廃線跡を探る旅 #018
The trip for abolished railroads #018

 鉄 道 会 社  路 線 名  廃止年月  調 査 区 間  訪問年月
近畿日本鉄道 伊賀線
1964/10
伊賀神戸→西名張
2018/02
かつては近鉄大阪線と一部区間で並走していた近鉄伊賀線の廃線跡を探る旅です。一般にはあまり知られてないマニア好みの廃線跡でしょうね。 




2018年2月の事ですが、なかなか遠出が出来ずに、また比較的近所
廃線跡でして、1964年昭和39年まで存在した近鉄伊賀線廃線跡
探りに行ってきました。

…一般的によく知られている伊賀線(近鉄→伊賀鉄道)は、近鉄大阪線
伊賀神戸から分岐して、JR関西本線伊賀上野までの区間ですよね。

20180213c.jpgしかし元々は上野市と名張市を結ぶ
目的で1922年大正11年に、現在の
とは別の元祖伊賀鉄道が開通させた
区間が最初なんです。

その後1930年…昭和5年参宮急行
(後の近鉄大阪線)が伊勢までの伸延
を目指して伊賀神戸まで延びてくると
「競合しても負ける」という予想から
伊賀鉄道も同社に合併しました。

…そして戦時中には伊賀神戸〜西名張不要不急路線として休止された
ものの、伊賀方面 からの貨物輸送の需要戦後に復活し、昭和39年まで
残ってたと言う経緯の路線です。

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前置きが長くなりましたが、そんな感じで奈良から近鉄を乗り継ぎ
伊賀神戸に到着。今日はココからのスタートとなります。

今は再び「伊賀鉄道」に社名が戻った伊賀線ですが、名物は忍者列車
でしょうね。ただ運転間隔が意外と密で、伊賀神戸での折り返し時間
短かく、車両は滅多に見かけないイメージ。

でも今回は居てました。…忍者ラッピングのない「東急オリジナル」
逆に珍しい存在かも知れません。

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現在の伊賀線ココが行き止まりで、端っこは保線基地になってるの
ですが、昔はコノ先に西名張方向への線路が続いてた事になります。
…そう言えばソノように意識して見るのは初めての事ですわ。

時代によっては名張方面まで、2本の路線が存在したワケなんですね。
名張と西名張は直線距離で1kmほど離れてたという事なので「どっち
でも可」という利用客は少なかったと思われますが。

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ではココで駅を出て、西名張…実際には現在の名張駅まで歩いていく
事にしましょう。

手段は色々と考えたのですが、途中にどぅ考えても車では無理
山越えの区間があるので、今回は徒歩です。
終了したら現地ですぐに酒飲みたい」という毎度の意図もあるし。

20180213j.JPG今回も何枚かに分けた地図を持参
してあります。
色々なサイトから総合して、ある程度
のルート
は分かってるのですが、最新
のモノでも10年以上前のやつだった
し、変わってる所もあるでしょう。

…所で今回、画像ではイイお天気
見えますが、気温がめっちゃ低くて
がキツいんです。すごく寒いの!

西名張までは営業キロにして約10km「歩けば暖かくなるかな?」という
希望的観測で何とか進んで行く事にして、まず北西方向へ向かいます。

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過去の資料だと、保線基地の端っこから田んぼの畦道を通って廃線跡
を歩く事が出来たようですが、地形が変わったのか草に埋もれたのか
ソコまで辿り着く事が出来ませんでした。

その代わり、新しい道路が造られてるようで、ソレを通って現在の近鉄
大阪線
に近い場所まで行く事にしましょう。…まだ正式には開通前
ようで、車は入れないようにガードしてあります。

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…正確には左の画像の地点からが廃線跡という事になりますが、ココで
すぐに近鉄大阪線下をくぐります

基本的に鉄道の交差地点というのは、先に出来た方が地表後から
方が高架だったり地下だったりするワケで、伊賀線の開通大阪線より
8年早い事の証拠がココに表れてますね。

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交差地点後の時代コンクリートなどで改修されたようですが、築堤
基本的に石積みである事が分かります。

…そして高架下を抜けると、盆地の田園風景が広がりました。
ココまで特に車止めなどはナイので、軽トラック程度なら入れる模様。
轍も残ってるから実際に農作業で入る人が居るんでしょう。

20180214i.JPG 20180214j.JPG

畦道ちょっとした橋明らかに枕木だったりするのは、やはり廃線跡
ならではの光景ですね。

そして現在の近鉄大阪線は、私らが子供の頃よりは本数が減ったとは
言え、まだまだ特急街道の感じなので、頻繁特急電車が通ります。

伊賀線の廃線跡は、ココから大きく南へカーブして、山裾を通るルート
になっていくようですが、恐らくココから美旗新田駅跡までの区間が
一番の難所となる予想。どうなります事やら?

