2015年8月の炎天下、奈良近郊で最も歴史の古い廃線跡を1日掛けて
歩いてきました。
現在のJR関西本線の加茂から、今ある路線とは別ルートで奈良に至る
約10kmの区間なんですが、殆どの方が御存知ナイと思われますので、
簡単に解説しておきましょう。…ソノ路線は大仏鉄道と言います。
正式には「関西鉄道大仏線」と言いまして、現在の関西本線や
学研都市線の前身である関西鉄道が、1898年に加茂から大仏まで
を開通させました。
…ソノ当時から現在の場所に奈良駅はあったのですが、会社が違った
ため(奈良鉄道と大阪鉄道)、同じ場所に乗り入れる事が出来ず、
別の終着駅として大仏駅を作ったと言う事らしいですね。
大仏駅は今のJR奈良駅から北東に1kmの所にあり、大仏(東大寺)
には多少は近いワケです。
その翌年、会社の合併などで奈良駅
までの乗り入れを果たしたものの、
大仏線は勾配がキツくて使いにくい
という事で、現在のような木津経由に
改められ1907年、最初の区間が出来
て僅か9年で廃止されてしまいました。
全てが100年以上前に終った出来事
なんですが、当時の遺構が今でも
残ってる箇所があるという事で…
地元では最近、パンフレットや案内看板などを整備して、ハイキング
コースとしてPRを行うようになったんですよ。
…今回はソコを歩いてみます。
路線としては約10kmですが、全てが線路に沿って歩けるワケではない
ので、ハイキングコースとしては13km程度になるそうな。
という事で、まずは加茂駅からスタート。…キャップ(帽子)は
似合わないので好きでナイのですが、今回は絶対に要るでしょ?
と首筋と背中にタオルを噛まして、汗対策は完璧にしてきました。
大仏鉄道(と言うか当時の関西鉄道?)の遺構は、現在の加茂駅にも
残っています。…歩く前にソレから行きますが。
最も西側にある4番線のホームに、当時のレンガが使われています。
時代と共に嵩上げが繰り返され、地層のようになってますが。
今は橋上に駅舎のある加茂駅ですが、昔(私が子供の頃)は東側に
平屋の駅舎がある、一般的な地上駅でした。
…国鉄はメインの駅舎(駅長室)から近い順に番線を振る習慣だった
ので、4番線が一番西の端。線路が向かう方向から見ても、大仏線は
ココから出てたと考えるのが自然ですね。
その西口に新しく整備された公園にはSL(8620型)の動輪と、反対側
の東口には、コレまた明治のレンガ造りのランプ小屋が残っています。
…コレは古い駅なら時々あるやつですね。
そんな感じで、現在時刻は午前10時半。カナリ暑くなりそうな天候
ですが、頑張って廃線跡めぐりの旅に行ってみようと思います。
駅の南側にある踏切を渡り少し行くと、SLの静態保存車があるという
事なので、次はソコに行ってみましょう。
…上記のような、廃線跡めぐりを案内する立て札が各所にあるので、
迷わずに歩けるようになってます。
(※後から気付いたんですが、このタイプの立て札は木津川市内に
限られてるようで、府県境を経て奈良に入ったらありませんでした。)
大仏鉄道とは時代がカナリ違いますが、国鉄のC57型が関西本線
から見える位置に置かれています。
「奈」は勿論奈良機関区ですね。駅の西側…今はなら100年会館など
があるエリアには、昔は転車台と扇型機関庫がありました。流石に
私はSL世代ではありませんが、設備が残ってたのは覚えてます。
そんな感じで暫くは線路から離れ、のどかな田園風景の中を歩きます。
…元々歴史が好きなので、地蔵とか道標とか常夜灯のような石造物
を見つけると、ついつい碑文や年号などを読みに行くクセがあり…
地元の方から見学者に対しての注意書きもありましたが、夏の炎天下
の事、作業の人影は見ませんでしたので、そのまま農道を歩きます。
暫く歩くとJR関西本線の下をくぐる
所に至ります。
手前のコンクリート製の橋桁がある
のが関西本線、奥に見える同じよう
な橋脚だけど線路がナイやつが、
大仏線の観音寺橋台です。
加茂駅を出た関西線と大仏線は、コノ
辺りまで並行して走ってたらしいです。
そして、ココから大きくきく線路が分かれて行く線形だったようなん
ですが、どちらも同時期に作られた橋脚であるというのがミソです。
…こっちは反対側から見た構図ですが、
左右のレンガ積みの橋脚の上、草が
茂ってる部分に線路が乗ってたという
事になりますね。
大仏線のは9年で使われなくなった
のに対し、関西線の方は100年以上を
経て今でも現役で列車が走る高架橋
であると言う…ちょっとした哀愁を
感じたりしないでしょうか?
