2019年10月の事ですが、辛皮と丹後由良の駅ノートを描き終えたら、
当日は西舞鶴駅近くに泊まりました。
…今回は特に目立ったミスも無かったので、予備日としていた翌日は
何をしよう?という事で調べてみると、舞鶴にも短いながら廃線跡が
整備された遊歩道があるという事が分かりました。…ソレにしよう。
と言う事で西舞鶴から1駅、舞鶴線で東舞鶴へ移動します。
…舞鶴という町も面積が広く、山を挟んで西と東に繁華街が分かれて
いる感じなのですが、かつて軍港があった東舞鶴地区の方に市役所
などもあるので、こっちの方が賑やかなイメージですね。
戦後は中国大陸から船で戻ってくる人々が、最初に日本の陸地を踏む
「引き揚げ港」として賑わったそうで、駅には引き揚げ桟橋のレプリカ
がありました。
ココには通称で中舞鶴線と呼ばれた
舞鶴線の支線があり、東舞鶴駅の
西側から分岐して港に近い中舞鶴駅
までの約3kmを結んでました。
…この地図は何れも駅前にあった
案内板から写した物ですが、左が
戦前の物、右が現在の物です。
番号が対応するようになってますね。
地図によると現在の東舞鶴駅は昔は「新舞鶴駅」と称したようですが、
舞鶴には海軍の鎮守府の1つがあるって事で要人が多く訪れ、貴賓室
もあった大きな駅だったそうな。
こんな環境に支線があれば、当然に
軍用路線の性格が強い物でしょう。
終戦後も細々と運転されてたものの、
昭和47年に廃止されたとの事。
…今回も駅前でレンタサイクルを借り
ますがココは公営の物ではなく、駅前
の自転車屋さんが運営してるのだ
そうで、お店を探すのに少し手間取り、
案内所で訊く羽目になりました。
そんな感じで、まずは本線との分岐点から探すんですが、左の地点
が恐らくソレなんだと思われます。現在は線路が高架化されており、
ソレに合わせて周辺も再開発されたのでしょう。面影はありません。
ただココは川を挟んで両側に一方通行の道路があります。
この町の規模でこの道幅は要らないと思われますから、川の西側の
道路が廃線跡である事が何となく分かる地形になってました。
…てか天気予報は晴れな筈が、怪しい雲行きになってきました。
雨が降らないうちに片付けてしまいましょう。
舞鶴線の本線からの分岐点(らしき場所)を見た後、少し走ってい
よいよ遊歩道として整備されている部分に入ります。
細かく言うと舞鶴共済病院の東側に入口があり、ココからは歩行者と
自転車だけの専用路になります。
…廃線後に整備されたという事ですが、まだ新しい感じですね。
タイルで線路の模様が再現されていますが、片方は点字ブロックです。
赤レンガの倉庫群などを保存した施設もこの先にありますので、歩いて
行く場合はこの遊歩道が最短ルートになるでしょう。
暫く行くとレンガ造りの古いトンネルが出てきました。…「北吸トンネル」
という銘板がありますが、周辺の地名も同じ北吸(きたすい)ですね。
資料によると中舞鶴線の開業が大正8年となってますので、当時から
残る物でしょう。地図で見る限り180m程度の短かいトンネルであり、
丘陵地の端っこみたいな所に掘られています。
中はレトロな感じの水銀灯が点けられており、現在でも生活道路として
の役割を果たしている事が伺えますね。…トンネルを抜けた反対側の
ポータルに、登録有形文化財の銘板がありました。
トンネルの先で車道と交差します。
ココは元は踏切だった筈ですね。
…改めて地図を見るにこの程度の
支線なら、丘陵地を迂回して線路
を敷設する事も出来たような地形
なんですよ。
しかしココを敢えて直線で結んだ
のは、舞鶴が軍港としての要衝
だったからなのかも知れません。
更に進むと「舞鶴赤れんがパーク」に出ます。ココは元は海軍の倉庫
だった建物群ですが、その幾つかが資料館やイベントホールなどに
改装され、現在は観光地になっている所ですね。
現在の舞鶴市役所などもこの近辺にあり、中舞鶴線としては唯一の
中間駅となる北吸駅があったそうですが、その痕跡は見当たりません。
…急がないとお天気がヤバそうではありますが、ちょっとだけ寄り道
していく事にしましょうか。
…戦時中までは海軍の倉庫などに使われてた建物が、当時の雰囲気
のまま残ってるワケですが、こういうケースは珍しいらしく、やはり多くの
映画のロケ地として使われてるようです。
鉄道で言うと大井川鉄道みたいなもんでしょうか?「バルトの楽園」や
「日本のいちばん長い日」はDVDを借りてではありますが私も見ました。
今回は時間があまりナイのと、カフェなどは定休日に当たってるよう
なので、内部の見学までする余裕はありませんでした。…先に進みます。
ココから先の中舞鶴線は、国道27号線を拡張した時にその用地に
含まれてしまったという事で、遺構らしき物は確認出来ませんでした。
舞鶴は戦後も海上自衛隊の基地として、大規模な施設が存在します。
…旧軍の施設がドノ程度再利用されてるのか?また自衛隊を軍隊と
定義するのか?辺りに関しては詳しくナイし興味もありません。
詳しく知らないので調べたんですが、「舞鶴総監部」は秋田県から
島根県までのカナリ広い範囲を管轄する組織のようですね。
少し離れた場所にも旧軍の施設が残っており、その案内看板が建って
ますが…何で萌えキャラ?
