がありますよね。ココは「相馬亘理線」
と言うのですが、道路が複数の県に跨る場合、名前はどぅ決めるのさ?
両県が話し合うのか、県境で名称も変わってしまうのか?
…特に正解は求めてませんが昔からの謎なのですよ(自分で調べろ)。
そして新地駅に到着です。午前中に列車で北上してきた時にも書き
ましたが、ココも津波の被害を受けて駅舎と停車中の列車が押し
流されてしまい、元の地点より300mほど内陸側に新築されました。
すぐに従来の区間との合流点に至るので地上駅です。
駅前には新しいビジネスホテル(どんな需要があるのか?)なんかも
建っていました。
ココも簡易委託駅のようですが、窓口が丁度閉まりかけてるタイミング
だったので、係のおじさんが「何か用?」みたいな態度でしたね。
こんな所で複雑な切符とか買わないから、帰り支度に専念してイイぞ。
駅を過ぎた所にある道路橋から
常磐線の線路を見てみますと、
大きくカーブしてる地点があります。
往路の画像で言うとこの地点でしょう。
元の線路は奥手の方から来てココ
でカーブせず、向かって左側の道路
の方へ直進するような線形だった
と思われます。
…ココまでが震災以後に新線として復旧した区間になりますから、
一応見たい所は全部見たと言う事で仙台空港へ帰りましょう。

帰りは国道6号線〜国道4号線で
真っ直ぐ帰ったんですが、至る所に
津波で浸水した地点を示す標識が
あるんですよ。
この辺りの国道6号線って、大体の
区間で海岸から2kmは離れてると
思うんですが自然の力ってホントに
スゴいんですね。…奈良に住んでると
分からない事実です。
と言う事で、長らくの念願であった常磐線の乗り潰しと、震災以後に
線路が移設された区間の見学も無事に終える事が出来ました。
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