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足元の砂利が、どうも「バラストっぽく見える」のは錯覚でしょうか?
廃線から50年以上ですから、流石に残ってナイかも知れないのですが。

そして廃線跡コンクリート製の小さな橋を渡り、山手の方向へと続き
ます。恐らくコレは、近年になって道路用に架け替えられたモノでしょう。

…ソレはいいんですが欄干が不自然に潰れてるのは何故だ?
模型誤って踏んづけちゃったとか、そんな感じですよね。伊賀の地には
私らの知らない巨人が住んでるのか?元々忍者が居た土地だし。

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半ば山道と化した廃線跡を更に進みます。途中までは軽トラック程度なら
通れそうな道幅でしたが段々と狭くなり、ほぼ獣道になってしまいました。

…資料によると、この先は山に当たるのでトンネルで越えてたらしいの
ですが、流石にもう見つけられないかも知れません。

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そして倒木が出てきて遂に行き止まり。…そして更に道を塞ぐ感じで、
何やら金属製の大きな物体がありますよ。

コレの小さいやつは、子供の頃に見た事があるわ。ネズミを捕獲する
ためのワナでした。という事は、このサイズだとイノシシか何かでしょう。
確かに「狩猟」と記された許可証らしきモノが貼られています。

つまりココはリアルにイノシシなどが出るって事ですかね。こりゃ大変

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コレ以上進むのは無理だと判断しましたので、道路へ出れる感じの所
まで戻って迂回しましょう。

…地図によると廃線跡として確認出来る畦道は、右図の赤い線の部分
だけでしたので、ソノ前後を結ぶ辺りトンネルで繋がってた感じだろう
と推測されますな。外からの見た目は左の感じ。あの尾根の中か?
 
この辺りは殆ど線路の遺構がなく単なるハイキングになってますが、
廃線跡の旅更に続きます

元はトンネルがあったと思しき山間部は草に埋もれて流石に進めなく
なった
ので、平地を迂回して小さな集落に出ました。

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昔の街道には付き物の石製の常夜灯があります。…コノ辺りは伊勢神宮
に間近な地域であり、各地から伊勢へ向けての旅人が往来した道だった
のでしょう。

旅の道しるべであると同時にコレ自体も信仰の対象となるモノなんです。

中学生の頃、歴史関係の部活だったんで地元にあるコレ探して歩いた
想い出があるのと、大学のゼミ奈良から伊勢まで歩いて行く行事
あったもんで、懐かしいアイテムなんですよ。
 
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持ってきた地図に従って、集落から線路があったと思しき方向へ続く
畦道へ入ってみましょう。

用水路を跨ぐ感じで二重に組まれたコンクリート製のアーチ橋
出てきました。事前に資料で見て来た通りの遺構です。
恐らくは下の部分人間も渡れる(線路の下をくぐれる)ように考えて
コノような構造にしたんだと思われます。

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周辺の畑は今でも土地の人が使ってるらしく、トンネル内(アーチ橋の下)
物置代わりに使われておりました。

そして出口方向には鉄製の柵がありますが…
「ここを出入りされる方責任を持って扉の開閉をお願いします。」か。
つまり「入ってはダメ。という事ではナイ。んですね。

20180216g.JPG 20180216h.JPG

そんな感じで無事に反対側へ抜けました。…見ると左方向へ登っていく
坂道があり、ソノ上に廃線跡の道床が続いてる感じです。
そして築堤の上にも害獣除けの柵が巡らせてありました。

ともあれ再び分かりやすい道が現れましたので、続いてココを辿って
行きます。…しかしコレだけ厳重に柵があるって事は、ホントに何か
出るんじゃナイだろうな?