…折角だから関西本線の今の列車を絡めて撮りたかったんですが、
歩いてたら音で「さっき通ったばかり」というのが分かったので断念。
という事で廃線跡めぐりの旅も、段々と本格的になってきました。
先程の観音寺橋台から少し西へ行くと、同じような構造物が残ってます。
…観音寺小橋台?まぁオリジナルの小型版としてセットなのかな。
まだ奥には関西本線の線路が平行してる状況ですので、ココは元の
橋脚に鉄製の門扉を付けて、保線用の通路の入口のような使われ方
をしています。
そして段々と山道がキツくなり、竹藪を通り抜けるような所も…
続いても橋台跡…鹿瀬山橋台と言います。
基本的にアップダウンの多い地形であり、大仏線は勾配を軽減する
ために線路の多くを築堤の上を通るルートにして作られたそうな。
ソレによって分断される農地を住民が行き来出来るように、このような
短い高架橋が何箇所も作られたというような事が、現地の説明書に
書いてありました。
…急に視界が開けたと思ったら、いきなりゴルフ場が出現!
防護柵とかネットとか何もナイんですが大丈夫?
まぁ見た感じコレはティーグラウンドだから、間違ってもこっち向き
に球が来る事はなさそうですが。
そしてゴルフボールは勘弁ですが、ネコも飛び出すのか!?
ネコー!出て来いネコー!…暫く待ったけどダメでした。
そんな感じで更に行くと、またしても築堤の上を走る区間が出てきます。
しかしコノ周辺は宅地開発が進んで、昔と地形がカナリ違ってるらしい
んですよ。…航空写真で見るとこんな感じ?
赤く色を塗った部分が、廃線跡を転用した旧道。その西(左側)に広い
道路が出来てますね。
見学コースとしては、ソレを縫うように下の畦道を通って進むらしく、
細かい案内図が添付されていました。
…畑は私有地なので、間違って入らないように注意して歩きます。先に
見つけた案内図に従って、梶ヶ谷隧道と赤橋を見学に行ってみましょう。
まずは梶ヶ谷隧道ですが、隧道とは言っても鉄道用ではなくて、築堤の
下をくぐる歩道用のトンネルですね。
ソレでも御影石の切石とレンガで造られた立派な物で今でも通れます。
続いてが赤橋。先程の梶ヶ谷トンネル
の延長上にありますが、
恐らくは築堤の高さの違いで、こっち
が単なる高架橋、向こうがトンネルと
差がついた結果だと思われます。
赤橋は、今まで見てきた橋台跡と違い
廃線後に道路に転用されたので
コンクリート製の橋桁が残ってます。
しかし周辺の宅地開発によって新しいバイパス道路が造られ、
元々あったコノ部分の廃線跡の旧道は、そのまま切り取られた感じ
で残ってしまい、今では車両の通行は物理的に無理になってました。
…映画のオープンセットみたいな状態です。歩いて、又は二輪車なら
無理矢理に通れるかな?