「舞鶴鎮守府実行委員会」となってるから自衛隊とは別物でしょうが、
ソコでヲタクに媚びる意味がちょっと分かりません。
しかも何故ソノ絵なのか?目線がドコ見てんだかよく分からないし。
塀の向こうが桟橋になっており、カナリ大きな自衛艦が停泊してるのが
見えます。…アングルを色々と工夫したんですが何かか邪魔で上手く
撮る事が出来ず断念しました。
…貼り紙を見るに、日曜日などは限定的な範囲でしょうが一般公開も
行われてるようです。生憎と今日は平日だな。まぁいいや。
国道を挟んで海とは反対側に自衛隊のグラウンドがあり、この辺りが
終点の中舞鶴駅の跡地になるようです。
…屋根付きのスペースに蒸気機関車の保存車があるのが見えますな。
ではココを見学して最後にしましょう。
記念碑として、少し高台から写した駅の全景の写真が載った案内標が
建てられています。…廃止が昭和47年で、この案内標が出来たのが
昭和63年だと言う事ですが「元在籍職員有志一同」か。
廃止時に定年退職になった人でも何とか存命だった感じかな?そして
静態保存の蒸気機関車が1両、コレも記念碑の代わりに置かれてます。
中型の万能機として客貨両用に重宝されたC58型ですね。
実際に宮津線や舞鶴線など、この近辺で走ってた個体のようです。
…雪深い日本海側の路線らしく、スノープラウが装備されています。
デフを支える支柱は人が通れる高さに曲げてありました。
私にとってはコレも模型で是非とも欲しい機種なんですが、Wikipediaに
よると中舞鶴線は短距離の支線なので、C12型辺りのタンク機関車で
事足りてたようです。…上の配線図を見ても転車台は見当たりませんし。
番号プレートの類は盗難に遭った
のか、簡素な模造品になってます。
今現在、蒸気機関車のプレートを
グッズ業者のサイトで見ると高い物
で数十万円の値段が付いています。
…防犯カメラもなく、ネットオークション
も未発達な時代だと、盗まれても表に
出てこなかったのが現状でしょうね。
てか大井川鉄道の機関車は何年か毎にプレートを取り換えて、外した
やつを「本物」だとしてオークションに出し、毎度高値で落札されてます。
…アレにはどの程度のありがたみがあるんでしょう?
階段が取り付けられていて、キャブに入れるようになっていました。
折角ですから登ってみましょうか。
…ドノ程度の使われ方をしてたのか謎ですが、テンダ部分に取り付け
られた看板によると、小中学校の教材用?という事で、ボイラーの横
にも人が通れる通路が取り付けられています。
デフを固定する支柱が曲げてあるのもソレに起因する物でしょう。
運転席部分の各部品はカナリ荒れておりました。…屋根があるとは
言っても屋外では仕方ナイでしょう。
そして罐の焚口が開いており、中には石炭の代わりに黒く塗った
バラストが入ってます。…このパータンは初めて見たかも知れません。
幼児なら通り抜けれる直径なので、開けておくと危険なんですがね。
駅跡とは言っても見れる物はコレだけなので、雨が降らないうちに
東舞鶴駅まで戻ってしまい、中舞鶴線跡地の探索はココまでです。
関西の廃線跡も、自分が何となく知ってる範囲の物はそろそろ頭打ち
になってきましたが、手軽にページ数が稼げるネタでもあるので、今後
も探しつつ続けます。
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