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やはり随所に狩猟用のワナが仕掛けてありまして、ソノ中の一つ見事
作動しておりました。…イノシシちゃんが掛かっておりますね。
やはり怯えてるようで、私の姿を見ただけでワナの中で暴れてました

…つまりココは「リアルにイノシシが出る」エリアだったワケです。
周囲に幾重にもフェンスが張られてるのですが、こうも多いと中なんだか
外なんだか分からない状況なんですよ。

イノシシってのは猟銃で撃って捕まえるイメージでしたが、こんな方法
もあるんですね。…可哀想だけどソレも運命ヨシヨシするにも無理が
ある
ので、先へ向かいます。せめて美味しく食べられて下さい。

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そんな感じで再び歩くと、藪の中を通る区間になります。コノ辺りは法面
を保護する石垣
や、境界を示す杭が残っておりで「いかにも廃線跡」
いうムードに溢れる所でした。

…この先に南京錠つきの扉があり、出るのが大変でしたが、注意書き
「御用の方は下記まで」という電話番号だけだったので、自力で勝手に
出る
分には構わないかなと解釈。

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先程の藪を抜けると、ようやく人里に戻って来た感じですが目の前が
川の土手らしき地形になってました。
…登ってみたら小さな水路?ぁ、コレは天井川というヤツですよ。

20180217g.JPG 20180217j.JPG

鉄道があった当時は、学研都市線の防賀川ように下をトンネルで越え
てたのかも知れませんが、ソレも無くなったし、そもそも水路はある
もの、水量が少なくて途切れてる箇所さえあります(線路跡の北側)。

と言うか、今まで色々と見て来たけど水量豊かな天井川ってナイよね。

ココにも太神宮(伊勢神宮)の常夜灯がありますが、途切れた部分から
迂回して廃線跡に戻ります。ようやく山間部を抜けて人里と言うか開けた
土地
へ出てきました。

20180218b.JPG 20180218c.JPG

畦道自動車用に拡幅したような道路ですが、コレが正確に廃線跡
どうかは分かりません。…過去の資料から最も近い道という感じです。

…この付近に美旗新田という駅あった事になってるのですが、廃線
から50年以上を経てますから、遺構らしきモノ確認出来ないですね。

20180218d.JPG現在の近鉄大阪線で、コノ付近の
最寄り駅美旗です。

伊賀線美旗新田の方が先に開業
したので、当初はコチラが美旗駅を
名乗っており、参宮急行線(現近鉄)
の開通後にメインの駅名後輩に
譲った格好になるんですよ。

なかなか潔いケースかも知れません。

合併先の大会社に対して気を遣ったと言うか媚び諂ったという感じかな。

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美旗駅周辺には幾つかの古墳が存在し、地域としてもソノ案内看板
立ててるようです。…左の画像の左端の茶色いやつとかソレでしょう。

歴史散策と言えば廃線跡巡りとてソレに含まれる筈なんですが、記載
はありませんね。些か残念なハナシですが、知名度が低すぎますか?

20180218g.JPG 20180218h.JPG

少し先に小さな川を跨ぐ橋梁があると聞いてたのですが、コレかな?
10年ぐらい前の資料だとガーター橋の橋桁が残ってる風だったのですが、
ソレ以後に撤去されたようで、橋台だけが残ってました。

「いつまでもあると思うな廃線跡」ですね。時代の流れはいつも残酷です。

20180218i.JPGこの付近から廃線跡北西方向
進路を変え、近鉄大阪線をアンダー
クロスします。
車道と平行して歩道化した、左側の
道がソレなんですが、こういう残り方
嬉しいモノを感じますよ。

ずっと歩いてきて疲れたので、ここら
小休止列車の通過を待って撮り鉄
でもする事にしましょう。

20180219c.JPG20180219e.jpg

築堤を走る車両逆光イイ感じだったので、ワザとコントラストを
上げてあります。…流石に完全なシルエットにはならないようですが、
今時の流行りのアニメ映画みたいな色使いを目指してみました。

そしてココからの廃線跡は?…全くの推定でしかありません!
 