…大仏鉄道に関して色んなサイトを
調べたら、宅地開発が進む過程では、
この部分の保存について色々と心配
する声があったようですが、恐らく
(保存を主張する人たちにとって)
理想的に決着したようです。
近くには公園も整備され、大仏鉄道を
紹介する看板もありますが至って地味
(一応鉄道公園と言うらしいですが)。
そこからは暫く、道路転用区間が続きます。
…私にすれば、全く知らずに仕事で走ってた所でもあるのですが。
右の画像が、梅谷口の交差点から北へ向いての登り勾配なのですが、
やはり見た感じ鉄道にしてはカナリ急なイメージですね。
ハナシによると大仏線は、25‰が連続する区間が多く、当時の機関車
では相当にキツかったという事で、それが短期間で廃止された理由
でもあるのですが、コノ辺りの事なのかも知れません。
更に進むと、現在は梅美台と呼ばれる
住宅地に差し掛かります。
ココもまだ京都府木津川市ですが、
交通的には奈良のほうが圧倒的に
近いもんで、仕事をしてると夜には
1日1回は必ず来る所なんですよ。
ソノいつも通る道路の下にも遺構が
あるという事で…ちょっと見に行きます。
続く松谷川隧道は、この辺に展開する住宅地、梅美台と州見台を分ける
南北の道路の下にあるという事で…これから見に行く方(居るのか?)
のために行き方の紹介も添えておきます。
南端の梅美台西の交差点の北西角に交番があるのですが、ソレの裏手
に畑へ降りる階段があります。…ソレを降りて北の方向へ道なりに行くと
道路の築堤の下に、フェンス製の扉が付いたレンガ造りのポータルが
見えますので、ソレが松谷川隧道です。
先述の通り、この上の道路は仕事で毎日通るような道なんですが、
こんな遺構があるとは初めて知りました。
2色のレンガを交互に配置して、デザインに変化を持たせてあるという、
凝った造りです。
色の変化は焼く時の温度の差によって生じるモノらしいのですが。
そして説明によるとココは水路のトンネルのようですね。
トンネルの両サイドと、真ん中に見える棒のような部品に板を渡して
人が歩けるようにもなってたらしいですが。
ホントにこんなモノが鉄道の施設としては9年間しか使われなかった
という事が不思議な気がしました。…勿体無いハナシですね。
梅美台西の交差点を過ぎると西側に奇抜なデザインの建物が見えます。
…テーマパークのお城か何かと間違えそうなもんで、知らないお客さん
からも「アレは何だ?」とよく聞かれるのですが、表札にあるように
木津川市の配水池…要するに浄水場の施設なんですよ。
大仏鉄道とは特に関係ありませんが、ソノ前を走ってたという縁からか
イラストを添えた簡単な説明看板があります。
最初に見た公式の案内図にもあるように、どうやら赤い色の蒸気機関車
が走ってたというのが、共通したイメージのようですが、まだまだ
カラー写真のナイ時代の事、物証のようなモノは見つけられてません。
梅美台の住宅地を抜けると、ココで府県境を越えて奈良県に入ります。
…全体のうち半分ぐらいは来たかな?
道路転用区間のうち、ココから先は
結構な幹線道路として通行量も多く
路線バスも走ってますね。
しかしデータを見るに、大仏線には
「大仏」以外に途中駅がありません。
今でこそ宅地開発されて人家も多いの
ですが、当時は単なる山奥だったのか?
続いては鹿川隧道という、コレまた水路のトンネルがあるのですが…
築堤がカナリの高さがあり、近くに下へ降りる通路などが作られていない
という事で、ココは看板のみとしてパス。
…府県境を越えて奈良県(市)内に入ってますが、こっち側に完全な形で
残る遺構としては唯一のモノなんだそうですが。
という事で、そろそろお昼も過ぎております。ここらで食事にしましょう。
鹿川隧道の近くにある国境食堂と
いうお店です。学生時代によく行った
お店で、今でも変わらず営業しており、
とにかくデカいカツ丼が有名である
という事で久し振りに寄ってみました。
…と言うか、今回の企画の最初から
ネタを繰ってたと言いますか、昼食は
ココにしたら収まりがイイだろうなあ
と考えてたのです。
コレで価格は980円です。
価格も量も、特に当時(20年前)と
変わってナイ様な気がしますが…
流石に社長は無理?
よっしー&ピカチュウ向けか?