20180219d.JPG20180219f.JPG

どうやら完全に住宅地になってしまったようで、全くソレらしい痕跡
ありません
上記の2枚とも「恐らく線路があった場所から名張向いて」の角度で
撮ったのですが、50年経つこうも変わるのか?という方向の例だな。

20180219g.JPG 20180219h.JPG

ともあれ住宅地を抜けて北方向の田んぼへ出ました。…この道も
廃線跡だという確証はナイのですが最低限、あった線路の道床
完全に潰して田んぼの区画まで再構成するかしら?と思うんですよ。

その先に見えるのが西原という集落。行政区画は名張市です。…この
付近に西原駅があったとされますが、今となっては全く分かりません

20180219i.JPG 20180219j.JPG

…近くにある交差点の地名にだけソノ痕跡が残ってる感じです。

ここからは少し、幹線道路に沿って歩きます。「名張街道」という通称
が付いている県道57号線なのですが、流石にコノ規模の道路昔から
あっただろうから、線路はソレと平行して南側の、現在は藪になってる
所にあったのだと推測。

20180220b.JPG
伊賀神戸からスタートして約半分
過ぎた所で、そろそろ名張の市街地
に近づいて きた感じなんですが…

 歩いてる道路の左側に、現在の近鉄
大阪線
が平行するようになりました。
…実際にはフェンスの右側に道路が
あり、本線の線路に沿って保線用の
引込線がありますね。

20180220c.JPG 20180220d.JPG

伊賀神戸美旗より立派な橋上駅舎桔梗が丘駅です。
…ココだけは開通当初からの駅ではなく、コノ付近が宅地開発された
昭和中期に増設された駅です。

詳しく調べると、伊賀線当該区間の廃止と同じ昭和39年10月1日
開業なんですね。何とも象徴的なお話かと思いますよ。

20180220e.JPG 20180220f.JPG

駅の北西側の入口から陸橋を登ると、さっき見えた保線基地が一望
出来ます。この土地が恐らく、元は丸々伊賀線の軌道だった事が容易
に推測出来る形でした。

20180220g.JPG
保線基地があるので少し迂回する
感じで先へ進みます。

コノ付近が宅地開発された昭和39年
頃ってのは、まさに高度経済成長期
でしょ?
桔梗が丘駅キロ程は起点の大阪
上本町から丁度70.0km
…「そんな所まで通勤圏が拡大した
という好例になるのかも知れません。

20180220h.JPG 20180220i.JPG

暫く行った所で小さな川を越えるのですが、この橋鉄道時代の
ガーター橋をそのまま再利用した物件。
伊賀線廃線区間としては、数少ない現存遺構の一つなんですよ。

国鉄モノなら分かりやすい位置に銘板として竣工年月日などが
記されてるのですが、コレで確認出来たのは最近になって塗装を
塗り直した記載だけでした。

20180221b.JPG
桔梗が丘の住宅地を抜けて再び、
旧来の村落を横切る所に来ました。

進行方向の左手、方角で言うと南側
現在の近鉄大阪線が平行して走って
おります。目測で100mぐらいかな。

昭和5年から同39年までの24年間
2本の路線が並走してた事になります。

桔梗が丘駅まだナイので、西原−蔵持−八丁…とオリジナル伊賀線
の方が駅が多く集落に近い、やはり廃止時には地元の反対もあったそう
ですよ。

元は軽便ですから、駅間が短く「大阪から伊勢への速達」を目的とする
参宮急行電鉄とは意味合いが違ったのでしょうね。

20180221c.JPG 20180221d.JPG

そんな途中駅の一つ、蔵持駅跡地に近い場所です。
現在は市民センター(公民館?)にソノ名前が残ってますが、実際の
駅跡は道路を挟んだ向かい側の駐車場になるそうな。

…ぁ、ココは名張市であって、蔵持市という自治体は存在しません

20180221f.JPG 20180221e.jpg

更に進むと、廃線跡に対してカナリ鋭角に横切る道路が出てきました。

地図を見るとワザワザ「初瀬街道」という名前が振ってありますから、
古い街道初瀬奈良県桜井市長谷寺など)の一つでしょう。

…そして鋭角ながらも古道のほうを少し曲げて、角度を緩和してある
という事から見ても間違いなく踏切跡」だという事になります。

こういうのを見つけるのが、廃線跡巡り楽しさなんですよ。

20180221g.JPG 20180221h.JPG

廃線跡は県立名張高校の脇を通ります。
…調べると同校の前身となる農学校開校したのが大正5年。敷地が
ココから動いてナイとすれば、伊賀線の開通より早い事になりますね。

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その更に先、県道57号線との交差点の手前付近に、八丁駅があった
跡地があります。

左から不自然に寄ってくる別の道路と、ソレに挟まれた微妙に細長い
三角形の土地から、駅舎とホームの跡だった事が伺えました。

ココまで来たら終点の西名張駅まであと1.2kmです。
…あとは市街地に残る線路の痕跡を探していく感じになるでしょうか?

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所で八丁駅跡地の近くの道路で、ケッタイな条件のある駐車禁止標識
見つけました。…道路の左右と言うか両端?が、月替わり駐車禁止
なったりならなかったり。コレにはどう言う理由があるのでしょう?

ないアタマで考えてみたのですが、先に神社があるのでソノお祭り
とか縁日とか、露店を置いたり置かなかったり…そんな理由?

他にもこんな所があるんですか?少なくとも40年以上生きてて初めて
見ました。詳細を知ってる方があれば、また教えて下さい

20180222e.JPG 20180222f.JPG

先の大きな交差点県道57号線を越えると、集落の裏手のような所を
通ります。…同じ日なのですが照ったり曇ったりなので光線具合に差が
ありますね。車も通れない事はナイ感じですが、専ら犬の散歩用かな。

右の区間なんか、ホントに小さな古い電車似合いそうな景色でしょ。

20180222g.JPG 20180222h.JPG

廃線跡の脇に立つアパートなどは、当然に新しい建物なのですが、
基礎の部分当時のモノに近いイメージと言いますか、前半の山間部
で見たモノと同じ種類のに見えました。

そして風化して全く読めませんが、鉄道時代のモノと思しき境界線の
が残っています。恐らく近鉄の社紋が入ってたのでしょう。

20180222i.JPG 20180222j.JPG

その先は公園の敷地に入ってしまうので、廃線跡はココで途切れてます
やはり「市民センター」と称する公民館状の施設ですが、町中なので
蔵持のソレより大きいですね

すぐが県道57号線なので、ココは迂回して先へ進みましょうか。間もなく
終点の西名張駅に到着です。…とは言っても跡地もあるかどうか?

20180223b.JPG 20180223c.jpg

名張市民センターのある朝日公園迂回して、県道57号線を歩いて
おりますと、道が不自然に曲がってる箇所が出てきました(↓)

例えば旧道のすぐ近くにバイパス的な新道を作った場合、ソノ間の空間
合わせて取り込んでしまい、不自然道路の幅が広くなってるような
所がありますが、コレはその鉄道版だと思われます。

ココから線路街道斜めに横切って西名張駅に至ってたのでしょう。
全くの推測ですが50年以上前なら、道幅もそんなに広くなく車の量
少なかったと思われ、広い踏切でも支障は少なかったのかなと。

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この交差点を左折すると現在の名張駅に至ります。距離は800mですか。

戦前コノ付近の方が町の中心街であり、Wikipediaの記述でも大阪線
の方が「市街地を迂回して建設された」ような事が書いてありました。
…勿論、元はこっちの方が「名張駅」を名乗ってたんですよ。

時代とともに、特に鉄道駅が出来た所の回りが、後から栄えて行くのは
よくある例ですよね。奈良だってそんな感じです。

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その西名張駅があった地点は恐らくコノ辺
鉄道駅…しかも車庫を有する終点の駅だった面影は全くありません

…跡地に建つ郵便局に、辛うじてソノ名前が見られますが、コレとて
単なる偶然かも知れないし、高度成長期以前に役目を終えた鉄道の
儚さが感じられました。
今だったら公園にでもなるか、最低でもモニュメントぐらい残すでしょ。

20180223h.JPG 20180223i.JPG

ともあれ現在の名張駅まで歩いて、今回の旅終了となります。
正確には分かりませんが、この東口駅舎昭和レトロ木造建築で、
恐らく開業当時からのモノでしょう。

寒かったので軍手持ってきて正解の旅でした。前半で藪をかき分け
たり
フェンスを乗り越えたりしたし。
提げてるコンビニ袋は、郵便局の先にあったイオンで買ったお好み焼き
です。…お好み焼き屋ビールを置いてナイとはどういう事か?

現在は伊勢奥津止まってるJR名松線がココまで来てたら、また違った
発展の仕方だったかも知れませんね。



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