私も若い頃に比べると胃も衰えたとは
思うのですが、今回はしっかり歩いて
きたので、完食する事が出来ました。
…折角歩いてきた事によるカロリー消費に関しては、元の木阿弥感が
半端ありませんが、まぁイイか。
という事で、些か食べ過ぎた感じもありますので、更に歩いて行きます。
この辺りは奈良市の奈保町という地区ですが、古い地名としては
黒髪山という所で、大仏鉄道ではココにトンネルがあったという事
なんですね。…今まで見てきたのとは違い、列車が走るトンネルです。
右が現地にあった案内看板から複写した当時の画像ですが、トンネルの
上に付いてるのが関西鉄道の社紋だそうで、今はドコかに保存されてる
らしいです。
廃線後は道路のトンネルとして使われていたのですが、昭和40年頃に
道路を拡張する時に、山全体を崩して切り通しに改められ、山の上に
ある道を繋ぐための橋が作られたそうな。
その工事の様子も、資料写真として
看板に載ってましたが、私はてっきり
廃線直後に切り通しになったもんだと
勘違いしてたんですよね。
…明治の技術でコノ山を崩したの
すげぇ!って感じで。…流石に無理?
と、山を崩す前に先に橋を建設した
感じです。確かにソノ方が合理的だ。
そして、この写真の提供者として名前が挙がってる、筒井寛秀さん
という人ですが、戦後から平成初期にかけて東大寺の管長と長老を
務めた、有名なお坊さんなのです。
…この人が書いた本は私も読んだ事があるのですが、単に奈良の町の
記録として撮ったのか写真が趣味だったのか、もしかしたら鉄ヲタだった
のか、ソノ辺は分かりません。
という事で、カナリの距離を歩きましたが、段々と奈良の町に入って
ますので終点はもうすぐ。住宅地の一角にこのような公園があります。
コノ辺りが、最初の終着駅だった大仏駅の跡地なんだそうですが…
何せ100年以上前の事。ホームや駅舎の遺構があるとか、駅らしい地形
をしてるとか、全く分からない状態ですね(辛うじてコノ公園が三角形
である…駅の敷地の端っこかな?って程度)。
春にはしだれ桜がキレイなので、地元の皆さんは大仏鉄道の事など
知らずに単なるお花見スポットとして親しまれてるようですが。
公園のすぐ南側、佐保川を越える橋の下に、鉄道時代の鉄橋の礎石が
あるという事ですが…多分コレかなあ?という程度。
100年という歳月ですから、残ってないモノはとことん残ってませんわ。
ソノ先の商店街を抜けると、油阪という
交差点に出ます。真ん中に見える
高架橋が現在の関西本線(大和路線)
なのですが…ココは鉄道風景が概ね
3回も変わってるという場所なんです。
大仏鉄道の廃線後、近鉄が開通して
地上を走ってた関西線を跨いでたのが、
昭和40年代に地下化されたでしょ?
その後、地上のJRを高架にして、陸橋で越えていた道路(大宮通り)
を地上に降ろすと言う、スゴく面倒な工事をやってます。…都市計画
が行き当たりバッタリなのは、平城京の昔から変わりません。
という事で、加茂駅から歩いて約5時間、遂に目的地のJR奈良駅に
到着しました。いやあ、長いような短いような道程でした。
駅とソノ周辺を高架化した時、古い駅舎は
壊すのが勿体無いという事で、場所を移動して
現在は観光案内所として使われています。
建物自体をジャッキで持ち上げて、下に大きな
コロを噛まして何十メートルか移動し、角度を
少し変えるという大掛かりな作業だったそうな。
…ほんの10年少し前の事なので、私も現役
時代はよく知ってます。大きなドームのような
室内で、帰ってくるのが楽しみな駅でした。
そんな感じで今回の旅はココまでです。
今までハナシには聞いてたけど、実際によく知らなかった大仏鉄道、
あるかどうかは分かりませんが、観光案内のネタの1つにも使える
でしょうか?
参考…木津川市観光ガイド>観光スポット>大仏鉄道
http://www.0774.or.jp/spot/daibutu/index.html
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